第129話

 魔獣に知能と呼べるものは存在した。



 そして知能があれば感情もまた存在する。



 恐怖、苦痛、怒り、そして悲しみ。



 魔獣は人が道端の蟻を潰すように人間を殺し、人が家畜を食べるように人間を食べ、人が銃を持つように人間と戦ってきた。



 その行為は生きる上で当たり前の行為であった。



「ニャー」



 だが魔獣にとって小さな命を守る行為は生きる上で当たり前のことではなかった。



 それでも自分の命に換えても守ろうと思える存在であったことは確かだ。



 そんな自身よりも大切な存在が助けを呼ぶ声がした。



 ここには長いこと人間の存在は感じ取れなかったため、魔獣は油断していた。



 我が子の声のする方に走る。



 途中で攻撃を喰らうが、そのようなことはどうでもいい。



 魔獣は二つの餌を殺した。



 呆気ないものだったが、子供は重傷を負っていたことに気付く。



 速く治療せねばと考えるが



「ニャー」



 敵はまだいる。



 魔獣はここに多くの人間が集まろうとしていることを察していた。



 だが、ここで敵を倒さなければこの命を守ることは難しいと考えた。



 湧き上がる殺意をここで晴らしてしまおうという気持ちもあったのだろう。



 魔獣は襲いかかる敵に攻撃する。



 奴らは素早く、攻撃は中々当たらない。



 だが徐々にではあるが、動きは緩やかになっていくのが分かった。



 魔獣は経験で魔力というものをなんとなく分かっていたのだ。



 一匹は自身に大きなダメージを与えるが、もう片方はそれ程ではない。



 警戒すべき方に集中する。



 その後、魔獣はとある感覚に襲われる。



 この感情を人間の言葉で表すのであれば、後悔だろうか。



 魔獣の攻撃が躱された後、強い方が何かを準備し出した。



 それが渾身の一撃だと察した魔獣は警戒し、急所をガードする。



 この攻撃を凌げば勝てるとふんだのだ。



 だが、予想外にも攻撃は自身の足に命中する。



 体が前に倒れ、迎撃しようとしていたもう一匹の急接近を許してしまう。



 だが致命傷を与える攻撃力はないと油断した。



 そして剣は輝く。



 魔獣は動揺した。



 あれはまずいと。



 確実に自分の命を刈り取る力がそこにはあると。



 咄嗟の判断で顔を逸らす。



 そして剣は自身の頭を突き刺す。



 顔は抉れるが、脳には微かに届いていない。



 だが十分過ぎる程のダメージを受けた。



 魔獣は一気に消耗する。



 だが死んでいない。



 人間を蹂躙する力はまだ残っている。



 ここで魔獣はやっと気付く。



 一匹……いや、一つの何かが急速に接近している。



 分からない。



 分からないがあれはまずい。



 魔獣は早々に二匹を始末することを優先し、一刻も速く逃げなければと判断した。



 まずは先に殺せそうな方をやる。



 もう魔獣に油断はない。



 重い腕を振り上げ攻撃する。



 一匹はどこか余裕な笑みを浮かべた。



 だが攻撃の瞬間



「ニャー」



 我が子が声を上げる。



 魔獣は思った。



 強かな子に成長したのだなと。



 油断してしまった自身のように、一匹も同じく動揺した。



 その顔は一気に悲壮感に染まる。



 確実に当たると確信した魔獣は全力で腕を振る。



 そして手応えをその身に感じ、弾き飛ばした。



 それが殺そうとしていた一匹ではなく、もっと厄介な方であると魔獣は分かった。



 だがこれはむしろ幸運だ。



 弱いものを使い強い方を倒した。



 しかももう一匹の殺意は消滅した。



 余程もう一匹が大事だったのだろう。



 これを殺すことなど容易いが今は



「ニャー」



 我が子の言う通り逃げた方がいい。



 魔獣は子熊を連れて走り出した。



 魔獣は足を引きずるが、それでも決して遅くない速度で移動する。



 肩から感じる温かみは確かに自身が守り抜いたものだと魔獣は実感した。



「ニャー」



 子熊も嬉しそうな声を上げる。



 だがお互いに傷は深い。



 安全な場所を探し休息を取らねばならない。



「ニャー」



 すると子熊は不安そうに鳴いた。



 魔獣は不思議に思った。



 一体どうしたのだろうかと。



 だが悲しいことに魔獣は声を失っていた。



 どうにか意味を聞き出そうと魔獣は足を止め、後ろを向いた。



「なんて言うんだろうな」



 そこには一匹の人間、のような姿をした何かがいた。



「ニャー」

「初めて人が死んだ時も、同じような感覚だったんだよ。現実なんだなぁって思う瞬間」



 それはいつの間にか我が子を奪っていた。



 暴れ回る子熊は少しずつ出血している。



 だがそれが気にしている様子は一切ない。



「ヒロインだけを助けられればいいんだって心では分かってる。実際俺にはそれくらいしか出来ないだろうってもな」



 魔獣は動けなかった。



 速く取り戻さねばと思う反面、足は一向に動かない。



「でもな……いつの間にか俺はあいつのことを気に入っていたらしい」



 ドクン



 魔獣の心臓が鳴る。



「二人には確かな絆があったんだ。俺にも、誰にも出来ない大切なものがそこにはあったんだ」



 それの姿が変わる。



 そもそも普通の人間がこうして浮いている事実がそもそもおかしい。



 だからその姿の変化に魔獣は大して驚くことはなかった。



「あー、難しいな。この気持ちを言葉にするのは難しい」

「ニャー!!」



 変わる。



 髪や服が白に変わっていき、頭上には黒い何かが浮かび上がる。



 異形の形をした翼は、まるで死への影かと錯覚してしまう程だった。



「そうだ。これは憂さ晴らしだ。だからお前ら」



 アクトは歪に笑い



「無惨に死ね」

「ニャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアガアガガガガガガ」



 ブチブチと肉が裂け、鳴ってはいけない音が子熊からなる。



 魔獣は走り出した。



 考えるよりも先に足が前に出た。



 前足を全力でぶつける。



 これで死なない人間はこれまで一匹も



「獣風情が気安く我に触れるな」



 腕が吹き飛ぶ。



 今まで自身の肉は裂けても、骨にまで到達したものは存在しなかった。



 そんな腕がまるでそこらの木々のように容易く破壊される。



「そんな顔をするなよ、まるで」

「ニャガガアガガアガ」



 アクトは子熊を潰し



「俺が悪役みたいじゃないか」



 魔獣は叫んだ。



 声を出なくても心が叫んでいた。



 魔獣の心が殺意に満ちた。



 最早恐怖も知性もない。



 ただ目の前に存在するものを殺そうと腕を伸ばす。



 それでも



「素敵な親子愛だ。そんなお前らがさっき殺した人がどれだけの存在か理解できたか?」



 殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る



 だが届かない。



 届かないという次元にすら達していないのかもしれない。



「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」



 笑う



「笑えよなぁ!!あいつは笑ってたぜ!!」



 魔獣の足が吹き飛ぶ。



「どんな気分だよ!!守りたいものを守れなかった気分はどうだって聞いてんだよ!!」



 魔獣の腹が吹き飛ぶ。



 中から内臓やらが飛び散る。



「優しい俺がお前を子供と一緒の場所に連れてってやるよ!!どうだ嬉しいか!!嬉しいよな!!喜べよ!!」



 もう魔獣には痛みすら感じることは出来なかった。



 今なお生きているのは悲しくも魔獣としての生命力の高さ故である。



「死ね!!後悔しながら死ね!!自分の力不足を呪え!!自分の怠慢を呪え!!生まれたことを呪え!!聞いてんのかよおい!!」



 返事など返ってこない。



 そこにはただの肉塊しかないのだから。



「何もう死んでんだよ」



 辺りが血の池に染まる。



「何やってんだよ」



 血の池に雨が降る。



 小さな雨だ。



「本当に……俺はゴミ野郎だ」



 雨はしばらく止まなかった。

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