第2話 ママの歌

 ……み。 よみ。 よみは、悪い子。 悪い子は、いい子。 ママは、よみが大好き……。





「ママ……」

 久し振りに、夢を見た。

 ママが、小さいあたしをお膝に置いて、歌ってくれる夢。

 あたしの、ママ。 

 カラスよりも黒い、つやつやの長い髪。 薔薇よりも紅い、薄い唇。 ビロードよりもやわらかな、長い睫毛。 ダイヤモンドよりも硬くて、光るかっこいい爪。

 ママは、あたしの自慢。 きれいで、強くて、かっこいい。 天使なんか、ひと睨みで蹴散らしちゃうんだ。 悪魔のみんなも、一目置いてた。



 だけど、ママ。 ママは、どこかへ行ってしまった。 あたしを置いて。

 あたしはもうお姉さんになってたから、別に、平気だったけど。 

 でも、でも、ほんとは寂しいよ。 

 ママに、もっと色々教わりたかった。 ママと、もっとお話ししたかった。 お姉ちゃんはママとたくさん一緒だったけど、あたしは、ちょっとしか一緒じゃない。 かっこいいママ、声が低くて、歌が上手なママと、もっと一緒にいたかった……。



 なんか、思い出したら、涙が出てきた。

 ここは、雲の上。 あたしは一人、お昼寝。 今日も空は、お天気だ。 雨雲よりも、ずうっと高いところにいるから。 

 目は覚めてるけど、起きたくない。 目を瞑ったまま、思い出す。 大好きだった、ママの事を。



「ぺろん」

「ぎゃっ!」

 あたしは、跳び起きる。 頭を、勢いよくぶつける。 頬っぺたを流れた涙をぺろんしてきたやつの、おでこに。

 こんな事するのは、一人しかいない。

「ふぇえん。 痛いよう。 よみちゃん、ひどい」

 でっかいおでこ、アミのヘーゼルナッツ色の丸いおでこが、少しだけ赤くなっている。 そこを自分で撫で撫でしながら、アミは涙目になる。

 あたしは起き上がり、アミの口を両手でにゅーっと伸ばす。

「おい。 ばかアミ。 ひどいのは、どっちだよ。 せっかくいい夢、見てたのに」

 アミは、あたしの両手に自分の指を絡ませる。 そしてあたしの頬っぺたをまた、ぺろっと舐める。

「うわっ! やめろ! ち……ちゅーとか、すんな!」

「ちゅーなんて、してないもん。 ぺろんだもん」

 アミはにこにこしながら、あたしの腕にまとわりつく。 そしてあったかい全身を、くりくりこすりつける。

「ちゅーは、こうでしょ」

 言いながら、アミはあたしの耳の付け根のあたりに唇をぷちゅりとくっ付ける。 ちゅう、って音が聞こえる。 ぞわぞわ、する。

「やっ……。 ばかっ……!」

 変な声、出てしまう。 こいつはほんと、おかしいんだ。 あたしが嫌がる事ばかりする……!

「やっ、やめろよ、アミっ。 ヴァンパイアか、お前っ」

 ちゅ、ちゅ、と何度も吸われる。 あたしの、耳の下。 また、変な感じになる。 お腹の下のほう。 じわじわ、変な気持ち……。

「あ……。 痕、ついちゃった」

 唇を離したアミが、あたしの耳の付け根を見ながら、言う。 そこを、指でやさしくなぞる。

「お前! どうしてくれんだよ。 ヘンな痕、付けんなよ!」

 アミは、ぶー、と言う。 唇を、とんがらせる。

「よみちゃんが、ちゅーとぺろんの違い、分かんないみたいだから。 教えてあげたんだもん」

「頼んでねえよ」

 あたしは、アミを睨む。 アミは、てへっとピンク色の舌を出して、頭を掻く。

「悪魔は、女の子同士でちゅーしないもんね……。 へんなの。 気持ちいいのに」

「そうだよ。 お前ら天使は、女同士も男同士も、女と男でもイチャコライチャコラするけどさ。 悪魔は、出っぱってるやつと引っこんでるやつでくっ付くの!」

 仲良しこよしの天使どもは、あらゆる組み合わせで引っ付いてる。 女同士、男同士、女と男。 そこいら中で、ちゅっちゅしている。 あたし達悪魔より、よっぽどスケベだ。

「よみちゃんも、天使になったらいいのに」

「ばーか。 なれっかよ」

「白い服、白い羽根、似合うよ、絶対。 天使になって、一緒におばかさんの人間たち、助けてあげよ」

「やだよ。 あたしは一人で、好きに生きるの」

「好きに生きるなら、アミと一緒ってこと?」

「何でそうなるんだよ……」

 ばーか。 あたしはなぜだか、笑ってしまう。 いけない、いけない。 アミを、調子に乗らせてしまう。

 あたしは、アミに背を向けて、宣言する。 背中で、かっこよく語る。 悪魔の、小さな黒い羽根で。

「あたしは……ママを探して、そんで、ママと暮らすんだ。 お姉ちゃんも、人間どもの世界から、呼び戻す」

 ママに会って、ママといっぱいお喋りするんだ。 あたしが一人でも何でもできて、かっこいい悪魔になった事、教えてあげるんだ。

 お姉ちゃんにだって、あたしはもう負けないくらい、強くなった事、見せたいし。 「お空の上より、人間が面白い」なんて言って、降りてっちゃったお姉ちゃん。 人間なんかより、あたしとお喋りしたほうが、絶対絶対楽しいもん。 あたしは、ママとお姉ちゃんに、会いたい……。



「ママ……」

 ぐす。 アミを見ると、でっかい目、銀色の瞳が、水面のように揺れている。 

 あ、やばい。 ママといえば、こいつも……。

「ママぁ……。 ママ、ママ」

 口をへの字に曲げて、べそべそ泣き始める。 大粒の涙が、ぼろぼろ落ちる。 目を、ぐしぐしする。 それでも涙は、止まらない。

 隣に座ってるあたしは、背中をとんとんしてやる。 羽根の付け根には、触れないように(えっちな気分になるから)。

「泣くなよ。 お前のママだって、そのうち、見つかるよ。 な。 死んじゃいないって」

 そう。 

 あたしのママが行ってしまったのと同じ頃、こいつのママも、天使の群れから消えてしまったんだ。 あんなに可愛がってたアミを、ひとり、置いて。

 


「えっ、えぐ。 ママっ、ママもっ、ひとりぼっちで、ざみじぐで、泣いてるがもっ……」

 アミは、えぐえぐ泣きながら抱き付いてくる。

 ……いつもだったら、べしっと、するけど。 今だけ、特別。

 あたしたちは、一緒だから。

 ママがいない、仲間だから。

「大丈夫だよ。 お前のママだって、強いだろ。 きっと、泣いてなんて、いねえよ」

 えぐえぐ、べそべそ。 アミは、涙が止まらない。

 あたしはまた、アミをぎゅっとしてやる。 背中を、さすってやる。 アミも、あたしの背中に回した手に、力を入れる。 ぴったり、抱きしめ合う。

「ママ……。 ママぁ……。 ほんとは毎日、会いたいよぅ」

 そんなん、あたしだって。

 あたしだって、そうだ。

 涙、出てきた。 天使の声は、響く。 そこにいるやつの心を、揺さぶってしまう。 アミは、本人はそう思ってないだろうけど、天才的に才能がある。 あたしも、どんどん悲しくなってくる……。

 ちくしょう。 このままじゃ、大泣きになっちゃう。 あたしは、無理やり歌う。

「ア……アミは……」

「なぁに、よみちゃん」

 うるさい。 黙って、聞け。

「アミは~。 いい子~。 いい子は、わるい子~。 わるい子は、いい子~。 よみは、アミが、だいすき~」



 ……くそはずい。 顔、あつ。

 なんか、言え。 ばかアミ。 あたしは恥ずかしくて、アミをぎゅーっとしたまま、動けない。

 しばらくして、やっと、アミが喋る。

「よみちゃん」

「あんだよ……」

 アミは、ふふっと笑う。

「すき……」

「……知ってるよ」

「耳……真っ赤だよ」

「知るかよ」

「すてきな歌……。 へたっぴだけど」

「うるせえ。 ママは、上手かったんだよ。 あたしだって絶対、歌、上手くなるし」

 アミは、ぎゅーを離す。 あたしに向き合って、頭をぽん、ぽんとしてくる。

「なる、なる。 よみちゃんも、上手くなるよ。 いっぱい歌お。 アミ、たくさん聴きたいな」

「ふん。 なにさまだよ」



 天使の声は、響く。 誰の胸にも。 心の奥、他人には、絶対見せないところに。

 アミに頭をぽんぽんされて、優しい言葉をたくさんかけられて。 だんだん、とろとろ眠たくなって……。

 あたしはそのまま、眠ってしまった。



 起きた時には、アミと二人、ぎゅっとしながら、雲に寝転がってた。

 ばかアミ……って起こそうかなって思ったけど、やめた。 また、心を揺らされたらたまんない。 あたしはアミが起きるまで、そこにいてやることにした(そしたらこいつ……昼まで全然、起きなかった。 やっぱり、すぐに起こしてバイバイすればよかった!)。

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アミとヨミ 下野 みかも @3kamoshitano

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