私の、私だけのヒーロー

櫻葉月咲

そうなるまで……あと少し

「──って。待ってよ、柚羽ゆずはぁ……」


 カツカツとローファーの踵を鳴らして帰る道を歩いていると、よく知った気の弱そうな声が聞こえ、柚羽は足を止めた。

 はぁ、と溜め息をひとつ吐き、後ろを振り向く。声の主が追い付くのを待つためだ。


すばるが遅いんでしょ? 私は普通に歩いているもの」


 ぜぇはぁと息を切らし、すばると呼ばれた男子生徒がようよう追い付く。


「はぁ、はぁ……」


 昴は膝に手をつき、必死に呼吸を整えている。


(本当に……どうして私なんだか)


 今日も一日の授業が終わり、下校時間となった。

 普段なら柚羽一人で帰っているが、昴は時々こうして柚羽と一緒に帰りたがるのだ。

 柚羽はクラスの中でも目立つ方ではない、ただの一般生徒だと自負している。


 昴は決して運動神経はいい方ではなく、無口だ。

 けれど顔は整っていて高身長ときては、周りの女子が放っておかない。

 薄い唇は呼吸を整えるべく、荒い息を吸っては吐いてを繰り返している。


 女子のように、さらりとしてつややかな黒髪は、走ってきたからかじんわりと額に張り付いていた。

 運動神経以外に誰もが羨む容姿を持っておきながら、昴はカースト上位ではない。

 どうして自分を気にかけてくれるのか、柚羽にはそれがわからなかった。


(私はただ、何百人もいる生徒の一人でしかないのに)


 腰ほどまである豊かな黒髪は、長いからと三つ編みにして後ろでまとめている。

 オーバルタイプの眼鏡にはばまれた瞳は、くりくりとしていて大きい。

 眼鏡がなければモテるのに、と仲のいい女子生徒から言われているが、有り得ないと思う。


 私服は地味な色を好み、メイクすらしたことがない。人よりもおしゃれに関心がなく、あまり出掛けもしないから雪のように肌が白かった。

 肌の白さが柚羽にとってのコンプレックスであり、この性格も変えなければならないものだった。


「ねぇ……柚羽」


 昴の声音はまだ僅かに掠れているが、それでも柚羽に声を掛けてくる。


(しんどいなら話さなければいいのに)


 昴は時々咳き込み、小さく背を震わせている。

 元々喘息持ちだというが、発作が起きるのならば走って来なければいいとも思う。

 それほど自分と帰りたいのか、と呆れつつもあるが可愛いとも思う。


(でも……)


 いつもいつでも柚羽の元に子犬のように駆け寄り、話し掛けてくる。

 見た目とのギャップがあるから、毎回犬を相手にしている気分だ。


 そんなところがあるから嫌いになれないし、遠ざけられない。

 気付けば昴に少なからず好意を寄せるようになったのだ。


(私も私でどうして素直になれないのかな)


 言葉とは裏腹の感情を昴に持っているのは確かだ。これが普通の女子らしくない事は、柚羽も承知の上だった。


「言っとくけど、私は忙しいの。だから話し掛けてこないで」


 そう言うと柚羽は先に歩き出した。勿論、この言葉は嘘だ。

 あまりにも長い時間昴と共に居ると、こちらの気がおかしくなってしまう。


「待って!」

「っ」


 昴の声が聞こえたと同時に、ぐいと腕を掴まれる。あまりにも力強い手に、足がもつれた。体勢を崩し、後ろへ倒れそうになったところを、昴に抱き留めらる。

 その瞬間、二人の後ろから車が通り過ぎた。


「チッ、邪魔なんだよ」


 聞こえよがしに舌打ちと捨て台詞を吐き、こちらをにらける運転手の顔が、フロントガラス越しに見えた。


「ご、ごめんなさい」


 反射的に柚羽は謝罪の言葉を口にする。

 車一台がやっと通れるかという狭い道を、柚羽と昴が塞いでいたらしい。


(怒るのは自由だけど……わざわざ聞こえるように言わなくてもいいじゃない)


 それでも、車の進行を邪魔していたのは自分たちだ。

 段々とやり切れない感情が湧き上がってくるが、くだんの車はとっくに走り去った後だった。


「──怪我はない?」


 至近距離で声が聞こえて振り向こうとした瞬間、昴の顔が間近にあった。


「ひゃあ!?」


 およそ女子らしくない声を発し、やっと柚羽は自分のおかれている状況を自覚した。

 後ろから昴に、きつく抱き締められているのだ。


(守ってくれたのはありがたいけど、いくらなんでも近すぎでしょ!?)


 数秒の間は気にならなかった吐息が、鼓動が、柚羽の耳に大きく届く。

 ずっとこうしていては駄目だ、と思った。

 離れなければ、とも思うが抱き締めていてほしい──二つの思いが相反し、柚羽の頭を駆け巡る。


 口では突っぱねていても、どれほど冷たい態度をとっても、柚羽の心の奥深くでは昴を好きだという感情でいっぱいだった。


「……離して」


 名残惜しいが、やっとの思いで柚羽はそう口にする。


「あ、ご、ごめん!」


 ぱっと柚羽を拘束していた腕を解き、昴は慌てつつも謝罪した。


「えっと……痛かった?」


 背をかがませ、申し訳なさそうな表情で聞いてくる昴は、いつも通りだ。

 学校でも、今この時でも、昴はこうして泣き出しそうな顔を柚羽に向けてくる事が多い。

 そういう顔をさせているのが自分だけだと思うと、優越感に浸ってしまいそうになる。


 昴は普段からあまり人とは話さず、群れることはない。時々口を開いたとしても、その声は小さすぎて聞き取れないほどだ。

 柚羽と昴が校内で話す事はない。


 しかし、今の昴の姿を知らない女子たちが見たら、きっと柚羽は目の敵にされてしまうだろう。

 昴は容姿に優れている。無口な性格を直せば、校内の女子が放っておかないと予想できた。


 以前、昴へ「どうして私の前だとよく話すの?」と問い掛けると、はぐらかされたのは記憶に新しい。

 けれど、ほんの少し照れていたように「内緒」と言われた瞬間、昴への気持ちに気付いた。


 昴は柚羽が好きなのだ、と。

 そう自覚すると、今までどう接していたのか分からなくなってしまう。


「……私はそんなに弱くないから」


 ふいと昴の視線から逃れるように、柚羽はそっぽを向く。

 こうして可愛らしくない態度をとってしまうのも、柚羽の照れ隠しだ。


「そっか」


 それに昴は気付いているとでも言うように、にっこりと笑った。


「っ〜〜〜! もう行くから!」


 この状況に耐えられなくなり、柚羽はやけになりつつも歩き出した。


「ちょ、柚羽!」


 ──ように思えた。実際は昴に再度腕を掴まれ、動けないでいるのだ。


「またああいうのが来たら危ないから。柚羽はこっち」


 そう言って、昴が柚羽の右──車道側に立つ。

 これなら大丈夫、というかのように昴はこちらを見下ろし、柚羽の出方をうかがっている。


(一緒に帰るのは確定なのね……)


 いつもそうだ。どんなに柚羽が跳ね除けても、こうして昴は迫ってくる。

 これで何度目とも分からないやり取りに、段々と慣れつつあった。柚羽が素直になれないだけで、本当は昴と一緒に帰りたいと思っていたのだ。


 だから校門前で待っていた。

 昴が来てくれるかもしれないと踏んで、ひと足早く教室を出ると、さも「今から帰ろうとした」風を装うのだ。


 そのことに昴は気付いていない。柚羽の淡い想いについてはわからないが、変なところで勘のいい人間だ。

 わかっていてこうしている、というのも十分に有り得た。


「……帰ろうか」


 そう言って、にっこりと太陽のような笑みを柚羽に向けた。


「仕方ないわね。──今日だけよ」


 思っていることと逆のことを、ぽろりと言ってしまった自覚はある。


「ありがとう」


 けれど、昴は一層笑みを深くして礼を述べた。



 昴は柚羽の想いに気付いているのか。柚羽は昴に素直になれるのか。

 紆余曲折うよきょくせつありつつも、想いを通わせた二人が恋人同士になるのは、また別の話だ。

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