アミとヨミ

下野 みかも

第1話 天使と悪魔

「ね、ね」

 また、すり寄って来た。 うざい。 ほっとけよ。

「ね。 三つ編み、かたいっぽだけ、とれてるよ。 直してあげる」

「うっさいな。 自分でやるよ」

「だって、上手じゃないよ。 私、ほそーく、先まで編めるよ。 やったげる」

 髪を、触ろうとしてくる。 あたしは怖い顔を作って、振り返る。 あいつの手をパシッと、叩き落としてやる。

「触んなって」

「ぶー。 どうして。 髪、ぴしっとしてあげるよ。 天使は、親切なの」

「ありがた迷惑って言葉、知んないの? ばか天使」

 教えてやったら、背を向ける。 こいつとは、あんまり喋りたくない。 ばかが、うつるから。

 なのに、こいつ。 あたしの背中にぴたっと頬っぺたをくっ付けて、すりすりしてくる。

「知んなかった。 教えてくれて、ありがと。 悪魔も、親切だね。 やさしいね」

 ぞわっとする。 あまい、ミルクみたいな匂い。 胸が、どきどきする。 むずむずして、気持ち悪い。 やめろ。

「さ・わ・る・な!」

「きゃっ」

 振りほどくと、天使はころん、と転げて尻餅をつく。 ふ、ふん。 ばーか。 だっさーい。

「ふぇ……。 いたいよう」

 眉毛をハの字にして、でっかい目に涙をためて、唇をぎゅっと噛んでいる。

「あ……。 羽根、折れちゃった……」

 ちらっと見ると、大きな羽根が何本か、真ん中で折れている。

「あ……あたしのせいじゃ、ないし!」

 なんだよ。 根性なしの、天使の羽根! ばか。 知らない。 あたしは、二人で座ってた小さな雲を、飛び出した。




「よみちゃん…… よみちゃぁん……」

 あいつが、あたしを探す声。 天使の声は大きくなくても、よく響く。 今は、全然聞きたくない。 胸が、痛くなるから。

「よみちゃぁん…… どこぉ……」

 声は、半泣きだ。 泣いても、知らないし。 あたしのせいじゃないし。

 ていうか、気付けよ。 すぐ近くだよ。

 あたしは、さっきの雲からちょっとだけ離れた、上層の小さな雲で寝転がってる。 

「うっ……。 うぇえ……。 こわいよう……」

 天使は、いつも群れてる。 あいつらは弱虫だから、大勢じゃないと行動できない。 一人でふらふら飛ぶのは、とっても怖い事らしい。

「よみちゃん……。 アミ、ここだよぉ。 こわがらないで、出てきて」

「怖がってねえよ! 怖がりは、お前だろ! ばかアミ!」

 思わず、立ち上がって叫んでしまった。 あたしの、あほー。 悪魔は皆んな、短気(いいところでもある)。

「よみちゃん」

 アミの、ほっとした声。 天使の声は、響く。 あたしの心も、ほっとしてしまう。

「よみちゃん、よみちゃん」

 すいっと真っ直ぐ、あたしの胸に飛び込んでくる。 あたしの胸元が、濡れる。

「泣いてたのかよ。 ばか」

「だって、よみちゃんがいなくなっちゃうんだもん。 よみちゃんが、迷子で泣いてるかと思って……」

「は? なんで、あたしが。 お前こそ、羽根、痛いだろ」

「羽根、平気だもん。 もう、痛くないもん。 よみちゃん、ごめんね。 私が泣いたから、びっくりしちゃったんだよね。 やさしいね」

 まじで……うざ! 悪魔は、やさしくねえし!

 うざい天使は、空気を読まずに、あたしの胸に頭をこすり付ける。

「よみちゃん。 やさしい、よみちゃん。 好き……」

「お前……ほんと、おかしいよ」

 こんなとこ、他の天使や悪魔に見られたら、フクロだよ。 あたしはこいつを引きはがしたいけど、腕に、全然力が入らない。 こいつの甘い匂いと、ガラス玉みたいな、きれいな声のせいだ。 あたしはつい、こいつのふわふわの、白っぽい金髪を撫でてしまう。 気持ちいい。 心が、ほわほわする。

 アミは、甘えた声を出す。

「ねえ、ぎゅうしたまま、寝ようよう」

「だ、だめだよ。 ばか。 ねどこ、帰れよ」

「ぶー。 よみちゃんの、けちんぼ」

「うるせえ。 バレたら、あたしもお前もただじゃ済まされないだろ」

「けちんぼじゃなかった……やさしい。 私の事、心配?」

「うざ! あたしが心配なのは、あたし! お前なんて、心配してないから!」

「嘘。 分かるもん。 よみちゃん、私がほかの天使に意地悪されたら可哀想、って思ってる」

 アミは、あたしの頬っぺたを人差し指でぷにっとする。 そのまま指をスライドさせて、唇に触れる。

「よみちゃんは、やさしいもん」

「お前……いい加減にしろよ」

 あたしは、その指をぱくっと食べる。 がりっと、噛んでやる。 痛いだろ。 ばーか。

 アミの顔を見ると、なんだか変な顔をしている。 目がとろんとして、口をちょっと開けて、頬っぺたが赤くなっている。

「よみちゃん……。 アミも、お指食べたい」

 そう言うと、アミはあたしの人差し指を取って、ぱくっと食べた。 ちゅうちゅう、吸って。

「や、やらっ!」

 あたしは叫んで、噛んでたアミの人差し指を口から離す。 吸われてるあたしの指も外したくて引っ張るけど、アミは離してくれない。 ちゅうちゅう、ぺろぺろし続ける。

「やめろよぉ……」

 気持ち悪い。 気持ちいい。 天使は、全部気持ちいい……。




「よみちゃんのお指、おいしかった」

 気が済んだのか、アミはにこにこしている。 あたしは、ぐったりだ。 しゃぶられてた指はふやけて、すっかり白くなってる。

「よみちゃん、また遊ぼ。 今度は三つ編み、ぴしっとしてあげるから」

「ふん。 今度は三つ編み、取れないようにしてくから。 お前になんて、直させないよーだ」

 あたしはべーっと舌を出す。 悪魔の舌は、怖いぞ。 二股に分かれてて、長いんだ。 

 アミは、あたしのかっこいい舌をちょん、と触る。 こいつは、すぐに触ってくる。 どこでも。

「よみちゃん、かわいい。 大好き。 ほんとは、おくち同士でキスしたい……」

 あたしの舌に触れた自分の指を、ちゅっと舐める。

「お前……そういうの、やめろよ。 怒られるぞ」

「いいもん。 怒られたって、よみちゃんが好きだもん……」

 アミは、あたしにぎゅっと抱き付いてくる。 あたしの背中の羽根の、付け根をやさしく触る。 ぞわっとする。 気持ち悪いんじゃない、お腹の奥がしびれるような、気持ちいいやつだ。 あたしもつい、アミの羽根の付け根に触れてしまう。 アミも、身体をぴくん、とさせる。

「羽根……ごめん」

「平気だよ。 どうせ、そのうち抜ける羽根だったんだよ。 よみちゃんは、悪くないよ」




 あたし達は、しばらくそのままぎゅっとした。 

 空がすっかり暗くなって、星がきらきら光るまで、そうした。 そしてお互い、ねぐらに戻り、アミは天使の仲間たちと、あたしは一人で、今日のことを思い出しながら、眠った。

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