第31話知識チートだ 山国甲斐で塩作り(中)
「新年、おめでとうござりまする……」
一月三日、北条家をはじめ、敵対関係にない近隣の大名家が使者の年賀の口上が続いている。
武田家当主の信玄はこれに鷹揚に答えていた。
……間に合って良かった。
俺は心中でつぶやいた。
大事な同盟先なだけに相手を重視しているという態度を見せるのも必要だからだ。
春日山など遠方から来た使者の中には年末に出発した者もいるという。
静岡を出た俺はお市を背負って富士川沿いを遡上、途中で一泊して二日の夕暮れには甲斐府中に到着という行程だった。
甲斐府中……甲府では武田家が用意した宿に泊まったのだが、なんと温泉が引かれていて、これはうれしいサプライズ。
こうして山国甲斐らしい、武田家のもてなしを受けたのだった。
そんなことを思い出しながら、北条家を先頭に始まった年賀の挨拶はトリの今川家、つまり俺たちの番となる。
「新しき年の始まりにあたり、お慶びを申し上げたく参りました……」
「うむ。大儀である」
一通りの挨拶を終えると信玄がおもむろに切り出す。
「旧年中、そこもとには大変世話になった。甲駿相越の盟が成ったのはその方の御蔭である」
「ははぁっ」
俺が頭を下げると信玄は溜めを作って言った。
「
言ってニカッと笑う。
「……されば、甲斐の国内で穴を掘らせていただきたく」
「ほう? 穴とな?」
「はい。穴にございます」
俺の答えに信玄は怪訝そうな顔をした。
「穴を掘って如何とする」
「この山国甲斐で塩を作りたく……」
この返しを聞いた万座の中から幾つもの失笑が漏れる。
信玄はというと、ちょっとの間だけ面喰った様子を見せていたが、ややあって爆笑した。
「塩……? そうか! 塩か! この海の無い甲斐で塩作りか!
いいだろう。金堀衆を貸してやろう。太郎、お前も付いて行け」
「と、殿」
これには家臣重役の中から異を唱える者も現れたが、信玄は笑って手を振る。
「良い。良い。これも新しき年を迎える座興。夢のある話もたまにはよかろう」
信玄のこの言に太郎こと武田義信は少々迷惑そうな顔をした。
塩なんか出るわけないだろうと言いたそうにしている。
ともあれ、俺は義信と武田家金堀衆を連れて塩作りに向かった。
無論、お市は一緒だ。
そして向かうは釜無川上流。
翌日、金堀衆の招集を待って出発した。
……のだが、俺以外の一行を支配しているのは懐疑である。
武田義信以下、皆、渋い顔だ。
正月三が日は過ぎたとはいえ、まだ正月気分が抜けていない時期のこと、
彼らにしてみれば雲をつかむような話なだけに困惑しかないものと見える。
そんな一行を引き連れ釜無川西岸の街道を北西に進んだ。
韮崎を過ぎて支流との合流点を過ぎ、長坂の南西まで来た所で俺は足を止めて、お市を背中から下ろす。
「……このあたりか」
そうつぶやきながらL字型になった針金二本をインベントリから取り出して両手に持つと俺は周囲を見回した。
川の流れや集落の位置は変わっていても山の峰々の場所は変わることがない。
俺ははるか遠くとなってしまった頃の記憶を心の中から手繰り寄せた。
そう、俺は以前の世界でこのあたりに来たことがある。
それはゾンビの攻撃が起きる四年前、小学三年の夏休みの家族旅行の時の記憶。
この時の記憶を頼りにして山々の位置から現在地を比定する。
そうしてあたりをつけると俺はゆっくりと歩き出した。
サク……サク……
枯草を踏む音が足元から聞こえてくる中で俺は全神経を地磁気の変化に集中させる。
両手に持った針金には未だ感は来ないが、結果が分かっているので慌てることはない。
そのまま記憶に従って進む。
一体何を俺がやっているのかというとダウジングだ。
人間にも渡り鳥なんかと同じように地磁気を感知する官能が存在している。
これは異世界由来のスキルなんかじゃない。
人体の細胞内にある光受容体タンパク質のクリプトクロムとそれに結び付くポリマー状のタンパク質の結合体が自発的に外部磁場を向く。
そうして人間も外部磁場の変化を感知することができる。
……とはいえ、これも
まぁ、とりあえず、感と記憶を頼りに歩いていくと、とある場所で針金が開いた。
「ここだ」
俺の言葉を合図に金堀衆が足元の地面を掘り始める。
手慣れた連中だけあって見る見るうちに縦穴を掘っていく。
やっていることは井戸掘りに近い。
そうして見ているうち、徐々に掘削スピードが落ちてきたので会話を聞いてみるとどうやら岩盤にぶち当たったようだ。
ここで俺の出番となる。
金堀衆を退かせて掘った穴の前に立つと、懐の中で姿を消したフィリ-に土魔法を起動させた。
岩盤にかなり太いパイプ状の穴を開け、遥か下まで通してしばらく待つ。
すると微かな地鳴りとともに水柱が立ち上がった。
噴き上がる水柱は濃い赤褐色をしている。
「やった!!」
立ち上がる水柱の色を見て、俺は思わずガッツポーズを作った。
「なんだ、ただの温泉か……」
水柱から上がる湯気を見て、背後に居る誰かが落胆したように漏らした。
それに対し、取り出した木のカップで湯の味を確かめた俺は言い返す。
「当たりだ。いいからこれを飲んでみろ」
「うっ、なんか泥のような色だな……」
俺がコップを差し出すと、カップの中の赤褐色の湯を前にして誰もが躊躇したから仕方なくお市に振る。
「アンジェリカ、飲め」
「断る。誰がこんな泥を飲むものか」
「良いから飲んでみろ。それで泥だったら俺の首をお前にくれてやる」
そう言って俺が首を差し出すと、お市はカップを受け取った。
「いいか、本当に泥だったらお前の首を貰い受けるぞ!?」
「構わない。その時はすっぱりとやってくれ」
「武士に二言はないぞ」
お市が睨みながら俺に向けて言い放つと、カップを傾けてゴクゴクと飲み干した。
「……塩気が強いな。そして甘みがあって美味い」
このお市の言葉に武田家の面々は互いに顔を見合わせる。
……そして思案顔になった。
お市という絶世の美少女が泥水の入ったカップを飲み干して美味いと言ったのだ。
俺がもう一つのカップに湯を注いで義信に渡すと、暫し逡巡の後に受け取る。
「わ、若!」
思わず静止の声を上げる金堀衆。
だが、義信はその声を止めた。
「異人とはいえ、おなごが飲み干したというのに怖気づいていては武士の名折れ」
そう言うと、意を決して義信は口に含む。
然るのち……
「……これは泥ではない。塩水だ。一体どういうことだ!?」
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