第40話 アズトール伯爵家の秘密


「……え?」

「美しいリリー・アレナ。君の琥珀色の目は嫌いじゃないが、本当の目の色は、どんな色なんだい?」


 優しい声に一瞬惑わされそうになったけど、予想外の言葉を聞いて私は睨みつけるのを忘れた。

 本当の色も何も、私の目は物心ついた時からずっと琥珀色だ。亡くなったお母様も同じ色だっただから何を言っているのか全く理解ができない。

 でもセレイス様は私の顎に触れた手に力を込め、無理矢理に上向かせた。


「遠い北部辺境地区には、他の地区とは全く違う世界が残っているそうじゃないか。その中でも特異と言われているのがアズトール伯爵領なのだろう? アズトール領には何がある? あの男は、君の姉は、あの田舎に何を隠している?」


 あの田舎領地に、隠すものなんてあるわけがない。

 そう思うのに、ふと頭の中で警戒を促すもう一人の自分がいる気がした。

 これは、私を誘導しようとしているんじゃないか。

 公爵様なお兄さんが言っていたじゃないか。私の思考はガードが緩すぎるって。私に問いかけることで、アズトール領の秘密を探ろうとしているのかもしれない。

 いや、やっぱりあの辺境の田舎にそんな秘密があるとは思えないけど。

 ……でも何が秘密なのか、私はわかっていない。



 ふと、今日渡された絵本を思い出した。

 もしかしたら、もう「今日」ではなくなっているかもしれないけど、ロイカーおじさんが読めと言ったアズトール家の歴史を語る絵本は、どこかおかしかった。

 魔獣たちとの戦いのはずなのに、銀色の目をした人間がいた。

 同時に、銀色の目をした人間が味方になっていた。


 ……だめだ。考えるな。

 思考を封じろ。あれが秘密だとしたら、領地で育った私は王都の貴族たちが驚愕するようなものを見てきたはずだ。

 アズトール領の人々にとっては、当たり前のもの。

 それが他領の人々にとっては異常だったら。何を思い出しても危険だ。

 こういう時って、どうすればいいんだろう。

 そうだ、思考封鎖をすればいいんだ。

 ……でも、それはどうやってすればいいの?! 魔力貧者な私は成功したことがないんだけど!


「ねえ、リリー・アレナ。この世界と異界の狭間に生まれた麗しい女神。僕に教えてよ。君が本当はどんな子で、君が育った場所にどんなものがあったか。君の話を聞くのが好きなだけだから、そんなに警戒しないで」


 セレイス様の声は穏やかだ。

 でも顎を掴む手は痛いほど力がこもっていて、私の頭の中の全てを読み取ろうとするように黒い目が覗き込んできている。


 怖い。

 でも負けたくない。

 その一心で、私は必死で思い出そうとしていた。アズトール領のことではなく、王都での日々を。お姉様の笑顔とか、謎の果物を持ち帰ってくれたお父様のこととか。


 そうだ、ロイカーおじさんとリネロスおじいちゃんのことを思い出せ。

 一生懸命に教えてくれていた時、どんな話をしていた? お兄さんも、お守りだと言って何かしてくれたじゃないか。

 今度は大丈夫。落ち着くんだ、私。

 半分絶望している顔のロイカーおじさんは、魔法を教えてくれる時に何と言っていただろう。思考封鎖の術を成功させるには、正確な呪文の詠唱と、集中と……あとは……あとは…………そうだ、根性だっ!



 パシン!と頭の中に何かが響いた。

 ほとんど息がかかりそうになるくらい近くにあったセレイス様の顔が、突然弾かれたように遠のいた。そのまま数歩下がりながら目を押さえている。

 何かがあったらしい。

 こ、これはチャンスかも?! でも横を見ると、すぐ近くにいる黒い犬は笑っていた。


『混ざりものゆえ、魔力など全くないと思っていたが。最低限は持っていたのだな』

「……油断したよ。さすが僕の女神様だ」


 セレイス様はまだ笑ってた。

 でも押さえていた手を外すと、目から血の混じった涙を流していた。何かがあったらしい。私には全くわからないけど……もしかして、何かが成功した?

 呆然と見ているとセレイス様はハンカチで目元を拭った。


「はは、見事な思考封鎖術だね。でも、永遠に続けることは無理だろうから、我慢比べをしようか。ここでしばらく寛いでいてもらおうかな」


 上質な絹のハンカチが、血で真っ赤に染まる。

 庶民が見たら卒倒しそうな光景だ。でもセレイス様は当たり前のように気にしない。さらに目元を拭いた。

 それに、どうやらよく見えていないようだ。黒い犬に先導されながら、手探りで扉へと向かっている。

 本当なら、逃げ出すチャンスだ。

 でも細くなった鎖がまた重くなっているし、腕輪も重くなって動けない。歯噛みしているうちに扉がまた閉まった。

 ガチャガチャとさらに音がしているのは、鍵をかけているからだろう。やがてセレイス様の足音が遠ざかっていった。

 再び、部屋の中に静寂が戻った。私の呼吸の音だけが響いている気がする。



「……何個、鍵をつけているんだろう」


 沈黙に耐えきれなくて、なんとなくつぶやいてみた。言葉にするとひどく滑稽に思えて笑ってしまったけど、体はまだ動かなかった。

 悔しい。でも、一度は逃れられた。そのことにほっとする。でも同時に、次も成功させなければ終わりだという絶望感もある。


 心臓が嫌な速さで打ち続けている。

 呼吸まで苦しい気がする。絶望に囚われたらおしまいだとわかっているのに、うつむきそうになった。

 その時……私を押さえ込んでいた圧力が、突然、一気に吹き飛んでいた。

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