第29話徳川家康とウィリアム・シェークスピアは同い年である



京で飛鳥井家との会見を終えた俺は歳旦祭に間に合わせるため、大急ぎで静岡に戻った。

ちなみに歳旦祭とは新年祝賀式のことである。

そして、氏真の戴冠式が十一月に有ったと言ったが、あれは新暦のことで、俺の中で季節感と暦とにズレがあったのが原因。

俺に抱き抱えられて静岡へ戻る間中、お市はそのせわしなさに呆れ顔だった。


「おおっ、待ってたぞ」


今川館に戻ると氏真が待ち構えていたかのように俺を厨房に連れて行く。


「太郎、お前が出してきた蕎麦切りと今川メンマを歳旦祭の直会(なおらい)で出したいからな」


にこにこと笑いながら氏真が言うが、それだけ直会は大事なものだ。

神前に供えたお供え物――神饌を神から下げ渡された式典参加者が神と同じ物を共に食べて神と一体となるのが直会(なおらい)という神事の意義である。

それはつまり、神前で氏真と家臣が神人共食を行うことによって家中の結束を神の前で披露することにもなる。

だからこれはただの宴会などではなく、神前での誓いと言ってもいい。

それだけに氏真も直会を最重要視しているということだった。


神仏は尊崇すれども頼らずで、神仏の加護はおのれの全力を出し切った時におのずと宿るもの――というのが武士としての信心の姿勢だそうな。



「こんな感じかな?」


出来上がった蕎麦切りを氏真、お市と試食する。


「いいんじゃないか?」


蕎麦を啜って氏真が答えた。


「まぁ、そうなんだがこれの出汁は昆布と鰹節と煮干しだろ?

 できれば焼干しを使いたいんだが……」


「太郎、その焼干しとはなんだ?」


俺の言葉に氏真が喰いついた。それはもう優秀な行政官という目つきで。


「煮干しは鰯を煮て干すから煮干しって言うけど焼干しは煮ないで焼いて干すんだ」


その違いはどこにあるのかと氏真が問うので俺は両者の違いを説明した。


「煮干しは煮ている間に魚のはらわたから胆汁が身に沁み込んで苦みが付くんだが焼干しはそうじゃない。

 焼干しは魚のはらわたを取って洗ったあとで、遠火で焼いて干すから苦みが沁み込んでない良い出汁が取れる」


「それ、作れるか?」


俺の話を聞いて氏真がすぐに動く。


「まぁ、作れなくもない」


「なんだ? あまり乗り気じゃないようだな」


「まぁ、実際にやってみればわかる」


俺の話ぶりに氏真は怪訝な表情になったが俺としても確信があっての話じゃない。

実際に作ってみないことには断言はできなかった。


……と、そんなわけで氏真共々近在の漁村に向かうことになったのだが、こういう時に無駄口を叩かないのがお市だ。

否、それどころか目を爛々と輝かせて眼前で展開するnaiseiネタの一部始終を心に焼き付けようとしてくるあたりにお市の心底が窺われる。



「ようこそおいでくださいました」


到着すると村の肝煎から挨拶を受けた。

この村は氏真が元服して最初に宛がわれた給地のため、氏真とは旧知の間柄であり、塩の増産の件でも何度か足を運んでいた。


「して此度はどのようなことでございますか?」


「うむ。そなたらで焼干しはできぬかと思ってな」


「焼干しでございますか……」


村の肝煎は氏真の提案で少し考えこむ。


「ものは試しゆえ、無理にやれとは言わぬが、どうであろう……?」


「……いえ、無理では御座いません。承りまする」


思案の末に肝煎が答えを出したので俺達は浜へ向かった。

浜に出た俺達は漁師からイワシを買い付けると火を起こして作業を始める。

イワシのはらわたを取って海水で洗い、串にさして遠火でじっくりと炙る。

水分を飛ばすのが目的だから焼き魚にするわけにはいかない。

氏真が作業の流れを把握したのを確認すると、後の作業は村人にお願いして俺達は今川館へ戻った。



……五日後、今川館の厨房で俺達は村から届けられた焼干しを前にしている。


「これがそうか……」


焼干しを摘まんだ氏真が煮干しと見比べて言う。


「そうだ。手間暇かけて作られる高級食材だけに本来なら中々手に入るもんじゃない」


そんなことを言い合いながら取った出汁を椀に注いで氏真に渡した。


「ほれ。飲んでみろ」


椀を傾けて氏真が出汁を味わう。


「……美味いな。煮干しのようなアクの強さがまったくない。

 すっきりとした味わいで、どちらかというと昆布出汁に近いと思う」


「そうか。ではこっちもためしてみてくれ」


そう言いつつ俺は別の鍋で取った出汁を別の椀に入れて氏真にぐいと突き出す。

出汁を口に含んだ氏真は目を見張った。


「これも焼干しか……?

 だが、こちらの方がさらに味がすっきりしていて濁りがない。

 それに比べればさっきのはかすかに生臭さがある。

 ……太郎、これはいったいどういうことだ?」


「作った土地が違うんだよ。

 最初に出したのはこの前の漁村で作らせたやつだけど、後の方のは陸奥の北郡で作られたものだ。

 臭みの有る無しは腐りかけか否かによる」


肉の熟成といえば聞こえは良いが要は腐る初期段階だということ。

腐り始めるのが先か乾燥するのが先かで焼干しの出来不出来は決まる。

ことその点に関しては寒い地方に分があるのは間違いない。

氏真もそれに気づいたようだ。


「……なるほどそれでは難しいな。

 何しろ遠江に駿河伊豆は冬でも暖かい。

 焼干しには向かないということか」


納得がいったという顔の氏真。


「そういうことだが、裏を返せばどこの土地にもその土地でないと作れない産品があるっていうことでもあるんだな」




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「セシル」


「はっ」


アントワーヌが広間より退出するのを見届けると男王エリザベスはバーグリィ男爵、ウィリアム・セシルに命じた。

1520年生まれのウィリアム・セシルはプロテスタントで、

1558年に同じプロテスタントのエリザベスが「女王」に即位して以来の腹心として宮廷を支えてきた関係である。


「誰ぞあの者らに人を付けてやれ」


「それでしたらウォルシンガムが宜しいかと」


少し考えてセシルはウォルシンガムを推薦した。

ただちにフランシス・ウォルシンガムが呼ばれる。


「ウォルシンガムよ、そちに任務を与える」


「は。なんなりと御命じください」


ひざまづくウォルシンガムにエリザベスが王命を与えた。


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