第38話

 俺と素子もとこさんを繋ぐ線上には太い幹があった。

 背中にゴワゴワとした感触があるのだから、「実は木はありませんでした」なんてことは考えられない。

 とすれば、素子もとこさんの見えない攻撃は――、


「まさか、自在に操ることも出来るのか?」


 回避も防御も出来ない不可視で不可避な一撃。圧倒的な戦力を前に俺は折れた指を抱えるようにして立つことしか出来なかった。


 樹木に隠れた俺に、感情の籠らぬ声と共に素子もとこさんが近付いてくる。土を踏みしめる音が俺に死刑宣告をしているかのようだ。


「……拷問には、指を一本ずつ砕いてく拷問があるの。何本か砕くと痛みよりも死にたいという感情が残るらしいんだけど、銅次はどれだけ持つのかな?」


 素子もとこさんは、木を覗き込んだ。


「ポイントを集めるって言えば、助けては上げるの」


「……」


 ポイントを集めると宣言すれば助かる。

 否定すれば拷問。

 きっと、ここで嘘でもポイントを集めると言えば素子もとこさんは、信じてくれるだろう。でも、俺は――嘘でも頷くことが出来なかった。


 この時代。

 決めた覚悟を自らで曲げたら戻れない気がして――。

 これもまた、俺が決めた一線だ。


「俺は、まだ負けてないですよ」


 精一杯の虚勢で笑う。

 素子もとこさんは、「そうなの」と複雑なステップを刻みながら距離を取ると、再び俺の指を折った。


 ポキ、ポキと二本同時に折ってみせた。


「……っあああ!!」


 指と指の痛みが共鳴して、より強い苦痛となって頭に響く。

 俺は痛みに声を上げる。その周囲を無表情で滑る素子もとこさん。


「……左手は後、一本だけなの。これを折ったら……次はもうないの」


 素子もとこさんとは、まだそんなに長い付き合いではないが、彼女が本気で言っていることは分かる。


 左手の次は命だ。


「……なるほど。次がラストってわけか」


 俺はまだ、何もしていない。

 だから、無駄だと分かっても足掻かないとなぁ!!


「うおおおお!」


 俺は三度目の正直と言わんばかりに、素子もとこさんへ飛び掛かる。痛みで速度も落ちた俺を、素子もとこさんはなんてことないと、身体を真っ直ぐ伸ばしたまま後退する。


 体重移動だけで前後左右を関係なく移動する。

 予備動作が見えぬことが、こんなにも厄介だとは――。俺の伸ばした右手は宙を掴む。


 そんな俺の頭上をクルクルと回る。何度見ても宙を舞う素子もとこさんは芸術と呼べるほどに美しかった。

 タン。と、華麗に着地した素子もとこさんは、俺に手を伸ばした。

 これが、最後の警告だ。

 そして、この瞬間が――素子もとこさんの動きが止まる瞬間だった。

 俺は足に力を込めて、一気に距離を詰める。


 そうだ。

 これは警告。命までは奪わない。


「うおおおお!」


 痛みを雄たけびで紛らわし、俺は先ほどよりも早く駆けた。


「なっ!?」


 痛みを押し殺して加速した俺に驚きの声を上げる。咄嗟に後退しようとするが、一瞬遅かった。

 がっしりと、俺の右手は素子もとこさんを掴んでいた。


「まさか……、なんで?」


「……指しか折らないことが分かってたから、気合で耐えたんです。「覚悟を決めろ、目を瞑るな」ってね」


 俺は素子もとこさんを引き寄せて笑う。格好つけた俺の台詞が素子さんの記憶に残っていたのか。


「……銅次もあのスポ根漫画、読んでたの?」


「ええ、イムさんのお気に入りでしたから」


 特訓で読んだ漫画の中にボクシングを題材にした漫画があった。

 物語の序盤。

 まだ、ボクシングを始めたばかりの主人公が、技術が乏しく対戦相手のフィニッシュブローを躱すことが出来なかった。

 ならばと、対策として行ったのは自分よりも階級の高い選手の拳を受けることだった。避けられないのであれば、痛みを経験して覚悟を決めて受けきろうとしたのだ。痛みを学んだ主人公は、正面で拳を受けて逆転した。


「まさか、50年先の未来で昭和のスポ根漫画を再現することになるとは思いませんでしたよ……」


 果たして。

 この世界に元号があるのかは疑問だが――。


「とにかく、これで俺の勝ちです。俺の願いを聞いて貰えませんか?」


 滑らなければ俺の【魔能力】を無効化できない。つまりこうなれば俺の勝ちと言って差支えはない。勝利宣言した俺に、素子もとこさんは小さく被りを振った。


「……なんで、そこまでするの? 信じられないの」


 素子もとこさんが、俺に向けて初めて表情を露にする。痛みに耐えてまで、殺しを止めようとする俺の行為を理解できないようだ。

 ……理解か。

 そりゃ、できるわけない。

 理由は周りにはなく、俺の中にしかないんだから。『俺が素子もとこさんに人を殺して欲しくない』。それだけなんだから。


 法律でもなんでもない俺の思い。

 少しでも伝われば嬉しいんだけど……。


「私には分からないの……」


 素子もとこさんの瞳は光と闇が交じり合って混乱していた。

 その瞳に俺は問う。


素子もとこさんは、大切な人がいますか?」


「大切な……人? そんなの誰もいないの」


 だから、躊躇いなく人を殺めらえるのかもしれない。好き勝手に子を作れる劣悪な環境。親の顔を知らないことが普通で、【魔能力】を持つ人間が弱者を迫害し、争うのが当たり前の世界。

 アカネも、絵本えもともそこで育っていた。


 それでも、アカネには兄貴がいたし、絵本えもとには母がいた。だから、少しは話が通じたのだろうが、きっと、素子もとこさんにはそういう人がいないんだ。

 なら――。


「なら、俺がその大切な人になります。だから、俺が死ぬまでは、もう、誰も殺さないでくださいよ」


 俺の言葉に何を言っているのと目を丸くする。


「……なんで、私のためにそこまでするの?」


「なんでって……」


 それもまた、考えなくても分かる。


「俺に取っても素子もとこさんが大切な人だからじゃないですかね? 露出しようとするのは勘弁してほしいんですけど」


 素子もとこさんとは、共に『特訓』をした仲間だから。

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