第五章
第38話 ここはどこ?
気が付くと、私は石の床の上に倒れ込んでいた。
慌てて体を起こして周りを見る。窓のない空間の中が広がっているけど、さっきみたいな異常な空間ではない。
普通の部屋だ。
ただし光がどこからも差し込んでいないから、ここは地下室じゃないかな。
いつの間にこんな場所に来たのだろう。もしかしたら、一瞬気を失ってしまったのかもしれない。
私は立ち上がった。
正確には、立ち上がろうとした。でもほとんど動けない。ふわふわと広がるスカートをそっと持ち上げると、足首に重い足輪がはまっていた。
「……うわぁ。何なのこれは」
足輪そのものも重いけど、それに繋がっている鎖がさらに重い。私の手のひらくらいありそうな大きな鎖がずるりと床を這ってて、石積みの壁に打ち込んだ杭に固定されている。
私は鎖を持ち上げてみた。
片手では難しいけど、両手なら持ち上がらないことはないようだ。さらにゆっくり立ち上がってみる。足首が重いけど、何とか立つこともできた。
鎖を持ったまま、少し歩いてみる。これも歩けないこともない。ただし、とても歩きにくい。まあ、当たり前か。
この部屋には窓がない。
でも、何があるかわからないほど暗くもなかった。ちょうど私の頭の上くらいに、ぼんやりとした光が浮かんでいるおかげだ。
「……魔法、だよねぇ」
魔力ほぼゼロな私には縁がなかったけど、魔法を使って光球を作ることはできる。王宮の舞踏会で使われていた照明がこれだった。
地下室のような閉鎖空間で火を使うと通気が良くないと危険だから、光球を使ったりもするらしい。
魔力貧者には無縁だったけど。
そういう意味で、私をここに連れてきた人は、魔力に苦労したことはないようだ。
なんて羨ましい。
でも、ここはどこだろう。
ヒントを探そうと、鎖を持ったまま少しずつ歩いてみた。鎖が重いからゆっくりしか動けないけど、移動すれば頭の上に浮いている光球も移動した。私の利便性を考えてくれているなんて、なんて優しい人だろう。
……地下室だけど。
いきなり拉致されてしまったけど。
でも、じわじわと移動してみて分かったことがある。
この部屋は思ったより広い。
壁際にはベッドもあった。布団をそっと押してみるとふわふわだった。寝心地は悪くなさそうだ。鎖の長さも十分にあるから、寝そべることもできるだろう。鎖と足輪が重くて痛くて、不快だけど。
でも組み木模様が美しいテーブルもあるし、飾り彫りがかわいい椅子もある。ガラス製の水差しには水がたっぷり入っている。銀製のお皿には美味しそうなお菓子もあった。
ご丁寧に部屋の隅には衝立もあって、そこで用を足したり風呂に入ったりもできるようだ。
湯船は上品な金細工がほどこされた作りだ。これは貴族仕様だな。いつでもどうぞ!と言わんばかりに、お湯もたっぷりと入っている。でも湿気がそれほどひどくないのは、湯船の上に風車のようなものが浮かんでいるせいだと思う。
くるくると羽が回っているけど、それが湯気を吸い取ってどこか異空間へ送り込んでいるんじゃないかな。
魔力貧者には縁がない、たぶん高度な魔法の産物だと思う。
床もたぶん魔法がかかっている。試しにお湯に手を入れてパシャリとこぼしてみたんだけど、床が濡れることはなかった。飛沫が床に落ちる直前に消えていく。
うーん……何だろう、このものすごく贅沢な空間は。
拉致しておいて、この待遇は意味がわからない。
それとも、最近の拉致犯罪はこのくらいが常識なの?
「……なんてことは、ないよね……」
本当はわかっている。
これは監禁用の場所だ。
窓のない地下室で、私を閉じ込めている。何を目的にしているかはわからない。私は外見だけはいいから、もしかしたらそういう変態な人に攫われてしまったのかもしれない。……最悪だ。考えたくない。
「でも、それでアズトール伯爵家の屋敷を襲撃するの?」
無防備に、一人でふらふらと街歩きをしているときではなく、騎士も魔導師もお父様もいるあの屋敷から、わざわざ私を連れ出すって、そんな無駄なことをするの?
……するかもしれない。
この部屋を用意した人は、少なくとも効率とかそういうことを考えていないっぽいから。
「まいったなぁ……」
鎖をつけられているから、思うように動けない。
窓がない地下室っぽい部屋だから、ここがどこかもわからない。出口は一つだけあるけど、いかにも頑丈そうな扉が閉まっている。
これはまずい。圧倒的にまずい。
機動性を封じられて、壊せそうもない石造の空間に閉じ込められているなんて、絶望的だ。
……とりあえず、椅子に座って落ち着こう。
私は鎖を引きずりながら椅子に腰を下ろした。
何となくため息をついていると、微かな音が聞こえた。
足音だ。誰かが近付いてくる。
やがてガチャリと音がした。似た音は何度も繰り返し、それからゆっくりと扉が開いた。途端に、まばゆい光が部屋に入ってきて、私は思わず手を顔の前にかざしながら目を細めた。
「おや、起きていたんだね」
柔らかな声が聞こえた。とても品の良い話し方で、とても優しそうに聞こえる。
……でも私はぞっとした。全身に鳥肌が立ってしまった。
この声は知っている。この話し方も知っている。
明るさに目が慣れてくると、光を美しく反射している赤みを帯びた金髪も見えるようになった。
優しい微笑みも見えた。相変わらず目だけが闇のように真っ黒だった。
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