キャットハンド
香居
うららかな昼下り
オフィスの一角で、キャットハンドに骨抜きにされた女子社員がいた。
「どうだ?」
「いいれふぅ〜」
「押し具合とか」
「あぁぁ〜」
「……村田」
「はえぇ〜」
「おい」
「あでっ」
体の力を抜きまくっていた女子社員・村田は、頭にくらった衝撃で無理やり現実に引き戻された。
「何すんすか、先輩〜」
「お前が被験者の役目を果たさないからだろう」
村田から非難の目を向けられた先輩・緒方は、冷ややかな目で返した。
「せっかく猫ちゃんの手で気持ちよくなってたのに〜」
「だったらそう言え。『はえ〜』じゃ参考にならないだろうが」
「いや、私の顔がゆるみまくってる時点で一目瞭然じゃないっすか」
「お前の顔は年中ゆるみまくってるだろうが」
「ヒドイッ! 先輩、パワハラっす!」
村田は、しくしくと泣く素振りを見せた。
「泣き真似をするなら、涙を出すくらいの芸当は見せろ」
「うわ、容赦ないっすね〜」
「お前に容赦する必要性は微塵も感じないな」
「後輩に優しくするのも、先輩の役目じゃないんすか?」
「素手は止めておいてやっただろうが」
緒方は、両手に猫の手型マッサージ器をはめたまま、腕組みをして鼻で笑い飛ばした。
「……顔は魔王みたいなのに、手だけはファンシーなんすよね」
「何をジロジロ見てるかと思えば……」
呆れる緒方は深いため息をついたが、冷酷な印象を与えてしまう顔立ちとキャットハンドの組み合わせは、ネタか何かにしか見えない。
「これは社長命令なんだぞ。真面目にやれ」
「わかってるっすよ〜。あの人の猫へのパッションは、『猫同盟』会員の私でも、ちょっと引くくらいっすからね〜」
「……くそっ……自慢か……!」
村田の言葉をマウントと捉えた緒方は、小声で悪態をつき、唇を噛み締めた。
緒方は『猫同盟』に加入できなかった。なぜか、ことごとく猫に逃げられてしまうからだ。猫が警戒するような者は参加を認められない。
猫へのパッションなら、誰にも負けない自信があるのに。
「……くそ……っ……」
緒方はキャットハンドをはめたまま、手を握りしめた。
「じゃあレビュー行くっすよ〜」
緒方の様子を、まったく意に介さない村田が〝ネコサーチ〟の目になった。緒方は、いつもこういう真面目な顔をしていれば、少しマシなんだがな……と思った。
「『キャットハンドもみもみ』のほうは、だいぶタロ
タロ吉は町内のボス猫で、筋肉質の魅惑的なボディを持っている。猫好きかどうかを問わず、ファンが多いことでも有名だ。社長と村田の話では、タロ吉の手が再現できれば、マッサージに求められる〝理想的な力強さ〟に限りなく近づくのでは、とのことだった。
タロ吉にさわれるのは、『猫同盟』の中でも限られた者のみ。普通の者は、近づくことさえ許されないのだ。よってリアルの追求を命じられた商品開発には、村田が欠かせなかった。
緒方は、自分が一度でもタロ吉の猫パンチを受けていれば、今すぐにでも完璧に再現してみせるのに……と歯噛みした。
「んで、『キャットハンドふみふみ』のほうは、ユキミの仔猫感がもうちょっと……って感じっすかね〜」
ユキミの正式名称はユキミダイフク。真っ白な毛並と、ふにふにとした感触が雪見だいふくにそっくり、というのが由来らしい。ふにふにとした仔猫の〝ふみふみ〟に癒やされる者は多いはず、というのが社長と村田の
本物にさわらせてもらえない緒方は、過去に一度だけ雪見だいふくを買ってみたことがある。淡い期待とともにパッケージを開け──
ふにふに
ふにふに
ふにふ……
指先から、冷たさと虚しさが広がっただけだった──
「猫好きは特に、触感にこだわるっすからね」
村田のひと言で、緒方は我に返った。
「『極上の癒しを、あなたに』ってコンセプトなんすから、中途半端なモン作ったら批難殺到っす」
「わかってる。……それでは引き続き、試作と試用を繰り返していくぞ」
「了解っす!」
──その後、2年余りの歳月をかけ、正式に商品化した『キャットハンドもみもみ』と『キャットハンドふみふみ』は、ともに大ヒット商品となった。
猫愛好家のみならず、猫好きだが猫アレルギーの人々にも大好評だったようで、
『これ……! このさわり心地……!』
『二度と堪能できないと思っていた至福が、戻ってきました! ありがとうございます!』
といった感想が寄せられた。
社長も大満足の様子で、緒方と村田にもお褒めの言葉があった。
緒方は帰宅後、今日も『キャットハンドふみふみ』を頬に押し当てながら、嬉しそうに呟いた。
「……ユキミたん……」
その声には、どこか哀愁が混じっていた。
キャットハンド 香居 @k-cuento
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