第53話

「ほら、いつまで寝てるんだい? もう、とっくに夕飯の準備は終わってるよ」


 目を開けるとそこには祖母の顔があった。中世ファンタジーの世界観に慣れてしまっていたからか、母国の伝統的な日本家屋が懐かしく感じてしまった。

 それこそ――異世界に来てしまったような……。


 違う。

 ここは異世界なんかじゃない。俺のいた50年前の世界だだって、目の前には祖母の顔があるのだから。


 白髪のショートボブ。「何もしてないのにウェーブが掛かるんだ」と嬉しそうに話していたっけ。そんな茶目っ気がある祖母が俺は大好きだった。


 ……でも、さっきまで俺の前に居たのは若返った兄貴だったはず。

 俺を殺そうと手を伸ばして――。


「あれ……俺は兄貴に殺されたんじゃ……?」


「何を言っているの。銀壱が銅次を殺そうとするわけないでしょう。なんて、夢を見てるのかしら……」


 祖母は俺の話を夢だと思ったのか、早く来なさいと居間に消えていった。その後を追って軋む木板の廊下を歩く。

 テーブルに広がるのは祖母が手間暇をかけて作った煮物。

 懐かしい香り。

 椅子に座りながら、壁に掛けられたカレンダーを見る。月を示す大きな数字の横に書かれていたのは、2022年。俺が未来に言った年だった。


「……本当に、夢だったのか?」


 祖母が作る煮物の味は、しっかりと俺の味覚を刺激する。

 腕をつねれば痛覚も作動する。

 食べることが生きること。

 痛みは現実でしか味わえない。

 そんな言葉が残されているくらいだ。両方、感じる俺は間違いなくこの時代にいる。


「夢の方が説明がつく……のか?」


 食事を終えた俺は湯船に浸かり考える。

 50年後の未来へ行きましたと言うより、こんな夢を見ましたという方が人には通じるだろう。

 でも、夢だったとしてもアカネを助けに戻りたい。

 だが、非常にも俺が夢を見ることはなかった。


 翌日。

 俺は街の中を散策した。中世風な世界観はどこにもない。公式戦をした闘技場も、【貴族】としての地位を示す制服を着ている人間もどこにもいなかった。


「全部が夢だったんだ……。諦めよう」


 俺が手に入れた時間貯蓄も視界の隅には浮かんでない。


 『愛日』を走る川の畔。

 俺は土手に寝転び気持ちのいい日差しを受ける。

 魔族も殺し合いもない平和な世界。この環境ならば気持ちよく眠れるだろう。

 だが――。

 どれだけ目を瞑っても、靄は晴れない。

 割り切ろうとしているのに、割り切れない。ありもしない実態に手を伸ばし続ける本能が、俺に案を押し付ける。


「そうだ。もし、この時代で生里を止めることが出来れば!!」


 未来でアカネが襲われることはなくなる。

 それなら現実でも可能な範囲だ。

 この靄が晴れるならば、すぐに行動に起こそうと立ち上がると――


「あ、アカネ?」


 アカネが俺の前に立っていた。

 銀の制服せいふくではなく、俺が通う中学校の制服を着ていた。彼女は「アカネ」と呼んだ俺に、不思議そうに首を傾げた。


「アカネ……? 誰、それ?」


 この時代にアカネはいない。

 いるのは、


「……吹楚先輩」


 未来で俺が決して会うことのなかった想い人が、そこには確かに存在していた。

 夢だと決めたのに、涙が自然と湧いてくる。


「なによ。そんなに目を潤ませて……。さては、やっぱり虐められてることが悲しいんだな。よし、ここはお姉さんに任せなさい。こう見えても、私、生徒会長なんだからね!!」


 気品ある顔立ちなのに気取ったところのない表情。

 優しさのため、誰かのために行動する姿は俺の憧れだった。きっと、未来でも変わらずに誰かを助けようとしたのだろう。

 そして――命を落としたんだ。


「別に……。そのことが悲しかったわけじゃ」


 いつの間にか溜まっていた涙を拭う。

 そうか。俺はこの時代も生里に追放と無視されていたんだ。

 そんなことは、すっかり忘れていた……。


「そうなんだ。でも、銀壱が凄い心配してたよ?元々、銀壱は銅次の話しかしなかったのに、ここ最近は口を開けば銅次、銅次。私より弟の方が好きなのかって話だよ」


 彼氏がブラコンって、中々、キツイよと舌を出す。


「なんてね、冗談よ。私も銅次くんを助けたいから、力を貸すよ」


 吹楚先輩は一度言い出したら聞かない。自分の意思で助けたいと願うのだから、助ける相手の思いすらも関係ない。

 自分の意思を正義を全うできる強さ。

 きっと、生まれてくる時代が早ければ『英雄』や『女神』として称えられていたことだろう。


 そんな彼女の気を逸らすように話題を変えた。

 生里と吹楚先輩に会って欲しくないと思ってしまったから。


「そう言えば、吹楚先輩ってヒーローモノよく見るんですね」


 話題を切り替えるために咄嗟に出た俺の言葉は、未来で兄貴から聞いた話だった。吹楚先輩が子供向けの番組を見ているのかと印象に残っていたからよく覚えてる。


「あれ? その話は昨日、銀壱にしたばかりだったのに……。アイツ、もう話したんだ。口が軽いんだから、帰ったらお仕置きだな」


 照れ臭そうに頬を膨らませる。

 文句を言いながらも、頬を赤らめて笑う姿を見て、「ああ、吹楚先輩は本当に兄貴が好きなんだな」と、改めて突き付けられた気がした。

 吹楚先輩は兄貴しかみていない。


「そうなの。特撮ってヒーローのイメージあるでしょ? なのに、配信サイトだと暴力にカテゴライズされてて、面白いなーって気になって見たらさ。がっつり嵌っちゃって」


 吹楚先輩は「へへへ」と笑う。

 その笑顔をもう一度見れた喜びと、この笑みは兄貴のモノなんだと、「ぎゅっ」と心臓が捕まれたかのように痛む。

 そんな俺の横で空を見上げる吹楚先輩。


「……もしさ、もし、あんな世界になっちゃたら、きっと、ヒーローになるのは銅次くんなんだろうな」


「へ?」


 何の話をしているのだろうか?


「未知の怪物に襲われて、人々が混乱に陥る状況。そんな状況で特別な力を手に入れるのは、きっと銅次くんみたいな人なんだと思うよ」


「なんで――そう思うんですか?」


 俺はヒーローになんてなれない。

 あなたに憧れて、自分のために戦っていただけなんだから。アカネも時代を変えることも出来ない中途半端な男……。

 そんな男を吹楚先輩は褒める。


「なんでって、妙に達観してるところがあるからさ。そのくせ、暢気だし。私はそんな銅次が羨ましい」


 達観なんてしてない。ただ、兄貴には勝てないと諦めただけ。

 どれだけ何かを欲しても届かない存在。だから、俺はのんびり過ごしていた怠け者だ。


「そんなこと――ないですよ」


「そんなことあるよ。自分の力を理解しているから――力に溺れないんだよ。だからさ、私の娘を、アカネを助けてよ」


「……え?」


 今、この人は何と言った?

 娘とそう言ったのか?

 当然、この時代の吹楚先輩に子供はいないし、妊娠もしていない。ならば、何故、未来の娘をアカネを知っているのか。


「君はヒーローになれるよ。だから、ほら、銀壱を止めてよ」


 彼女は、吹楚先輩は兄貴が俺にしたように――頭に向けて手を伸ばした。

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