猫の手も借りたいと呟いたら、美少女が家に付いてきた。

杜侍音

猫の手も借りたいと呟いたら、美少女が家に付いてきた。


「君、わたしを飼ってみない?」


 目の前の女はそう高らかに宣言した。

 彼女との出逢いは、ほんの数分前に遡る。


 憧れだった社会人になってから三年目──見事に中身真っ黒な会社に勤め、お先真っ暗な人生を歩むこととなった俺は、今日も終電ギリギリに滑り込み帰宅していた。

 明日は数ヶ月ぶりの休みだ。もう早く帰って寝たい……が、待っている家は明かりの付いていないただ出入りするだけの倉庫みたいになっている。

 一人暮らしを始めれば家事を頑張ろうと意気込んでいたあの日の俺はどこへやら。洗い物や洗濯は溜まり、ゴミも散乱してしまっている。

 誰か代わりにやってくれるような恋人や同居人はいない。ハウスキーパーを雇えるような金もない。

 休みの日こそするべきなのだろうが、もうそんなことをするやる気も体力も残っていなかった。


 ……猫の手も借りられるなら、借りたいな。そう呟いた時だった。


「君、わたしを飼ってみない?」


 振り返るとそこには知らない女性がいた。

 現代社会を示すかのように狂いなく等間隔に配置された街灯。その内の一つが消えかけて点滅している明かりの真下に人が立っていた。

 さっき、通った時はいなかったような気がするけど、疲れ過ぎてて見逃したのかもしれない。


「どうやらお疲れのようだね」


 俺は首を傾げ、彼女が誰なのかを尋ねた。


「わたし? わたしはー……ただの通りすがりの宮緒菜緒みやお なおだよ」


 通りすがりの個人名は聞いたことないんだけど。

 それにしても飼う、とはどういうことなのか。


「等価交換ってやつ? わたしは今、身を寄せられるような住居を探していてさ。どうかな? 飼われ身として家事ならひと通りするよ、多分」


 多分なの⁉︎

 どうしよう、ただの浮浪者な気がするぞ。怪しすぎる……が、しかし! そんなことはどうでも良いほどに美少女だった!

 センター分けの黒髪は肩ぐらいまでの長さのミディアムヘア。張り詰めた白いワイシャツから見られる谷間。デニムを穿いた彼女がモデルのお手本となるようなプロポーション。定規で正確に測られたのかというほどに作成配置をされた顔。

 少し鼻につく話し方をしているが、大した問題にはならないほど可愛かった。


 しかし、一つだけ問題がある。

 彼女が未成年なら法律や条例やらで確実に裁かれる可能性があるということだ。

 今の仕事は辞められるだろうけど……次の仕事が見つからなくなるなどリスクが高過ぎる。


「え? わたしの年齢? んー、一応成熟した大人だけど」


 嘘はついてなさそうだ。なら問題は解決したな。

 俺は二つ返事で家に上げた。疲れは明日以降に持ち越して抱え込んでやるから、今夜だけは抱けるだけの体力は持ち堪えて欲しい。



「……想像以上に汚いね」


 絶句してしまうほどの汚部屋。これじゃムードもクソもないだろう。


「まぁ、ここはわたしに任せたまえ! ささっ、君はそこで座って待っているといいよ」


 いきなり部屋の片付けを任せてしまっていいのだろうか。宮緒に促されてベッドに腰掛けると……朝になっていた。

 って⁉︎ 寝てた⁉︎

 やっぱり限界だったんだ。すぐに寝落ちしたためか記憶がない。

 それにしても彼女がいない。まさかの夢オチ? それとも大胆な犯行に及んだ泥棒か? だが貴重品は鞄の中にあった。

 彼女の正体に考えを巡らせていると、とても……鼻に付く臭いがしてきた。


「あ、起きたんだ。朝ご飯を作ってみたよ。ささっ、食べて食べて。味見はしてない」


 味噌汁を作ろうとしていたのか。粘り気のある液体と具として相応しくない固い物がプカプカと浮かんでいた。

 というより部屋も片付いてない! むしろ散らかってる!


「いやー、片付けようとしたんだけどね。なにせ物のデフォルトが分からないしさ。それよりも、この白いフワフワしたものから独特な匂いがして、ついこれで遊んでしまった」


 彼女が指差す床には、自家発電によって生成された精ある、ノォォォォオ‼︎


「やっぱり家事できませーん! だからまずはやり方教えてよ。教えてくれれば次はできるからさ。わたしの飼い主ならそれくらいしてー。ねむ〜」


 俺のベッドにうつ伏せに寝転んで、尻を突き出すようにして背筋を伸ばす。なんじゃこいつ、いいお尻しやがって……。

 まぁしかし、今日は俺も久々の休日だ。溜まった家事を片付けるついでに、そこまで彼女が言うなら一緒に教えてやろう。

 一日たっぷりとかけて、俺は宮緒に家事を叩き込んだ。



「──じゃあ、気をつけてね。車には気をつけるんだぞ」


 翌日。

 嫁、ではなくまるで母のように俺を見送った宮緒。

 エプロン姿の彼女もまた可愛い。

 今日もいつもと同じく馬車馬のように働いたわけだが、彼女が作ったこの不細工な弁当と、家に辿り着けば待っていてくれていると思えば、なんだか頑張れる気がした。


「おかえりなさい。どう? 家事できたくない?」


 終電ギリギリだったけど足が軽かったのかいつもより早く帰宅すると、見間違えるほど綺麗になった俺の家がそこにあった。

 彼女は自慢げに言うが、本当に一日で完璧にこなすほど優秀じゃないか。


「ご飯も美味しくできたし、それにお風呂も今日は溜めてみたよ。ささっ、どうぞ」


 こんな色彩豊かな食事はいつぶりだろうか。

 見た目はもちろんのこと、味も申し分ないほど美味しい。ローテーブルを挟んで向かいに座る彼女の笑顔を見れば一目瞭然だろう。

 お湯に浸かったのも何年振りだ? 体操座りじゃないと入れないがそれでも落ち着く。


「いやいや、わたしはお風呂はいいよ。既にシャワーで済ませてるし」


 思い切って一緒に入ってみないかと誘ってみたが、断られてしまった。まぁ仕方ない。


「ささっ、早く寝た方がいいよ。睡眠が一番大切だからね」


 またまたそう促されて、メイキング済みベッドに入るとそれはもう最適解な眠りについた。

 朝起きて、働いて、家に帰ったら寝るだけだった生活に彼女が加わったことで、生活の質は向上した。

 そのおかげか仕事が上手く行き始め、仕事で出会った人のつてで新しい職場へとスムーズに転職することもできた。


 これも全部宮緒のおかげなんだよな。

 今日はケーキでも買って帰ってやろう。あいつチョコケーキとか好きかな。


 ──だが、家に帰るとそこに彼女の姿はなかった。

 確信したのは机の上にあった書き置き。


『旅に出ます』


 タイトルとして大きく書かれていた文字の下に文章が続いていた。



 ──しばらく家に居候させてもらったので、ちょっくら旅に行ってきます。

 そういえばどうして、いきなり目の前に現れたのか言ってなかったよね。

 覚えていますか? 2年前のこと、君が一匹の猫を拾ったことを。



 ……覚えている。

 あれは春先の雨の日だった。

 社会人一年生。まだいつもの帰り道にすら慣れていなかった頃、一匹の太った猫が衰弱して倒れていたのを拾った。

 昔実家で猫を飼っていたから余計に可哀想だと思い、ペット禁止だと言うのに数日間看病したんだっけ。

 病院に連れて行こうにも当時もお金はなかったし、少しすれば元気になっていつの間にか家からいなくなっていた。

 確かにそんなことがあった……。


 もしかして、その猫が宮緒だったのか……⁉︎



 ──いや別にその猫はわたしじゃないんだけども。



 違うんかい!



 ──けど、知っていたよ。君が優しい人だってことを。

 だから困っている君を代わりに恩返ししてあげようと思ったってわけ。

 命を救ってくれた君が楽しく生きられるように、ね。

 楽しかった? わたしは色々できることが増えて楽しかったよ! わたしを飼ってくれてありがとう‼︎



 宮緒の文はここで終わっていた。

 なんだよ、幼稚園児並みに下手くそな字だな……ちくしょう、まだお前を抱けてねぇっての。こっちは下心だけで家に入れたってのに、勝手に消えやがって……


「ただいま〜」

「どこ行ったんだよ宮緒……‼︎ ……え?」

「え? ちょっと新宿に。いやー3D猫、迫力凄かったよ」


 普通に帰ってきた。

 どうやら旅という名の散歩をしていたらしい。


「おや? おやおや〜? なんか目にキラリと光るものがあるように見えるけど〜?」


 ニヤニヤと近付く宮緒。俺は恥ずかしくなって急いで目元を擦る。


「なんだ〜。わたしがいなくなって寂しくなってたのかー。ここ、意外と気に入ったからさ。わたしの大事な拠点としてまだまだいさせてもらうよ〜。ん? これ何ー?」


 俺は話を逸らすかのようにして、ケーキの箱を差し出した。

 今日は元々感謝の想いを伝えるために買った。こっちもこっちで照れてしまうが、さっきの叫びよりはマシだろう。


「わぁ……わたし、チョコ食べれないけど」


 …………。


 宮緒の美味しい晩ご飯を食べた後、俺は彼女の目の前でケーキを二つ食った。

 今も、そしてこれからも、こいつは側でニヤニヤしながら見守ってくれるのだろう。




   ◇ ◇ ◇




『お母さん。あの人がお母さんを助けてくれた人なの?』

『そうよ。あの人がいなければ兄弟みんな産まれてなかったのよ』

『へー』


 母が指す人間の男はとても頼りなさそうに見えた。

 目の光が消え、今にも死にそうだ。とても母の命を救ったように思えない。


『何か恩返しができたら良いけど、猫のままじゃあね……』

『なら、わたしが代わりに恩返ししてあげるよ! だってわたしは人間に変身できちゃうからね! とうっ!』


 わたしはどこかの街で見た妙齢の女性に変身した。


『まぁ……! ならお願いできるかしら。私を救ってくれたあの人を助けてあげて欲しいの』

「おっけー。わたしに任せてよ! それに、わたしの命の恩人でもあるわけだからさ!」

『ありがとう。まずは人間の服がいるわね。明日のゴミを漁れば見つかるかもしれないわ』

「そうだね。はっくしゅ! いやー、もう春も終わりだと言うのに人間ってこんなにも寒さに弱いんだなー」



 こうして、お母さんを、わたしを助けてくれた彼を助けるために、あの日の夜逢いに行ったのだ。


「君、わたしを飼ってみない?」

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猫の手も借りたいと呟いたら、美少女が家に付いてきた。 杜侍音 @nekousagi

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