第40話

 声が聞こえると同時に、俺達は闘技場へ戻っていた。開始と同様に一瞬のうちに景色が切り替わる。生命豊かな自然から、無機質な白色へと。


「良かった。二人とも無事……とは言えないみたいだけど、生きててよかったよ」


 闘技場へと戻ってきた俺達に、絵本えもとが声を掛けてきた。俺の外に折れ曲がった左手を見て、「無事」の後に続く言葉を切り替えた。


 良かったは俺の台詞だ。森の中で合流が叶わなかったから心配だったんだ。

 絵本えもとは傷の一つも負っていないようで安心する。

 仲間の無事に安堵するが、それと同時に守れなかった人間もいた。その事実を俺は絵本えもとに伝えようとする。


「俺は……」


 言葉を詰まらせた俺を見て、何が起こったのか察したのだろう。

 絵本えもとは笑みを消して、俺の背を叩いた。


「救えなかった人間もいたかも知れないが、君の言葉で救われた人間も沢山いるよ」


「それって、どういう――?」


 絵本えもとが発した言葉を追及したかったが、遮るように空から声が降り注いだ。人々を使ったゲームを開催している男の声は、酷く詰まらなそうだった。

 開始前と明らかにテンションが変わっており、結果発表は投げやりだった。


「はい、それじゃあ結果発表。赤の群衆クラスタの勝ち。たく、なんで殺さないんだよ。次、それやったら罰を与えるからな――絵本えもと 乙女おとめ


 絵本えもとの名を呼んで声はそれ以降言葉を発しなくなってしまった。

 名指しされたことに肩を竦めて優しく微笑む。


「まさか、名前を把握して貰えるとは思わなかったよ」


 悪戯な笑みが良く似合う美形な男。キザな動作が板に付く。

 何が起きているのか理解していない俺達に、自らが何をしたのか、その行為を告げた。


「私はモノを透明にする絵本えほんの力で、人々を隠して周ったんだ。幸い人を感知することが出来る内容の絵本えほんもあるからね」


「え……?」


 絵本えもとの言葉に思い出す。

 森の中に残されていた明らかな痕跡が突如として消えていたことを。それはどうやら、絵本えもとが人々を隠していたからだと言うのだ。

 驚く俺に、絵本えもともまた驚きの表情を浮かべて見せた。


「何をそんなに驚いているんだい? 君が人を殺さないでくれって言ったんじゃないか」


「でも、それは……」


 絵本えもとが直接手を下さないで欲しいと願ったことで、まさか、そこまでしてくれるとは思っていなかった。

 正直な感想を告げる俺に、


「私もね、思い出したんだよ。母が私に絵本えほんを読みながら、なんと言っていたのか」


 絵本えもとの母親か……。

 そう言えば、俺は絵本えもとについてあまり詳しく知らない。

 男だからふざけて乙女おとめと名付けられたことしか……。

 俺はてっきり、苗字が絵本えもとだから、絵本えほんが好きだと思っていたのだけど……違うのか?


「子供たちに絵本えほんを読んで上げなさいって言われてたんだ。でも、それは外の世界から絵本えほんを集めることじゃないんだって気付いたよ」


 必要なのは『物』ではなく、自由に好きな本が読める『環境』。読み聞かせをしてくれる両親。母の言葉の意味をようやく理解したと語る絵本えもとの瞳には涙が浮かんでいた。


「そうか。やっぱり、お前が俺と同じ時期に力を手に入れてくれてよかったよ」


 絵本えもとが隣にいると心強い。


「……それは、私の台詞さ」


 その言葉に俺は二人の仲間を見る。

 銀色の制服を着た絵本えもと素子もとこさん。全力でぶつかれば分かってくれた。それが凄い嬉しかった。

 だが、俺の喜びを壊すように向かいにいる赤の群衆クラスタの一人が大声で手を振った。


「おーい。今回は楽しかったぜ。また、よろしくな?」


 闘技場から去っていく赤の群衆クラスタ。最後まで残り手を振り続ける男は――狩生かりう らん

 銀の群衆クラスタのスパイだと自称する男だった。


「彼は……? 知り合いですか?」


 話しかけるらんを見て、絵本えもとが不思議そうに首を傾げる。群衆クラスタは色が変われば明確な敵。馴れ馴れしくする理由がないのだから当然だ。

 絵本えもとの言葉に、俺はらんの説明をする。


「スパイ……ですか。そんなことするメリットはない気がするんですけど」


「ああ。本人は女神の復活が目的って言ってたけど、なんのことだか……」


 しかし、この場でどれだけ考えても答えが出る訳じゃない。俺は「パンっ」と手を合わせる。


「それよりも、今は――」


 俺は戦いが終わってから、ずっと俺の背後でモジモジと髪を弄る素子もとこさんに向き合った。

 素子もとこさんの白くて長い指に合わせて、金色の髪が渦を描く。

 俺はその渦に吸い込まれるように近づき、深々と頭を下げた。


素子もとこさん、ありがとうございます」


「……礼を言われることはないの」


 頭を下げた俺の顔を覗き込む素子もとこさん。


「そんなことないですよ。今後とも俺と一緒に居てくれたら嬉しいです」


 素子もとこさんの顔が地面と同じ方向にあるため、頭を下げたまま俺は話す。一緒に戦う決断をして、実際に戦ってくれた。

 それだけで、俺は充分だ。

 他人と過去は変えられないと言うけれど、人に影響を与えることは可能なのかもしれない。凄く難しいだけで……。


「い、一緒に……勿論なの」


 頬を赤らめる素子もとこさん。

 何を思ったのか、姿勢を正すと、「これ……読むの」と、【魔能力】が書かれた巻物を俺の眼前に突き出した。


「これは……」


【魔能力】が書かれた巻物。ルールを確認するときでも、頑なに見せなかったモノを自らの意思で俺に手渡した。俺は巻物を掴み顔を上げる。


「本当にいいんですか?」


「いいから、渡してるの」


 スッと顔を背ける素子もとこさん。俺は人形のような横顔に礼を述べ巻物を開いていく。

 絵本えもとも興味あるのか、


「へぇ、鍛炭かすみさんの【魔能力】ですか。気になります」


 視線を巻物に落とす。

 だが、その耳を素子もとこさんに掴まれ引き離された。


「……絵本えもとは見ちゃダメなの」


「……アレ、ひょっとして、私、まだ恨まれてます?」


 どうやら、初対面で絵本えもとが俺のフリをしたことを未だに根に持っているようだった。

 そんな二人を笑いながら、俺は巻物の中身を読んでいく。


 ずっと気になってたんだよな。素子もとこさんの【魔能力】。

 いくつかの効果は分かってるんだけど……。

 しかし、俺が予測していた素子もとこさんの【魔能力】と、実際の内容は半分くらいしか合っていなかった。


「これって、本当にフィギアスケートじゃないですか」


 彼女が演技と言っていた意味が分かる。

 巻物の紙面にはびっしりと、技の難易度と説明が乗っていた。演技プログラムの得点に応じて、演技を見た人間に点数分のダメージを与える。

 それが不可視で不可避な一撃の正体だった。

 見えないエネルギーを操るのではない。見た人間にダメージを与える。だから、木を盾にしても意味がなかったわけだ。俺は素子もとこさんの演技を見てしまっていたのだから。


「なるほど。これは誰にも見せたがらない訳だ」


 演技さえ見なければ、攻撃は通用しない。【魔能力】を知らなければ脅威だが、知ってしまえばどうということはない【魔能力】。

 躱すだけならば力を持たない人間でも行えることだろう。

 俺の呟きに素子もとこさんは言う。


「……でも、私は気に入ってるの。だから、今度からは、銅次のために演技するの」

 

 果たして。

 何が「だから」なのか、俺には良く分からなかったけど、お嬢様のように短いスカートの裾を摘まんでお辞儀する素子もとこさんは頼もしく思えた。


「じゃ、帰ろうか」


 俺は仲間となった二人と闘技場を後にする。

 こうして、俺の二回目の公式戦は後悔と喜びを含んで幕が閉じた。

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