猫田社長の猫【KAC20229:猫の手を借りた結果】

冬野ゆな

第1話 猫田社長は猫好き

 猫田又三郎氏は、大の猫好きで有名である。

 彼はとある大企業の社長で、何度も取材を受けている。にも関わらず、その内容のじつに8割が猫に関係するのだ。おかげで街のなかでは、「あのおじさんは動物番組に出ている人」とかんちがいしている人もいるという。


 会社の業務は猫とまったく関係がないのだが、オフィスの中では猫を放し飼いにして、数匹の猫たちが我が物顔で闊歩している。社内にはじめてやってくる人間は必ずびっくりするが、社内の人間はすっかり慣れたものだった。

 なにしろ真面目な会議の最中でも好き勝手に机にのぼる猫をものともせず、熱い議論を交わしているのだ。社長しか入れない大金庫でさえ、ひょっとしてお金や貴金属ではなく高級な餌が入っているのではないかと冷やかされていた。とにかく、猫好きにとっては天国のような会社だともっぱらの噂だった。


 特に猫田社長には、「会長」と呼んでかわいがっている猫がいた。会長だけは猫田社長が個人で飼っている猫で、いつも一緒にいた。専用車で一緒にやってきて、社長室で餌を貰い、また専用車で一緒に帰るという有様で、秘書や社員もちゃんと「会長」と呼んでうやうやしく喉を撫でてさしあげるのである。

 これについて猫田社長が、いちどなにかの番組で語ったことがある。


「私はいち企業の責任者であると同時に、猫のお世話係のようなものですから、猫が会長でもさしておかしくはないでしょう」


 社長はそう言って笑っていたという。


 ところで、そんな猫田社長には最近楽しみにしていることがあった。三ヶ月後にロンドンで開かれるという、猫と、猫好きのための一大イベントが開かれるというのだ。保護活動の一環であるらしく、猫田社長はイベントの挨拶に招かれ、スケジュールが空いていると知るやなによりも優先して入れた。

 その日も、新製品の売り込みに来た営業マンに対して渋い顔をしていたものの、イベントの話をされると一気に機嫌が良くなった。


「もしかして、ロンドンのイベントですか」

「おお、きみも興味があるかね?」

「実は私も猫を飼っていましてね。どうですか」


 営業マンが自分のスマホを取り出して渡すと、そこには可愛らしい猫がいた。おお、と猫田社長はその愛らしさに、しばらくスマホをまじまじと見ていた。


「拡大されても構いませんよ」

「本当かね? では失礼して……。これはなかなか愛らしい猫だが、なんという種類なのだね」

「実は雑種なんですよ。いまはミックスというらしいですが、なんせ野良猫だったもので、お恥ずかしい」

「ほう、そうかね! いやいや、それにしたっていい猫じゃないか。大切にしたまえよ」

「はい。社長に褒められるなんて恐縮です」

「いやすまない、猫のことになるとつい、ね」

「いえいえ、構いませんよ」


 男はにっこりと笑うと、差し出されたスマホをつまむように受け取り、そのままポケットへ入れた。そうして猫の話題でひとしきり盛り上がると、営業マンは帰っていった。

 営業としてはそこそこでも顔は売れたので、満足したのだろう。


 営業マンはそのまま会社を出ると、何事もなかったかのように歩いていく。


「ようし、これで揃ったぞ」


 営業マンはにやりと笑うと、オフィス街ではなくうらぶれた路地裏のアジトへととって返した。

 中では、男の帰還を待ちわびた仲間たちが居た。


「とれたぞ。ここらへんの指紋がそうだ。まちがって消すなんてしてくれるなよ」

「へへへ、わかってますよ」

「近所の野良猫を手懐けた甲斐があるな」

「これぞまさしく猫の手も借りるってやつだ。がははは……」


 男は大笑いすると、さっそく準備に取りかかった。

 猫田社長の指紋つきのゴム手袋を用意したり、部下の一人に命じて猫田社長の指紋に整形させたりした。法外な値段だったが、これから手に入る金に比べればはした金だった。


 そうして準備が整い、男たちはちょうど社長がイベントに出かけた時を見計らい、大金庫まで忍び込んだ。猫の餌が入っているなどと言われているが、そんなのはジョークの類なのは明白だ。

 部屋の鍵を開けると、大金庫が姿を現した。

 金庫の横には指紋認証用のパネルが設置してあった。


 男達はにやにやと笑うと、まずは整形で手に入れた猫田社長の指を押しつけた。

 ところがパネルは赤く光り、もう一度指紋を押しつけるようにアナウンスが流れた。


「おいっ、何やってるんだ」

「おかしいな。もうちょっと上のほうかな」

「ぐっと押しつけてみろよ」


 もう一度やってみるが、再びパネルは赤く光ってしまった。


「お、おかしいな」

「おい、早くしろよ」

「わかってるよ」


 しかし三度目もうまくいかず、四度目、五度目とパネルに指紋を押しつけても駄目だった。


「もういいっ、もう一度代われ」

「ええっ、もう一度やるのか?」

「これ以上やると、サツの連中がやって来ちまうぜ」

「うるさいなっ、こいつを作るのにいったいいくらかかったと思ってるんだ」


 男たちは焦って何度も指を押しつけ合ったが、それよりも警察が会社の周りを囲むほうが早かった。何度も指紋認証に失敗したことで、セキュリティ会社に連絡がいったのだ。誰もいない時間帯の、しかも不審なアクセスが何度もあることから、そのまま警察のほうにも要請が行ったのだ。

 あっという間に囲まれた男たちは、あれよあれよという間に警察によって確保されてしまった。彼らはがっくりと肩を落とし、パトカーで運ばれていった。


 それからイベントを楽しんだ猫田社長が帰ってくると、事情聴取に来た警官と社長室で話し込んだ。


「しかし、大金庫があかなかったのは幸いでしたね」

「ええ、本当に。被害もガラス代くらいで済んで良かったですよ」


 猫田社長のそばでは、会長があくびをしていた。

 警官はその様子をちらりと見て、少しだけ頬を緩めてから視線を戻した。


「驚くべきは、犯人グループはスマホについたあなたの指紋をとって、一人は整形手術までして指の指紋を変えていたんですよ。そこまでしてあかなかったんですから、本当にセキュリティはしっかりしているんですね」

「ははは。ずいぶんと手が込んだことをしていたんですね。でもそりゃあ、スマホについた指紋なら、ひょっとして人差し指ではなく中指だったとか、少しずれていたとかあるのかもしれませんなあ。それに、指の整形手術なんてするような医者、碌な腕も持っていないでしょう。完璧というものはないのですよ」

「ははあ、なるほど。確かに言われてみればそうですね」


 警官はそれで納得して帰っていった。

 猫田社長はやれやれと一息つくと、ニャーンと鳴いて近寄ってきた会長を膝の上にのせた。


「おやおや、ずいぶんとご機嫌ですな、会長。そういえば、大金庫から書類を取ってこないといけない用事があるのです。ちょっとついてきてもらいますよ」


 そう言って、会長を抱いて歩き出す。

 そうして大金庫の部屋に入ると、金庫の横についている指紋認証の前に立った。


「それじゃあ会長、お願いしますよ」


 猫田社長は会長の前足を手にすると、指紋認証用のパネルにぽんと押しつけた。すると、途端にパネルが認識され、ごうごうと音をたてて大金庫が開いたのである。これは会長の肉球で開けるようにした、猫田社長の特注品なのだった。


「ははは。まさか泥棒たちも、ここが会長の肉球で開けるようになっていたとは思わなかったようだな。これぞ猫の手も借りるというやつだね……さあ会長、もう少々お待ちいただけますか。書類を取るのに会長のお手は借りられませんからな」

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猫田社長の猫【KAC20229:猫の手を借りた結果】 冬野ゆな @unknown_winter

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