KAC20229招き猫狂想曲

@WA3bon

第1話 猫の手を借りた結果

 各地から腕に覚えのある人形師が集う人形の街バンボラ。

 ネロ人形工房。そんな街で俺が営む店だ。と、いったところで客はいない。だから金もない。

 金がなければ当然、食うにも困る。ということでここ数日は水しか口にしていない。まぁそれは致し方無しと飲み込もう。俺自身の商才の問題だ。

 だがこれはダメだろ?

「にゃーん」

 どこから入り込んだのか白い猫が一匹。そこまではいい。猫が入り込むなんて珍しくもない。問題は、猫の目前に置かれた皿だ。丸々一匹の魚が盛られているではないか。

「え? え? なに、どういうこと? ノワールさん?」

 思わず動揺してしまう。するなという方が無理だろう。食料が払底したはずの我が家で、知らない猫が我が物顔で魚を召し上がっているのだ。

 状況が理解できない。


「なにって、迷い猫が居たので餌を与えているだけですが?」

 上ずった俺の声に女の子が応じる。

 年の頃は十歳くらいか。黒髪と切れ長の碧眼が愛らしく、エプロンドレスもよく似合っている。

 当店の看板娘にして、俺の手による最高傑作の人形、ノワールだ。そう。どこからどう見ても人間だが、魔力で稼働する自動人形である。

「だけですがって、その魚はどこから……?」

「え? 買ってきたに決まってるじゃないですか。家計に残された最後のお金で」

 もうツッコミを入れる元気すらない。その代わりとばかりに、腹の虫がきれいなビブラートを奏でる。


「なんでそういうことするの……?」

「愚問ですね。こんなに可愛い生き物がお腹をすかせているのです。そこに理由が必要ですか?」 

 言いながらノワールは、魚を召し上がり終えた猫様を抱き上げる。

 三毛というのだったか。茶、黒、白の三色の体毛に覆われた玉体が畏れ多くもみょーんと伸びる様子は、いと雅なりけり。

「やばいな。思考がまとまらない。まぁやっちまったもんはしょうがねぇ……。猫様よぉ。身を削って助けたんだから恩返しの一つもしてくれよ?」

「にゃーん?」

 割と本気でこれを言っている辺り、俺もいよいよ末期なのかもな。情けなさの涙で視界が滲んできた。

「いいんだ。今は猫の手も借りたいんだよ」

「マスター、それ意味違いますよ?」


「にゃっ!」

「あっ」

 そんな愚かで悲しい俺には付き合いきれない! とばかりに猫は身をよじるとノワールの手から逃れ、店の外へと逃げていった。

「さすがマスターです。猫にさえ愛想を尽かされるなんて」

「お前さ、そういうのオーバーキルっていうんだぞ……」

「安心してください。私だけはそんなマスターを見捨てたりしませんので!」

 渾身のドヤ顔だが、何をどう安心しろとう言うのか……?


「あん? なんだこれ?」

 数日後。店先を掃除していると、妙なものを拾った。

 手のひらに乗るくらいの小さな猫の置物だ。デフォルメされた三毛猫が立ち上がって左手を上げている。右手に持っているのは金貨だろうか? どことなく東方の雰囲気を感じる品だ。

「ほほぉ。招き猫ですか」

 不意に声をかけてきたのは、町内会長さんだ。確か東方の出身だったなこの人。

「縁起がいいですよネロさん。左手を上げているのは、人を呼ぶご利益があるので。千客万来ですね」

 それだけ言うと会長さんは去っていった。あれ、遠回しにそろそろ町内会費払えって言ってるのかな……?


 とにかく、今は拾い物にも縋りたい気分だ。軽く布で拭うと、招き猫をカウンターの上に置く。

「頼むぜ。せめて一人くらい客をだな……」

「マスター……」

 ノワールが無言で冷たい視線を突き刺してくる。しかし野良猫にまで本気で恩返しを期待した俺だ。そんなものは痛くも痒くもない。

「今は猫の手も借りたいんだ!」

「だから、意味違いますけどね?」

 

「……ん? 地震、か?」

 招き猫を拝んでいると、不意にカタカタと窓ガラスが音を立てはじめた。この街で地震なんて珍しい。

「マスター! 地震じゃありません! あれを!」

 ノワールが指を差す。もうもうと立ち上がる砂煙が、一直線にこちらへ向かってきているではないか。

「な、なんだ? 牛でも逃げ出したか?」

「違います! あれは──お客様です!」


 バン! 入り口が勢いよく開かれ、カランコロンと来客を告げるベルがひっきり無しに悲鳴を上げる。

「人形だ! 人形をくれ!」「何故か無性にここでしか買いたくないんだ!」「はやくしてくれぇ!」

 押し寄せた客たちは口々に注文を口にする。何だこれは? 何が起こった?

 いや、それより何よりまずはこの状況を切り抜けるのが先だ!

「順番にご注文を聞いています! こちらに並んでください!」

 ノワールが人波にのまれつつも客を案内し、俺はひたすら倉庫と店を往復して人形やら人形用のグッズを片っ端から売り捌いていく。嵐、いやこれはもう戦場だ。怒号が飛び交う鉄火場そのものである。


「品切れです! もう品物はありません!」

 一時間もしない内に店の在庫は何もかもなくなってしまった。何に使うのか俺でも分からないような専門性の高いパーツまで、何一つ残らずすっからかんである。

「……なんだったんだありゃあ……?」

「お疲れさまですマスター」

 息も絶え絶えの俺と違ってノワールはケロッとしている。揉みくちゃにされて着衣が乱れているのがなにか犯罪的だが。

 客が来た。お金が入った。それはまぁ間違いなく喜ばしいことだ。当面は食うに困らないし、町内会費だって払える。

 が、言うまでもなく異常事態である。昨日まで閑古鳥が鳴いていたのに、急にこんなことはあり得ない。

「マスターの技術が評価され始めたんですよ。まぁ言い換えれば高性能な私が認められたってことですけど」

 訝しむ俺と違ってノワールはご機嫌だ。

 そんなものだろうか? まぁ妙なことにはなっているが、別に不利益はないのだ。考えすぎか。


「なんてことなかったな!」

 翌日。開店と同時に店の前には長蛇の列が出来ていた。

 昨日仕入れたばかりの商品が次々に消えていく。いや、それはいいのだが──。

「さっさとしろよ!」「こっちが先だろうが!」「割り込むな!」

「お客様……順番に対応してますので……うわわ! 押さないでくださ……」

 完全に処理能力を超えている。客同士で喧嘩が始まるし、ノワールは客の並に飲み込まれて、割と早い段階で姿を消してしまった。

「ええい! 閉店! 今日はもう店じまいだ! 帰ってくんな!」

 こんなものはもうどうしようもない。強引に客を追い出して店を閉める。ガラス越しに恨めしそうにこちらに向けられる視線の数々は有り体に言って怖い。恐怖だ。


「な、舐めていましたね、千客万来……」

 ボロボロになったノワールがヨロヨロと起き上がりながらカウンターへ目をやる。

「千客万来、ねぇ」

 ここまでくればもう原因は明らかだ。左手を上げる三毛猫の置物。招き猫である。

 コイツを置いた途端にこの騒ぎだ。辻褄が合いすぎている。

「ご利益が利きすぎです」

 仮にも人形であるノワールがらしくないことを口にする。ご利益とか神頼みなんて今の時代にあるはずもない。

「こいつは魔具だ」

 魔具とは、人形の技術を応用した魔力で作用を与えるアイテムのことである。

 この招き猫は、さしずめ手近な人間を催眠状態にでもする効果が付与されているのだろう。

「千客万来が聞いて呆れるぜ」

 招き猫を手に取ると、床に叩きつける。魔具を破壊すればこの乱痴気騒ぎも終わりだ。これで丸く収まった。……と思ったが……。

 

 ばいん! 妙な音を立てて招き猫は大きく弾むと、元のカウンターの上に戻ってしまった。壊れるどころか傷一つない。

「貸してください。私の溢れるパワーで!」

 ぼいん! ノワールがフルパワーで殴りつけるが、やはり破壊できない。

「ご丁寧なことだな! 保護の効果も付与されているのか!」

 物理的な方法では破壊できないようになっているらしい。といっても、俺もノワールも魔術など使えない。つまり魔具を破壊する方法がないということだ。

「時間が経てば魔力が切れるのでは?」

 確かにノワールの言うとおりだ。内包された魔力を使い果たせば効果は終わる。

 だが、それがいつになるのかはわからない。なによりも。

「そう悠長に構えてもられないだろ」

 未だに店先には大量の客が屯している。バンバンと窓ガラスを叩き、無理にでも

入ってこようとしているのだ。いつまでもつか分かったものでは……。


 ガシャン! そう言ったそばからガラスが叩き割られた。

「売ってくれ! 人形を売ってくれえええ!」

 次から次へと招き猫に操られた人々がなだれ込んでくる。

「ええい! 押し戻せノワール!」

「やってます! けどこれでは……」

 ぎゅうぎゅうと押し合いをするも、圧倒的な圧力には抵抗しきれない。これでは俺もノワールも、客もみんな押し潰されてしまう!


「にゃーん」

 不意に猫の鳴き声が聞こえてきた。怒号が飛び交う中で、やけに耳に届く声だ。

「お前、あの時の……」

 猫だ。魚をくれてやった、あの三毛猫である。

 死闘を演じる俺たちを尻目に、猫はスタスタとカウンターの上を歩く。

「にゃ……」

 まるで謝罪するかのようにペコリと頭を下げると、左手でそっと招き猫を小突いた。すると。

 パリン。アレだけ破壊できなかったのが嘘のように、招き猫は粉々に砕け散った。


「結局何だったんだろうな今回の騒動は……?」

 操られていた人々は正気を取り戻すと三々五々、工房を後にしていった。残されたのは散々に荒らされた店の惨状である。

「恩返しだったんじゃないですか?」

 手際よく片付けをしながらノワールが言う。

「恩返し、ねぇ?」

 俺はそれよりも教訓めいたものを感じたけどな。

「猫の手をアテにすんじゃねぇ、ってか?」

 誰にともなくこぼすと、俺も店の片付けに回る。人間、やはり猫を当てにする前に額に汗して働かないとな。

 


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