第36話

「……あいつ、何者なんだ?」


 森に消えたらんの姿を追ったが、俺が駆け出したころには既に気配すらも存在していなかった。時間の加速についてくる【魔能力】。

 銀の群衆クラスタから送られたスパイと本人は言っていたが、警戒すべき対象として記憶しておいた方がいいだろう。


「とにかく、今は考えてる場合じゃない」


 俺はひたすらに森を駆ける。木々の隙間から零れる太陽の光が、木々の揺れに応じて揺れる。こんな素晴らしい森を『ハント戦』などと言う争いの場にしないで、憩いの場にすればいいのにと本気で願う。


「……うん?」


 叶いもしない願いを誰に捧げるでもなく思っていると、不自然に折れた枝が地面に転がっていることに気付いた。

 そう言えば、『特訓』の中で読んだ漫画に、森の中で追跡する場面があったような……。人が掻き分けた草。狭い場所を通ったことで折れた枝。蜘蛛などが張った巣が根元を残して消えていた。

 明らかに人が通った痕跡だ。


「まさか、特訓が意外に役に立ってるのか?」


 役に立たぬと思っていた『特訓』が、俺を導くのは二回目だ。イムさんの話を聞かなければならない点を除けば、今後とも行ってもいい気がしてきた。

 まあ、イムさんとの感想会は絶対除けないんだろうけど。


 俺は痕跡を追っていく。耳を澄ませばガサガサと音が聞こえてきた。すぐ先に人がいる。俺は木々の上に飛び移り、音を立てぬように先回りする。

 正面から俺が追跡していた人物を確認する。


 制服は着ていない。白い奴隷のような衣装をきた男。年齢は三十代半ば。無精髭と何日も洗っていないであろう髪の毛は汚れで変色していた。

 恐らく、この男は標的として用意された力を持たぬ人だ。


 ならば、隠れていなくてもいいか。

 俺は木から飛び降りて、男の正面に降り立った。


「お、お前は!!」


 突如として現れた俺に腰を抜かしたのか、尻餅を付く。


「えっと、大丈夫ですか?」


 俺は殺意がないことを示すように、男に手を差し伸べる。だが男は、俺の手から逃げるように距離を取ると、近くに転がっていた木の枝を拾い立ち上がる。


「近づくな! 俺はただじゃ殺されないぞ!」


 俺を近づけぬためか、握った枝を四方八方に振り回す。剣技でもなんでもない闇雲な軌道。


「落ち着いてください」


 錯乱する相手に対し、両手を天に上げて戦う意思がないことを示す。だが、どれだけ示した所で、俺は【魔能力】を持っていて、男は持っていない。

 その事実が伝達を容赦なく切り裂く。


「うるさい! 俺はこんなところで殺されてたまるか!!」


「……その、でしたら、動き回るのはやめた方がいいと思います。一緒に隠れる場所を作りましょう」


 動き回れば動き回るだけ痕跡が残る。

 俺でも見つけることが出来たんだ。他の人たちも見つけることは出来るだろう。ならば、隠れていた方が安全だ。

 その場所を共に作ろうと俺は提案したのだが、


「黙れ! 誰がお前らの言うことを信用するか! 自分たちばっかり美味い思いをしやがって! 俺はな、ここで生き残って【貴族】になり、赤の群衆クラスタから抜け出すんだ!」


「き、貴族に……?」


 貴族は確か【魔能力】を持った人間に与えられる特権だ。

 何をしても許される。


 どうやら、『ハント戦』のターゲットとして森に放たれた人間には、生き残ればその権利が与えられるようだ。


【魔能力】に目覚めなかった人間が、人の上に立つためのゲームを――男はプレイしていた。


「つまり、プレイヤーは俺達だけじゃない」


 狩る方と狩られる方。

 この『ハント戦』は両方を見て楽しむゲームだ。


「何をブツブツ言ってやがる! 俺だってやるときゃ、やるんだよ!」


 男は大きく枝を振りかぶり、拒絶していた距離を自分から詰める。俺に向けて最後の一歩を大きく踏み込むと、頭目掛けて振り下ろした。

 頭に木の枝が打ち付けられる。だが、元より枝は乾燥していたのか、ポキリと情けない音を立てて折れた。


 武器を失ったことで、戦意を削がれたのか。


「うわあああ!!」


 叫び、転びながら逃げだした。

 本当に最初にあったのが俺で良かった。逃げるならば最初から逃げた方がいいし、何より木の枝で【魔能力】を持つ人間に挑むのは無謀すぎる。


「逃げないでください!!」


 俺は時を加速させ、男の正面に回る。力を見せつければ話く

 能力を解除した俺を見つけ、男は驚愕の視線を向ける。逃げることと無理だと悟ったのだろう。

 動きを止めてくれた。

 挑むも駄目、逃げるも駄目なら話を聞いて貰えるだろうと俺は思ったが、


「くそ、こうなったら、お前を道連れにしてやる――!」


「道連れって、俺はあなたを殺す気はないですよ」


 男に対して2度目のハンドアップ。これで分かってくれれば良いんだけど。

 だが――、次の瞬間。


 ビシャリ。


 水風船が破裂したように血液が弾ける。

 肉片と内臓――命だったものが辺りに転がる。まるで、森に喰われたかのようだ。でも、殺したのは森じゃない。


「……早く殺さないと駄目なの」


 素子もとこさんだった。

 人を傷付けることも出来ないような、育ちのいいお嬢様風の素子もとこさんはが、虫でも潰すような感覚で人を殺していた。

 見た目だけで言えば、虫も殺さぬ雰囲気なのにだ。


「ようやく……一ポイントなの。銅次は何ポイント手に入れたの?」


 淡々と。

 表情を変えずにゲームの進行状況を確認する。仲間内で情報の共有。これがゲームならば当たり前のことだが、俺の前で実際に人が死んでいるんだ。


素子もとこさん!」


 俺は彼女の両肩を掴む。

 目を覚ましてくれ。

 今、行われてるのは異常なことだ。


「自分が何したか分かってるんですか?」


「うん。ポイントを手に入れたの。この公式戦に勝てばご褒美が貰えるの」


「……っ」


 そうだ。目を覚ますも何も、素子もとこさんに取ってこれが普通。

 魔族に支配された今しか知らないのだから、殺しが良くないということを理解できていない。


 育った環境が違えば、常識も違うとーーこれもまた、『特訓』で、読んだ漫画に載っていた。

 でも、だからって!!


素子もとこさん。考えてください。【人】なんですよ!?」


「知ってるの」


「だったら、駄目ってことも分かるでしょう?」


「駄目……何がなの?」


「人を――殺すことがです」


「ふん? なんで人を殺すことが駄目なの?」


 人を殺すのが何故駄目なのか。少し早熟な子供が行き着くような疑問。そんなことは、どこか、頭のいい哲学者でも科学者にでも考えさせておけ。50年先の未来に期待しておくさ。


 俺は普通の人間だ。だから、俺はこの時代でも一線を越えない優しさを持てばいい。

 それが俺だと兄貴が認めてくれた。

 俺の好きにやればいいと。

 だから、これが俺の答えだ。


「俺が嫌だから――。だから、もう二度と素子さんに人は殺させない」


 足を踏み出して宣言した俺に、素子さんもまた足を踏み出した。


「良く分からないけど――銅次が私と戦う気があるのだけは分かったの」

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