第20話

「おいおい。お前は俺が誰だか知らないのかよ」


 生里は、向かってくる少女に興奮を押し殺すように、舌で下唇を舐める。そして、足元で身体を丸め暴力に耐えていた仲間を蹴飛ばした。

 それと同時に、生里は【魔能力】を発動する。


「身体が変化した……!?」


 生里の持つ力は――【】だった。背中からは茶色い四枚の羽が不気味に生える。羽の一枚一枚に目のような模様が刻まれていた。不気味な巨獣に睨まれているのかと錯覚してしまう。

 顔も蛾のように毛羽立った顔立ちに変貌し、額からは扇のような触覚が伸び、瞳は黒の複眼に代わっていた。


「おらぁ!!」


 生里の口から糸の束が吐き出される。


「なっ!!」


 糸そのものに生里の意思が反映されているのか。触手のようにうねると、アカネの四肢を拘束した。建物を支えにした糸がアカネの身体を宙へ浮かせる。


「勝気な人間を拘束する瞬間が堪らないぜ」


 口から長い舌を出す生里。

 アカネは怒りと恐怖から、涙を流していた。頬を伝う涙を拭い取るように生里は舐めると。ピチャピチャ音を立てながら味わう。


「さーてと。どうやって楽しむかな。ま、なんにせよ、俺の優秀な血を残せることを誇りに思え」


 下卑た笑いで自らの糸で拘束したアカネを見上げる。きっと生里の頭の中ではどうやって少女を犯すのか考えていることだろう。


 アカネは拘束から逃れようと手足をバタつかせながら叫ぶ。


「お前のどこが優秀なモンか! お前は私が誰だが分からないのか? だったら、教えてやる。私は……私は――お前の子だ!!」


 アカネの言葉に生里は、天を貫かんばかりに笑った。


「お前はよぉ。捨てたゴミのことを一々覚えているのか?」


 生里は自らの血を分けた子を――孕ませた吹楚先輩のことをゴミと言い切った。


「まあ、お前の言うことが本当だとしたら、自分の子と遊べるなんて中々な経験だな」


 自分の血を引いているということさえ、興奮の一端にしかならないのか。

 生里がふざけた言葉を吐いた刹那。


「……がッ!!」


 化物となった生里の身体が大きく吹き飛んだ。

 一度だけではない。

 弾かれたビリヤード玉の如く何度も、何度も、空中で軌道を変えて吹き飛んでいく。


「…な、なんだ……なにが起こっている!?」


 攻撃を受けていることは理解しているのか。顔を守るように手を交差させるが、そんな行為は防御にすらならない。


 だって、今の俺と生里では時間の流れが違うのだから。


 生里を吹き飛ばしているのは――俺の打撃だった。生里の身体を殴り、宙を浮いた生里を追って自分の時間を加速させて再び打撃を打ち込んでいく。


 俺は怒りのままに、生里を殴り続けた。


「ふざけるな! お前はそれでも人間かよ!」


 力任せの暴力を受けた生里は、身体を大きく弾ませて数メートル先の壁にめり込んだ。


「が、が……はッ」


 苦しそうに息を吐く生里に、能力を解除した俺は怒りに吠える。


「……お前だけは絶対に許さねぇ!!」


「お前……、な、何をした?」


 生里が壁に身体を沈めたまま問う。どんな攻撃を受けたのか、まだ、理解していないようだ。

 こんな奴にわざわざ教える必要はない。


 俺は生里の質問に答えず、再び攻撃へ移ろうとした。

 だが、


「くそ! 舐めんじゃねぇ! 俺は生里 継之丞だぞ!?」


 生里は手を打たねば俺の攻撃を防げないと考えたのだろう。糸を吐き出し身体を覆う。それはまるで蛾の幼虫が作り出す繭だった。

 俺の動きが見えないならば、全身を守ればいい。

 そう考えてのことだろう。


「だが、そんなの関係あるか」


 盾を作るならば、壊せばいいだけのこと。

 糸が何重にも重なって作られた繭を、俺は躊躇いなく殴った。どんな盾だろうが破壊してやる。


 しかし、そんな俺の決意を嘲笑うかのように、繭に触れた俺の拳を皮膚がただれた。

 拳を見ると皮膚が溶けていた。


「はっはっは。この繭は、毒の鱗粉を練り込んでいる。素手で触れば身体が溶けるぞ?」


 繭の内側から勝ち誇った声が響く。

 守るにしても卑劣だった。


「こんなことで、手を止めてたまるかよ!」


「……は?」


 俺は焼けるような痛みを堪え、繭をひたすらに殴り続ける俺に、生里は信じられないと声を漏らした。


「……死んだ吹楚先輩は、もっと……もっと苦しんだはずなんだよ! この程度の痛みで俺が折れてたまるかよ!」


 右手、左手と出鱈目なリズムで拳を繰り出す。俺の打撃でギシギシと繭が歪むが破壊までは届かない。

 両手の皮膚がただれ、血が滲み繭が赤く染まっていく。

 そんな俺を見かねたのだろうか。


「もう……いいよ!」


 俺の暴挙を止めたのはアカネだった。俺の背中に抱き着く。怒りで熱を持った俺の身体をアカネの温もりが優しく包む。


「銅次の気持ちは分かったから。もういいよ。こいつが憎いのはあんただけじゃないの」


 そう言ってアカネは傷付いた俺の手を握る。

 目に見えて溶けた皮膚が治っていく。どうやら、アカネが治療してくれているようだ。

 アカネが持つ【魔能力】は治癒。

 それはこの町を囲う結界で見せて貰った。


 癒えていく拳を見つめる俺にアカネは言う。


「……あのね、銅次。私の【魔能力】は傷を治すことじゃないの」


「……え?」


 アカネの言葉は興奮していた俺に落ち着きを取り戻させる。【魔能力】が治癒ではない?

 しかし、現に俺の腕は治っているではないか。

 改めて手を見る。


「……アカネ、その手……!?」


 そこで俺は気付いた。

 彼女の腕が赤く変色していることに。それは、まさに俺が毒の繭で負った傷そのものではないか?

 俺の傷がアカネに移行した?

 それが能力なのか――?


「そう。私の【魔能力】は他人が受けた傷を引き受けること。そして――」


 アカネは繭に向けて手を掲げる。アカネの瞳は復讐の炎で満ちていた。


「なっ!? 馬鹿な! 俺の糸が千切れただと!?」


 どれだけ俺が殴っても壊れなかった繭が、中心から解けるように弾けた。張っていた繭の糸が千切れ、内側にいた生里の姿が露になる。


「私の【魔能力】は、引き受けた傷を、ダメージを与えた『モノ』に対して返すことが出来るのよ。それが繭だろうとね」


 今回の場合、俺に傷を負わせたのは毒の繭。その傷をアカネが引き受け、蓄積した怪我のダメージを毒の繭に返したという訳か。


「今よ!」


 アカネが俺に叫ぶ。

 能力を発動した俺は時を加速させ、生里を繭から引きずりだした。


「ひっ、ひぃ!」


 情けない声を上げる生里を、俺は放り捨てるように地面に転がした。

 それと同時に俺の貯蓄がゼロになる。

 だが、もう必要ない。

 勝負はあった。

 地面に転がる男を見やる。


「どうだ? 自分がゴミのように転がされる気分は!」


 吹楚先輩のことをゴミといった生里は、虫のように手足を動かし逃げようとする。

 こんな男が、兄貴の彼女を――吹楚先輩を寝取り孕ませたのか。


 悔しさと虚しさが、俺の心臓を冷やしていく。

 イムさんに心臓を握られるよりも――痛くて苦しかった。

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