『わたしだけのヒーローになってくれる』?

常盤木雀

わたしだけのヒーロー


 玄関のチャイムが鳴った。


 ーーまたか。


 わたしはうんざりしつつ、鏡の前で衣服と髪を整える。


「にゃう」

「タルトは可愛いねえ」


 足にすり寄ってきた愛猫タルトは、わたしの気持ちを察するのが得意だ。今もきっとわたしを鼓舞しにきてくれたのだろう。

 しゃがみこんで艶やかな毛並みを撫でれば、タルトはわたしの手に頭を押し付けてくる。


「月香さん、例のあれなんだけど、来られそう?」


 控えめなノックの後に、叔父の声が続いた。

 こんなことに巻き込まれて、叔父もかわいそうだと思う。当事者にされたわたしはもっと不幸だけれど。


「今行きますね」


 諦めをため息にして吐き出して、立ち上がる。タルトはわたしの少し前を歩いてくれる。まるで騎士のようだ。

 タルトは騎士さま。そうとでも思わなければやっていられない。わたしは今からお姫さまを演じなければならないのだから。





 厄介事が降りかかったのは、半年前のことだ。


 古い実家を片付けていたら、とてつもなく古びた、それでいて美しい箱が見つかった。

 箱には何枚もの紙が入っていて、一番上に比較的最近ーーといっても百年くらい経っていそうではあるがーー書かれたと思われるものがくるように収められていた。おそらく、新しい順に並んでいたのだと思う。下に行くにつれて紙はぼろぼろになり、文字は読み解くのが難しい筆致になっていた。

 紙のいうことには、この箱の中身は『不死の薬』らしい。一族の未婚の女性で、名前に月をもつ者に所有権がある。家長は秘密を守り、正当な所有者が箱を見つけるまで隠しつつも次の世代に伝えなければならない。要約するとそのようなことが書かれていた。


 海外に出張中の両親に連絡をすると、わたしの好きなようにして良いと言われた。両親は何も知らなかったそうだ。祖父かその前かそのくらいの代で、継承が途絶えていたようだった。

 両親からすれば、自分たちの知らなかった財産だから無くても困らないと考えたのだろう。そもそもいつからあるのか分からない薬など、真偽以前に、使い道がない。

 ーーそう、使い道などないはずだったのだ。



 三日後には、怪しげなニュースが流れていた。「不死の薬の封印が解かれたらしい」と。

 一週間後には、不審な集団が家に訪ねてきた。

「不死の薬をお持ちなのは、お宅ではありませんか?」

と。


 不審な集団は、自称専門家だった。いや、立派な肩書きをもった、正しく専門家である。

 彼らの話をまとめると、不死の薬の言い伝えは学術的には残っており、封印が解かれた場合の条件を満たしたのだそうだ。場所を突き止めたのは、お告げとか占いとか、その手の類いらしい。不死の薬は封印を解いた人のもので、つまりわたしが強く望まない限り、効果を残したまま他人に譲渡することはできないという。

 仕方なく、箱に入っていた紙束を見せると、学者さんが解読してくれた。といっても、内容は最新のものとほぼ同じ。紙の劣化のために、書き写していった歴史があるようだった。


「学術研究の目的であれば寄付します」


 わたしはそう申し出たが、その場にいた全員に首を振られた。

 不死の薬なんてもっていたら、いつ襲われるか怖くて研究どころではない、らしい。わたしが使うのであれば、使用後のわたしの身体はぜひ研究したいと言われた。都合が良すぎる。

 推測するに、わたしの一族も危険を恐れて、今まで娘に「月」の名前を付けなかったのだろう。どこかでその継承が途絶えてしまったために、わたしは月香と名付けられ、運悪く箱を見つけてしまった。

 わたしは彼らに、もし薬を使うことがあれば連絡する代わりに、決してわたしのことを漏らさないよう頼んだ。彼らは快諾して帰っていった。


 しかし。

 次の日から、我が家には訪問客が次々に現れるようになったのだった。薬目当てである。



 まず、わたしは親戚に泣きついた。

 皆気の毒そうにはしてくれたものの、何ができるか分からないと言われた。それでも、人の良い叔父が防犯のために来てくれることになった。叔父はとても親切な人だが、見た目が厳つい。見かけ倒しだとしても役に立つはず、とは叔母の言葉だ。

 次に、訪問者のうち偉そうな人を数人選び、庭先でこの状態の解決を依頼した。いくら我が家が隣と離れているといっても、近所迷惑でもある。もちろんわたしも大変迷惑だけれど。これを解消してくれない限り話は聞きません、と突っぱねたのだ。

 偉い人たちはきちんと仕事をしてくれた。

 お金持ちたちが雇った護衛が家の回りを警護し、会う順番を整理する小屋ができた。一般市民まで押し掛けることがないように、情報を管理。これは彼らが恩恵を独占したかっただけかもしれない。そして、わたしが望まなければ不死の薬は譲渡できないことが周知徹底された。

 状況が整うと、わたしは訪問者への応対をしなくてはならなくなった。



 最初は簡単だった。

「これだけの金額を用意するから薬を譲ってほしい」

「お金はいらないのでお帰りください」

 これだけで済んだのだ。


 わたしがお金になびかないと分かると、今度は縁付こうとする人たちが群れるようになった。

 このタイミングで知らない人が突然求婚してきたら、薬目的だと分からないわけがない。どうして通用すると思うのだろう。

 けれども、この求婚騒動はなかなか収束しない。これはわたしの名前も一役かっている気がしてならない。「不死の薬」に「月の香り」 だ。連想してしまっても無理はない。迷惑だけれど。



 かのかぐや姫は美しさに惹かれた男たちに求婚されたが、わたしは単に薬を手に入れたい男たちに囲まれているだけだ。断ることすら面倒に感じてくる。


「私なら一生不自由のない生活を保証しよう」


「何でも望むものを手に入れてみせるよ」


「僕は有名人からも何度も告白されているけど、それでも君が良いんだ!」


「あなたさえいればそれで良い、と思うくらいにあなたを愛しています」


 言葉を変え、人を変え、たくさんの人がわたしの前に跪く。まるでそれが当然の作法かのように。

 仕方がないのでわたしも無理難題を吹っ掛けることもある。丁重にお断りしても納得してくれない場合には、そうするしか方法がないのだと知った。


 問題の薬を消してしまおうかと思ったこともある。

 火をつける。ーー燃えない。

 吹き飛ばす。ーー飛ばない。

 水に溶かす。ーー溶けない。

 何をしても、薬は薬であり続けた。こっそりごみに混ぜて捨ててしまおうかと思ったが、

「みんなの目の前で消し去らない限り、隠し持ってるって思われそうだよ」

と叔父に諭された。これはその後に相談した学者さんたちも同意見だった。

 餅投げのように人々の前に投げ出してしまおうか、とも考えた。しかし、それをしたら死人が出るような争奪戦が起きかねなかった。

 つまり、わたしがこの薬を管理して、集まる人々をあしらうしかないのだった。





 叔父が扉を開けてくれ、愛猫タルトの先導でリビングに入る。


 一度断られた人は一年間は再挑戦禁止という制約をつけたため、最近は求婚者も少なくなった。全盛期に比べて少ないだけで、毎日誰かしら来るのではあるが。

 一方で、どうも一部では情報を共有されているようで、わたしの対応に対策されていることもある。わたしが一言で断るのが難しいような、変わった提案をしてくる人が増えている。


「月香さま、こんにちは。初めまして、求婚に参りました」


 若い男性が立ち上がり、恭しく礼をする。

 名乗らない人も多くなった、気がする。無名の人が増えているのか、わたしに知られたくないのか。名前も知られたくないような相手と結婚しようなんて、正気ではないと思う。それほど不死の薬が魅力的なのか。なびかない女に挑戦したという記録だけほしいのか。記念受験はやめてほしい。

 名乗りもしない方とお話しするつもりはないわ、という反論は、最終手段にとってある。他に切り捨てようがない場合の最後の手だ。対策されてしまったらもったいない。


 わたしは部屋の入り口に立ったまま、軽く会釈をした。叔父がわたしの横に、タルトがわたしの前に立つ。


「月香さま、お座りにならないのですか……?」


 タルトがふすんと鼻を鳴らした。

 座るわけがない。何があってもいつでも逃げられるように扉のそばにいるのだ。幸いなことに今のところ危害を加えられたことはないが、いつ変な人間が来るか分からない。

 それから、この男性の減点ポイントをひとつ得られた。敬語も不自由な方はお断り、を使うことができる。


「用件を言いなさい」


 叔父が男性を促す。

 何度も繰り返すうちに、それが定番の流れになっていた。わたしは断るときか難題を出すときしか口を開かない。その方が変に勘違いを生まなくて良いと分かってきたのだ。

 男性は一瞬不機嫌そうな表情をしたが、すぐに取り繕って笑顔で語り出した。


「ああ、月香さま、お声も聞かせてくれないのですね。そんな凍ってしまったあなたの心を、僕は溶かしてあげたい。僕はあなただけのヒーローになる。だからあなたは安心して、その心を預けてくれれば良いんですよ。僕がいつだって守ってあげますから」


 ヒーロー?

 何を言い出したのだろう、この人は。ちょっと酔いすぎではないだろうか。


「そういうのは、間に合ってますので結構です」

「え?」

「わたしだけのヒーローはもういますので、どうぞお帰りください」


 わたしは踵を返して部屋を出る。喚いてる声など知らないふりだ。



 足首の間を抜けて、タルトがわたしを追い越した。


「にゃ」


 タルトを抱き上げる。

 泣きたいときにそばにいてくれるのはタルト。不安なときに立ち会ってくれるのもタルト。お腹が痛いときに温めてくれるのもタルト。怖い夢から助け出してくれるのもタルト。

 タルトはいつだってわたしを助けてくれる。


「あなたがわたしだけのヒーローよね」



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