第11話 捨てられる私


「…………」

「立て。帰るぞ」


 愉悦を含んだ父の声。

 腕を掴まれ立たされる。

 馬車に乗せられ、私とリオハルトが降ろされたのは夕闇に染まりつつある森の入り口。


「こ、ここは……」

「エイシンに『お前は前任勇者の聖剣を取りに行った』と伝える。こう言えばわかるだろう? いいか、たとえ本当に前任勇者の聖剣を持ち帰っても、二度と我が家の敷居は跨がせんからな! お前は用済みだ! もうなんの価値もない! せいぜい家の迷惑にならんところでのたれ死ね!」


 それが私に望むことですか。

 それがトイニェスティン侯爵家に、私ができる最後の方法。

 私だけでなくリオハルトも?


「お、お父様、いえ、侯爵様、リオハルトも……ですか……?」

「当然だ馬鹿者! 『天性スキル』を持って生まれてきたからとて、神の子、異界の子など誰が信ずるものかよ! 気色が悪い! 女が一人で妊娠できるはずもなかろう!」

「!」


 つまり、父はずっと……ずっと……私が誰が、男遊びで子を宿したと?

 そう、思い続けていた?

 ああ……そうか……それでは仕方ない。


「……わかりました。今までお世話になりました。お母様や使用人の皆にも、お礼をお伝えください。お兄様には、『アンジェリカは必ず勇者の聖剣を持ち帰ります』と。……どうぞ、お願いいたします」

「ふん! 殊勝なことだ。いいだろう! ではな!」

「はい」


 スカートの裾を摘み、頭を下げる。

 そろそろリオハルトのミルクの時間。

 私はあまりお乳が出る方ではないけれど、この子を飢えさせることはないと思う。

 この人にはなにを言っても無駄だから、さっさと別れてリオハルトを安全に寝かせられるところを探さなければ。


「……リオハルト、大丈夫よ。私、今度こそ絶対にあなたを育てて見せるわ……」


 言葉にして、それでも状況は最悪で。

 私はこの子を育てるどころか……今夜を生き延びられるかどうかすら怪しい。

 着の身着のまま連れ出されて捨てられて、リオハルトのお世話をするのもままならない。

 けれど、やるしかないわ。


 ……もう、誰かに期待するのは、やめよう。

 この子は、私一人の力で育てよう。


 そう決めて、まずは寝床になりそうな場所を探した。

 お腹が空いてきているけれど、父の馬車が去った方とは逆の道を進んでみよう。

 つまり、森の中へ続く道だ。

 馬車が一台通れるほどの広さ。

 道は舗装されているわけではないが、まったく使用されていないわけでもない。

 定期的に荷馬車が通るのだろう、道の真ん中に草は生えているが、獣道というほどでもなかった。

 この道の途中に寝られる場所があればいいんだけれど。


「ふぅ……ふぅ……」


 お腹が空いた。

 でも大丈夫、耐えられる。

 途中、リオハルトが泣き出したので授乳して背中をトントン叩く。

 ゲップを確認してからスカートのエプロンを破いておんぶ紐にして背負い、進む。

 夜になり、肌寒くなる。

 リオハルトはすやすや眠っているから、今のうちに寝られるところをどこか……。


「……ふぅ……ん?」


 森は存外、早く開けた。

 大きな、大きな川。

 向こう岸が遥か遠いほどに、その川は幅広かった。

 これには絶望感が増す。

 泳いで渡ることもできないし、船もない。

 どうしろというのだろう。

 水は泥水だし、流れも早い。


「!」


 でも、道が左右に続いている。

 森を囲むように道になっているようだ。

 それとも、道でなく川岸なのだろうか。

 どちらにしても通るのに問題はなさそうだ。

 息が上がる。

 お腹すいた。苦しい。

 でも、この程度で私は諦めない。

 リオハルトの温もりがある限り、私は……!


「ぐるるるるる」

「!」


 じゃり、じゃりと川岸の道を歩いていると、猿のような魔物が目を赤く光らせて前方で唸っていた。

 がさ、がさと……飛び出してきたのは子猿!?


「きゃあ!」

「キー! キー!」

「い、痛い痛いやめて! きゃ!」


 尻餅をつく。

 飛びついてきて、髪を引っ張る子猿を引き剥がそうとするけれど、チョロチョロして……はっ!


「だ、だめ!」


 背中にいるリオハルトを慌てて地面に下ろして覆い被さる。

 私の大声に目を覚まして泣き出すリオハルト。

 あぁ、ごめんね……!

 髪をぐいぐい引っ張られるのも、痛いのも我慢しなきゃ。

 悲鳴なんてあげたら、リオハルトが泣き止まない。


「キィー! キー!」

「っ……!」

「キー! ……キー」

「……?」


 髪が離された?

 ゆっくり見上げると、子猿は私たちを覗き込んでいる。

 とても興味深そうに。


「……」


 そういえば、この子どうしてここにいるのかしら?

 見たところ猿型の魔物の赤ちゃんみたいだけど。


「キー……」

「……もしかして、お腹空いてるの?」

「キー」


 私の胸をツンツンと突く。

 ちょっと不快感はあるけれど、切ない声で鳴かれるとちょっと申し訳がないというか。


「噛まない?」

「キィー?」

「お乳がほしいならあげてもいいわ。でも、噛まれると痛くてお乳が出なくなるの」

「キー、キー」

「人間のお乳でもいいの?」

「キー」

「噛まないって約束できる?」

「キー」


 本当はリオハルト専用のお乳だけれど、ちょろちょろ周りを歩き回るのがなんとも可哀想。

 いえ、わかってるわよ?

 常識的に考えても魔物にお乳をあげるなんて、胸を噛み切られるかもしれないし、変な病気をもらうかもしれないし、全力でよろしくない。

 それでも……。

「キー……」


 ぐぅ、とお腹が鳴る子猿。

 私もお腹が空いている。

 気持ちは、わかるから……。


「はあ」

「キー!」

「絶対噛まないでよ?」

「キー」


 ヒヤヒヤしながらも胸を片方子猿に貸してあげると、存外上手に飲み始めた。

 牙がすごいから、ずっと緊張していたけれど。


「キィ……」


 切ない声を出しながら、ちゅうちゅう吸う。

 お腹いっぱいになったのか、飲み終えるとそのまま寝てしまった。嘘でしょ?


「……むう」


 人の服を握りしめて。

 もう、困ったなぁ。

 右のお乳はこの子用にしますか。

 ひとまずそうして、その夜はリオハルトと子猿を抱えて木に寄りかかり、ほんの少しだけ眠った。

 眠らないと体力も回復できないし、空腹をほんの少し、忘れられた。

 まあ、リオハルトがお乳をほしがって起きるので、二時間おきに起こされるのだけれど。


 翌朝、陽が登ると同時に子猿が目を覚ます。

 私の髪を引っ張ってキィキィ鳴くので、ダメ元で「食べ物がある場所を知らない?」と聞くと首を横に振られた。賢い。

 賢いけど、食べ物のある場所は知らないのか。

 それじゃあ……。


「人のいるところを知らないかしら?」

「キイ!」


 指さしたのは川の向こう岸。

 まあ、ですよね。


「じゃあ、あちらに行くにはどうしたらいい?」

「キキイ」


 くいくいと服を引っ張られ、立ち上がる。

 立ち上がったけれどっ。


「うっ」


 がくりと膝を折る。

 え、た、立てない……?


「キキー?」

「…………ごめん、た、立てない……」

「キィ、キィーキキィー」


 何度も引っ張られるけれど、私の体は私のいうことを聞かない。

 頭が痛い。

 耳の奥がキーンと、ものすごい耳鳴り。


「キー……キキ!」

「あ」


 子猿が右の方向へ走り去る。

 ずるり、とそのまま倒れた。

 石が冷たくて気持ちいい。

 熱?

 寒気がひどくなってきた。

 あの子猿に、やっぱりなにか移されたのかしら?

 そんな、困った、どうしよう。

 リオハルトだけでも、守らなきゃいけなかったのに……。


「ふっ、ふぁ……?」


 地鳴り?

 耳を地面につけているせいか、足音のようなものが近づいてくるのが聞こえる。

 それは次第に近づいてきて、私のすぐ側までくるととても人の足音には思えない大きさと振動になった。

 まずい、体が動かないのに。


「おぎゃぁぁあ、おぎゃーぁ! んぎゃーー!」


 こ、このタイミングでリオハルトが泣き始めた!

 あぁ、どうか動いて体!

 最後の力を振り絞り、上半身を起こす。


「お? 生きとった?」

「ひっ」


 目の前にいたのは二メートルはゆうに超える巨躯を持つ魔物。

 二足歩行で、服も着ているけれど角と牙がある。

 もしかして、あれが人食い鬼のオーガ?

 なんてこと……なんてこと……。


「お、お願い……私のことは、食べてもいいから……赤ちゃんだけは……リオハルト、だけは……っ」


 ショックで目の前がどんどん暗くなっていく。

 こんなところで、こんな状態で魔物に出会うなんて。

 悔しい。悲しい。

 また、私は……息子を守れなかったのね——。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る