第32話 お父様との再会




 紫色の目はお姉様と同じ色なのに、研ぎ澄まされた刃を突きつけられているようで冷や汗が背中を流れていく。

 怖い。

 でもそれ以上に、あの紫色の目に落胆の色が浮かぶのが怖い。二年ぶりのお父様は、私を見て昔のようにため息をつくのだろうか。


 そう考え始めると頭が真っ白になる。足が震え、私はぎゅっと手を握りしめ……ふと、水色の目を思い出した。

 腕に刻み込んでもらったお守りのことも思い出して、そっと右の手で左の腕を触れる。

 なぜそんなことをしたのかは、わからない。

 でも、少し気持ちが呼吸が楽にできるようになった。



「……お、お久しぶりです、お父様」


 声は震えていたが、なんとか言葉になった。

 私は伯爵令嬢に相応しい形の礼をする。屋敷を抜け出した格好のままだから、私は馬丁見習いの少年のような姿だ。それにまだ足が震えているから、あまり美しい形にはならなかったと思う。でも、恐る恐る顔をあげると、お父様はまだ私をじっと見つめていた。


 まだ、ため息はつかれていない。

 落胆の表情もない。

 もしかして……少しは合格点に近かったのかな?

 固唾を飲みながら反応を待っていると、お父様は私を見つめたまま丹念に整えた顎髭に触れた。


「抜け出したと聞いて、昔のままかと覚悟したが……外見は少し成長しているようだな」


 低くつぶやき、それからおもむろに両手を脇の下に入れて、私をひょいと持ち上げた。

 小さくて細いままの私は、簡単に高々と浮かんでしまった。


「お、お父様っ?」

「……まだ軽すぎるな。王都の食事は口に合っているか?」

「え? あ、はい。とても美味しいです」

「そうか。ならば体調はどうだ? 体が重かったり怠くなるようなことはないか?」

「毎日元気です……けど」


 え? なぜこんな質問をされているの?

 元気いっぱいに塀を乗り越えるし、壁をよじ登るし、木にも登ってますが……そんなことも正直に告白しておくべきなのかな。

 いや、もしかしたらお父様のことだから、深い意味を込めているのかもしれない。どうしよう。私には意図が全くわからない。

 宙に浮いたままの足がぶらぶらと揺れて頼りない。

 それに、脇と肩が痛い。

 こんな風に抱き上げられたのは久しぶりすぎて、そろそろ体が辛い。

 ……なんだかお兄さんに首の後ろを掴まれた猫のようだ。猫たちもこんな気分だったのかな。猫ではなくて魔獣だけど。

 一人で混乱していると、お姉様がため息をついた。


「お父様。リリーはもう十六歳です。子供の年齢ではありませんよ。下ろしてあげてください。……それに、もし体調に異変があるのなら、屋敷を抜け出して裏道を走り回ったりしません」

「ふむ。それもそうか」


 お父様はやっと納得したのか、私を地面に下ろした。

 ……自分の足で、しっかり立つことのできるありがたさを思い知ってしまった。

 

 身長は成人女性の平均からは遠いものの、私は健康体だ。筋肉がついている分、見た目のわりにそこそこの体重がある。なのにお父様は私を抱き上げ続けたのに、少しも疲労していない。

 さすが武闘派で名高いアズトール伯爵。外見は端正な人なのに、美麗な貴族の衣装の下には衰え知らずの肉体が隠れていた。


 まだ動揺がおさまらずにドキドキしていたら、頭に何か重いものが載った。

 目を挙げると、太い腕が見えた。頭に載っているのはお父様の手のようだ。私の心臓はまた大きく乱れた。

 驚きを隠せない私を、お父様はまたじっと見ている。

 思わず呼吸も忘れて立ち尽くしていると、頭に乗った大きな手が動いた。……頭を撫でられている。やっとそう気付いた。

 

「中に入れ。そろそろ食事の時間だ」

「は、はい」


 私が頷くと、大きな手はもう一度くしゃりと頭を撫でて離れていった。

 お父様はそのまま背を向けて屋敷へと戻っていく。

 その広い背中を呆然と見送っていると、お姉さまがため息をついた。


「全く、もっと素直に可愛がればよろしいのに」

「……あの、お姉さま。今、お父様に……頭を……頭を……」


 お姉様にそう言いかけて、私は言葉を続けられずにうつむいた。

 頭を撫でられたと思ったのは、もしかしたら私の勝手な思い込みじゃないか。頭に手が乗ったこと自体が、私の想像だった気がしてくる。

 私は……お父様に、そんなことをしてもらったことがないから。

 そんな私に、お姉様は腰をかがめて覗き込むようにして微笑んでくれた。


「お父様は、時々あなたの頭を撫でていたわよ。……リリーは起きている間はじっといないから、いつも寝入った後だったけれど」

「……本当に?」

「そのうち、いろいろ話してあげるわ。さあ、中に入りましょう。お父様にたくさん食べる姿を見せて安心させてあげましょう」

「…………はい」


 やっと笑い返すことができた。

 オクタヴィアお姉様もとても優しく笑ってくれて、まるで領地にいた頃のように私の手を引いてくれた。

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