うちの猫は
柚城佳歩
うちの猫は
「あぁーっやばい!やる事多すぎて何から手を付けたらいいかわからない!」
朝ご飯の途中で突然叫び出した俺に、ベッドの上に優雅に座った猫のこんぶから冷ややかな視線が送られる。
こんぶは俺の大学入学が決まった時、伯父さんに直接報告しに行く途中で出会った元野良猫だ。
寄ってくるままに一頻り撫でてから立ち去ろうとしたらずっと後をついてきて、困った俺が伯父さんに相談したところそのまま伯父さん宅で飼われる事になったのだった。
野良の頃から太太しかったこんぶは、今も自分には関係ないとばかりに欠伸をした後、二度寝の態勢に入っている。
「今描いてる原稿も途中だし、今日は一限から授業もあるし、食べ物も買いに行かなきゃだし、トイレットペーパーも切れそう。部屋の掃除と洗濯もそろそろしないと。あぁ……まじでこのままじゃ卒業前に家に戻される」
うちの両親、というよりも父は厳しい人で、子どもの頃「漫画家になりたい」と言った時も「そんな不安定な博打みたいなものを選ぶな」の一点張りでまともに話も聞いちゃくれなかった。
それでも諦め切れず密かに投稿し続けていたある時、とある漫画賞に入選。
一応の成果を挙げた事で、大学をしっかり卒業する事を条件に、父も渋々ながら最終的に納得してくれた。
今は
今暮らしているマンションは父の兄である伯父さんのもので、大学入学を期に一人暮しをしたいと思っていたタイミングで伯父さんの長期出張が決まり、「出張中のお留守番」という名目で部屋に住まわせてもらっているのだ。
誰かの手助けがなくともちゃんと家事もするし勉強も頑張ると宣言したのに現実はどうだ。
数日分溜まった洗濯物と、物を積み重ね端に寄せただけの整頓。キッチンはこのところ未使用なため綺麗なままだが、その分インスタントとお弁当のゴミが大量にある。
「せめて今週だけでも誰か俺の代わりに授業に出てくれ……」
縋る思いでこんぶを見ると、鼻でフッと笑われたような気がした。
こいつ、時々妙に人間くさい表情するんだよな。
「こんぶ様お願いします。出席の名前呼ばれたら返事して、後は教科書用意して座ってるだけでいいんです」
なんて、猫に言ってもしょうがない。
「一度返事をした後は、ただ座っているだけでいいんだな」
「うん、もうそれでいい。内容を要約して教えてくれたら最高だけど、そこまで贅沢言わない。後で自分で何とかする」
「わかった。大学までの道程と、教室とやらの詳しい場所を教えてくれ」
「大学まではまず外に出て右に……って、え?」
待て。俺は今誰と会話しているんだ。
まさかと思いつつ振り返ると、ベッドに腰掛けているこんぶと目が合った。
「え、座って……?」
「猫というものはこういう座り方をしないんだったか。まぁいい。それよりも先程大学に行くと言ったが、それはやはりオレが行け。その間、マンガとやらをワタシが引き受けよう。オレがいつも熱中してやっていたものに興味があったのだ」
「ちょちょちょ待って!こんぶ、普通に喋ってない!?え、夢!?っていうかオレって……俺?」
「騒がしい。オレはオレなんだろう?ほれ、さっさと出掛けたらどうだ。ついでに洗濯と掃除もしといてやる。お前の父親と住む事になったら窮屈そうだ。この場所を守るための協力をしてやろう」
「……一旦頭を整理させてください」
これまで一年以上こんぶと一緒に暮らしてきて、ここにきてまさかの新事実が発覚した。
こんぶは猫ではなかった。
じゃあ何かというと特に名称があるわけではなく、それでもどこかに分類するのであれば、UMA、未確認生物になるらしい。
その体はどんな形にも変えられ、人間にだってなる事が出来る。
実際に今、俺からデジタル作画の基本的な操作の説明を受けるこんぶはどこから見ても人間だった。
「えーと、こんぶ?こんなにいろいろ出来るんなら、もっと早く言ってくれても良かったのに」
「せっかく居心地の良い場所を手に入れたのだ。気味悪がられて追い出されたら堪らん。人の形を取ると、戸籍やら仕事やらで面倒な事が多いが、
「……なるほど。じゃあ俺の事を“オレ”って呼ぶのはなんで?」
「それが名前ではないのか?ご飯の時も、こっちはオレのでこっちがこんぶの分などと言っているだろう」
言われてみれば確かにそうだ。他に誰かがいたら普通に名前を呼ばれるんだろうけど、一人でいる時に自分の事を名前で呼ぶなんてそうそうない。
「今更だけど、俺の名前は真絋な。そう呼んでくれ。っていうかやっぱりこんぶに大学行ってもらった方が助かるんだけど」
「
俺はまだ夢を見ているんじゃないか。
そんな思いが抜けきられないまま大学へ行き、上の空で授業を受けつつ、その日の全ての講義が終わるとすぐに家へと帰った。
「ただいまっ」
中に入ると朝に見たままの人間版こんぶに迎えられた。部屋は朝と見違えるほど綺麗になっている。ベランダには数日分の洗濯物が並べて干されていて、冷蔵庫は食材でいっぱいになっていた。
「帰ったか」
「これ、全部こんぶがやってくれたのか……?家事とか出来たんだ。正直、期待してなかったからすごく驚いてる」
「失礼なやつだな。そう複雑でもないし、やり方くらいは見て知っている」
そういえば猫の姿の時でも勝手に棚や冷蔵庫を開けて食べ物を漁っている事があったなと思い出す。元々器用なのかもしれない。
「ありがとう。買い物までしてきてくれたんだな。本当に助かったよ。あ、そうだ!漫画は?」
「そちらも終わっているぞ。ついでに賞というものにも出しておいた」
「おいおいおい、そこまでは頼んでなかっただろ。何勝手に応募までしてるんだよ……!」
「どうせすぐに出すつもりだったろう。次からはまた真絋が描けばよい。それよりも、マンガもなかなか面白いものだな。真絋が熱中するのもわかる」
もう応募してしまったのならここで俺がどうこう言っても仕方がない。ギリギリまで仕上げられていなかった自分が悪いのだ。今回は諦めて次回からまた頑張るとして、取りあえずはこんぶが描いたという漫画を読んでみる事にした。
開いたパソコンの画面には、一話分の読み切り原稿が表示されていた。
あの短時間でどう仕上げたのか、トーンや色塗りまで終わっている上にちゃんと俺の絵柄にも似せてある。
実在した偉人と猫のエピソードを、猫視点でコミカルに纏めた内容で、言葉選びやテンポも良く面白かった。
「……こんぶってもしかして魔法でも使えるの?」
「そんなわけないだろう。まぁ伊達に長く生きているわけではないからな。年の功というやつだ」
「年の功って、俺よりは年下だろ」
「見た目で判断するのは早計だぞ。ワタシが姿を自在に変えるところをその目で見ただろう。先程のマンガの内容も、実際に体験したものだと言ったらどうする?」
「え、じゃあこんぶって……」
猫の時にもよく見た不敵な笑みを見せたかと思うと、一瞬のうちに再び猫の姿へと戻った。
「昔に比べてペットの寿命は随分延びたが、やたらと長生きな動物がいると思った事はないか」
「それは、その子の体質とか、あとは飼い主さんに大切にされているからじゃないのか」
「まぁそういうものがほとんどだろうな。だが中にはワタシのような存在もいるんだよ」
「え……」
それはあまりに突飛な話だった。
「ワタシたちは遥か昔から、様々に形を変え過ごしてきた。人はもちろん、動物であっても、長い時間衰えずに生きているのはさすがに不自然に思われるからな。そうなる前にいなくなるようにしてきたのだ」
「じゃあ、まさかと思うけど、猫が死ぬ前にいなくなるって話が生まれたのって」
「全てとは言わないが、ワタシたちの行動も元になっているかもしれないな」
「はぇー……」
なんというか、すごい。今はそれしか言葉が浮かばなかった。
「真絋、ちょっといいか。ここまでの話を聞いてどう感じた?気味が悪いと思ったか」
そう聞くこんぶの表情には、僅かながらも淋しさが見えた気がしたから。
「そんな事ないよ。そりゃ現在進行形で驚いてはいるけどさ、なんかそれ以上に面白いし。新しい友達が出来た感じ?」
「……そうか。ならばまだ暫くはここにいよう」
「改めてよろしくな、こんぶ」
さて、自分の中ではすっかり忘れていたこんぶが描いて応募までしてしまった漫画賞の事だが。
「本誌、掲載、決定……?」
「よかったではないか。これで家に戻される心配もなくなるだろう?」
「いや、うん、いや、そうなんだけど。すっっごい複雑!!」
意図せず他人の褌で相撲を取った気分だ。
素直に喜べるはずがない。
しかもだ。掲載の連絡をもらった時、この方向でまた描いてみる気はないかと聞かれてもいた。
「ワタシが持ってきたチャンスだと思えばいい。ここから生かすも殺すも真絋次第だな」
まぁすっきりとはしないけれど、こんぶの言う通りでもある。
「やってみるか。実は俺も面白いと思ってたし」
「歴史の勉強と思って、この機会にいろいろと調べてみるのもいいかもしれないぞ」
「原稿の作業する時は手を貸してくれるか?」
「断る。助力を得たいなら先に連載を決めてこい。それに、そういう煩わしさから逃れるために猫の姿を選んでいるのだ。ワタシは猫だぞ。猫の手をそう簡単に借りられると思うな。まぁしかし、たまにならネタの提供くらいしてもいいぞ」
「それはネタとか関係なく、昔の人の話とか普通にもっと聞いてみたいんだけど。こんぶは今までどんな生活をしてきたんだ?俺の知ってる偉人に会った事はある?こんぶの仲間ってどれくらいいるの?」
「一気に質問するな。気が向いたら答えてやる。なにせ、時間はたっぷりあるのだからな」
猫改め謎の生物とのこれからの生活は、今まで以上に賑やかになりそうだ。
うちの猫は 柚城佳歩 @kahon
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