伯爵令嬢は言い訳に耳を貸さない
よく言う話。
悪口を言われた方は鮮明に記憶をしているけれど、言った本人はその時に言ったことを忘れてる。
サーシャとかは正にそう。
次の日には、昨日の細かい内容を忘れているのか、ケロっとした顔であたしに話し掛けてくる。
別に今更どうでもいいけれど、やっぱり言われた方は、もやっとする。
これはたぶん、誰もが持ってる感情。
普段は口にしない、ひた隠しにする部分だから。
昔の事を何時までも気にするなんて、執念深いって言われるかもしれない。
だって仕方ないでしょ。
あたしは聖女のような慈悲深さも、お姫様のような上品さもないし。
物語の主人公みたいな人間を見て、密かに憧れている、その他大勢。只の一般人なんだから。
それにね。自分の容姿がどうやっても平凡なのは分かってるんだよね。
……ま、綺麗になりたければメイクで盛れば、そこそこいけるんじゃない?って言われるかもしれないけど。
だったら、あたしはあたしの思うまま。
お嬢様らしくなくていいから、
思い描いた理想のあたしになりたい。
あたしの……
******
「ふざけんなーーっ!」
目の奥が、燃えるように熱い。
サーシャを泣かせたあたしの天敵こと、アンディは見上げるくらい高い場所に吊られたまま、腕を動かしてもがいている。
あたしの使う浮遊魔法は、宙に浮かせたまま動きを固定することも出来る。
もがいたからって、魔法が解けることはないし、アンディの力じゃ簡単には解けないと思う。
体が思うように動かないのが分かったみたいで、あたしの事を驚いた顔をして見つめている。
そのアンディの様子を見ながら、鋭い目線で見返した。
ーー今のあたしは、心底ムカついていた。まるで心の中で、炎がめらめらと燃えているような感覚。
「……くそっ、……降ろせよ!」
「妹を泣かせるなんて、マジで許さない!」
「は、はあ?……そいつは散々お前を貶してた妹で…」
「だから?
そんな一連の展開に、妹は泣いていたことを忘れて、ぽかんとした顔であたしに話しかけてきた。
「お、おねえ……なんでそっちがキレてんのよ…」
戸惑い気味に言われた問いかけに、はじめて周りの視線に気付いた。
隣に座っていたソフィー様や泣いていたサーシャ、ティーパーティーに集まっていた人達の視線があたし達に集まっているのが分かった。
無我夢中だったから気付いてなかったけど、驚くに決まってるよね。
いきなり一人の人間が天高く飛んだまま、止められているんだから。
「……あ、ええっと…」
ここで、ジョヴァンニ先生とも目線が合う。表情は変わらなかったけど、少し呆れていた。
……うう、若干怒ってらっしゃる。
胡乱げな顔付きであたしを見ているサーシャのお陰かな、少し頭の中が冷静になってきた。
んー……なんだろ。上手く言えないんだよね。正直なところ、サーシャには色々言われっぱなしだし、本当に小悪魔みたいな妹だし。
でもなんか、アイツにムカついたのよね。
「んー……、シンプルにアンディがあたしの天敵だから?」
あたしはポケットからハンカチを取り出して、妹に差し出した。
いつものサーシャは、あたしの持ち物はダサくていらないって言うのに、素直に受け取っていた。
うわー、しおらしい態度してるの珍しい。
「ふ、ふん。あたしみたいなのを庇って、バカみたい……!」
まあ、そうかもね。
姉妹揃ってアホなことで目立っちゃってるし。折角のお茶会の空気をぶち壊してしまって、謝って許してもらえるのかわからない。
急に恥ずかしくなってきちゃったし……。
あたしが、そんなことをぐるぐると考えていると。
『……のう、フアナの娘。あの小僧は好きにしていいかのう?』
「あ、そうだ。アンディをそのままにしちゃって、……うん?!」
降って沸いた、聞き覚えのない尊大な口調の声。
思わず返事を返してから、あれと思って声の方へ顔を向けると……それは、宙に浮いたままのアンディの周りにふよふよと浮いていた。
丸くてひらひらしていて、ほんのりピンク色のゼリーっぽい……巨大なクラゲの化物が、不気味に浮かんでいる。
ソイツは二本の脚(?)でアンディの胴体を巻き付けるように掴んだ。
「!?」
「な、……やめろ、わーーーっ!!」
ぶおんと音を立ててクラゲの脚が下に振り下ろされる。
空の彼方から地上すれすれの距離に、アンディの体が振り下ろされる。
急なバンジージャンプに、あたし達はぎょっとしてしまった。
『驚くのはまだ早いぞ、そおれ!』
「…ひっ、うわあぁっ!」
間髪入れずに、今度は空の彼方へと脚を振り上げる巨大なクラゲ。
心なしか、楽しそうなのは気のせい?
……あれはえーっと……モンスター?
「……あの、ステファニア嬢。あのクラゲも君が…?」
遠慮がちに声を掛けてきたソフィー様の問い掛けに、あたしは即座に首を横に振った。
流石に召喚魔法は使ってない!
それにあたし、あんなクラゲを呼べないし……まって、まってよ!
怒りに任せてアンディに浮遊魔法を掛けたのはあたしだけど、流石に天敵を(物理的に)怪我させたいわけじゃないんだってば!
『あっははは!偉そうに語っていた癖に部様よのう』
「……ステファニアくん」
ぶおんぶおんと音を立てて、上下にフリーフォールを繰り返しているクラゲの様子を目の当たりにして呆然としていると、ジョヴァンニ先生が遠慮がちに話し掛けてきた。
「あれは恐らく君の家柄に憑く悪魔じゃないのかな?」
「ええっ、いやでもディアブロは……」
あたしの父親の家……クオーレ家は先祖が氷の悪魔と契約を交わしており、代々の当主と彼が家族と認めた者達を護っている、らしい。
けれど、ディアブロは既に従兄を主人と認めているし、そもそも見た目がネコっぽい姿だったよね。
するとそっちじゃなくて、とジョヴァンニ先生。
「伯爵が話していたんだよ。君の母親の家系も、また悪魔の加護を持つ家系だと聞いているよ。あれがその悪魔じゃないのかな?」
「!?」
言われてみれば、少し聞いたことがあった。
あたしの母親は、元はジルベルト王国の隣国、サンキスト公国の領主の娘だったそうだと。
そこの一族の女性は、たまに祖先と契約した悪魔から加護を受けることがあるとかなんとか。
……当の母親には何もなかったそうだけど。冗談半分で「あなた達を守ってくれてたらいいのにね」と言っていた。
いや、でも……あれが?
「……あーあ。おねえがキレたせいで、化物クラゲが出てきちゃったってわけね」
「げっ、あたしのせい?!」
でも、どうしろって!
いや…声を掛けたら止まるの、あれ?!
「……とりあえず今は、ノーホークくんを空から降ろしてあげなさい」
流石に心配だ、とジョヴァンニ先生。
何処からか取り出した杖をクラゲに向けると、先生は腕に巻いたブレスレットの宝石を軽くつついてから、呪文を唱え始めた。
「……集いて、束ねて、我が求めに応じよ……」
魔法を使う時、人はマナを目に集める。
目の中の網膜と虹彩には、マナを集める役割があるらしい。
当然だけど、マナを集めるのは目に負荷がかかるし、下手をすると視力を失くすリスクがある。なので魔法使いは特殊な魔方陣を刻み込んだ宝石をアクセサリーにして身につけて、魔法を使う時はマナを宝石に溜めることで、リスクを分散させている。
目が光るのも、集まったマナのせい。
先生の目の奥が、淡く光を放つ。
ずずず、とジョヴァンニ先生の足元の影が伸びていくと、クラゲの足元の影を捕まえてしまった。
すると不思議なことに、クラゲ本人もピタリと動きを止めた。
先生の得意とする魔法の一つ『影止め魔法』。魔法の影に触れられた影の持ち主は、その場に動きを縫い止められてしまう。
単純だが強く、光の当たる場所なら何時でも使えて応用も利く、とジョヴァンニ先生が謳っている魔法の一つなのだ。
『……なにっ?』
「私の生徒に手出しをするのは止めて下さい、クラゲの悪魔」
「もういいから!ぐったりしてるし……ええっと……」
『……。我のことは、レヴィと呼ぶがよい』
クラゲ……改めレヴィはちらりと先生を見てから、直ぐにあたしに視線を向けると、大人しくなった。
さっきまで強制フリーフォールを繰り返していたアンディは、汗をかいてぐったりしている。
あたしは、アンディの体をゆっくりと地上に下ろした。奴は項垂れたままだ。
んー、……なんだか急に罪悪感が湧いてきたわ。
「…急に魔法を使って悪かったわね」
「……お、俺はただ……」
するとアンディは俯いたまま、ぽそぽそと言いにくそうに呟いた。
「昔のステファニアに戻って欲しくて…!」
「いつの話よ?」
「まだデブってなかった頃だよ!あの頃は、……まだ可愛げがあった!」
それって、本当に子供の頃の話でしょ。
母の言いつけを守って食生活していたし、父に付いて様々な場所に連れてかれていたせいか標準体型だったわ、うん。
伯父様が亡くなって、父が領主代理の仕事を引き受けてからは食生活が変わってね、……あたしは食べ物が大好きだったし、子供の頃って遠慮せずに食べるから、そりゃ横に成長するよね。
「姿が変わっていくお前が嫌で、元に戻って欲しくて……確かにキツイ事を言ってたよ!いつからか、そんなお前が本気で嫌いになってた!」
「今更言われても、あれじゃ意味がわからないわよ」
あの頃のアンディは、顔を会わせればニヤニヤした顔で『デブス』『ブタ』と言ってくるシンプルに嫌な奴だったし。
元々、サーシャが懐いてたから関わってたけど、やがてあたしから避けていった。
それでもたまに会うと嫌みばかりを口にするから、あたしは天敵認定していましたけどね。
そんな苦い思い出しかないし、アンディの言葉は今更過ぎて、あまり心に響いてこなかった。
標準体型の時のあたしの方が良かった、と言うのもアンディの本心だと思う。仲良く出来ていたから。
けれどきっと、あのときの嫌みの数々だって絶対コイツの本心だ。
結局、アンディは見た目でしか人を見れないんだと思う。
「だけど……もうそんなことは言わない!今日のお前を見て、俺は……」
「……全く、見てられないよ」
すっと、視界が遮られる。
あたしの目の前にソフィー様の腕が映る
。
彼女は凛とした所作で、あたしとアンディの間に割って入る。
「……スー。私も彼に言いたい事があるんだ。少しいいかな?」
「も、勿論…」
ソフィー様から物腰の柔らかい淑女そのもの、の笑顔を向けられたあたしは、びっくりしながらも頷いた。
続いてアンディの方に向き直った彼女は、にこりと笑ったまま口を開いた。
「随分と回りくどいな、あなたは」
「フェノール伯爵家の…」
「すみません、ノーホーク先輩。ステファニア様の友人として、これだけは言わせて頂きたい」
穏やかな表情を浮かべていたソフィー様は、一瞬で声音を低くさせた。
「気持ちは解らなくないが…何故、もっとスマートに言わないんだ?」
「……!!」
外見が変わってびっくりされたでしょうし、騒いでしまったのは分かる。と寄り添う素振りを見せつつ、ソフィー様はまた声音を低くして言葉を続けた。
「あの振る舞いはこの学園に通う者としては、スマートではない。
話し合いをしたいのなら、別の場所に移動する等、考える余地もあったでしょう。
お茶会に集まってくれた皆に申し訳なく思いますし、控えめに言って気持ちいいものではありませんよね」
「しかし、先程は此方も…」
「それで極めつけに、まだ私の友人にすがるのですか。引き際を見定めるのも肝心では?ノーホーク先輩」
と、彼女は顔色を変えず、淡々と詰めていった。
ここまで聞いて、あたしはハッとした。ソフィー様は……お茶会の空気を壊されて、人知れず怒っていたのだと。
「……フェノール伯爵令嬢を怒らせたな。あの先輩」
「本気で怒ると淡々と理詰めでお説教するのよね。しかも微笑みながら」
「普通にお説教されるよりも怖いヤツだわ……」
あ、あわわ。あとで謝らないと…。
ソフィー様はそれから、淡々とした言葉でアンディを詰めている。天敵はきっちりと正座をさせられて、滝のような汗を流していた。
そして何故か、サーシャもぷるぷると青ざめていた。
そこに、しかめっ面をしたアルマがいるのを見つけて、思わず声を掛けた。
「何でしかめっ面になってるの、アルマ」
「…む。サーシャ様もアンディに言い返してやればよかったのに!」
「アルマも怒ってるのね」
アルマって、時々あたしよりも感情が出やすいっていうか、喜怒哀楽が分かりやすいんだよね。
それが不快じゃなくて、寧ろ可愛く思えてしまうんだけど…これはアルマの素直な性格だからなのかなぁ。
「とーぜんです。主の天敵は私の天敵ですよ!」
ふんすふんすと鼻息荒く、何処からか持ってきたデッキブラシを片手にしている。
『これは可愛らしい侍女だこと。良い人間と縁を持っているな、ステファニア』
「……えっ!動けるの、レヴィ?」
あれ、先生の魔法で動けなくされていたんじゃないの?
『我はこれでも、長く生きている悪魔なのでな』
人の小細工など、そよ風と同じよと嗤っている(ような気がする)
化物じみた大きさのクラゲの姿が、みるみるうちに手のひらサイズまで小さくなっていく。
ちらりと先生を見ると、何とも言い難い困ったような表情をしていた。
「早速ステファニアくんを新たな主人と定めたのですか、〈海底の貴婦人〉」
『ま、ギリギリ及第点だがの』
レヴィはあたしの側にやってくる。さっきよりも少しだけ、体色が赤くなっていた。
何だか、ピリピリとしたものを出しているような気がする。
『……ところでそこな導師よ、あちらの建物の方角よりマナの高まりを感じるのだが』
「ホールの方角か。創立記念パーティーはもう終わった筈では……?」
と、ジョヴァンニ先生が首を傾げた。
その瞬間。
ゴーン、ゴーン、ゴーン……
錆びついて鳴らせない筈の、学園の鐘が学園内に響き渡った。それと共に、ホールの方角から空に向けて一条の光が立ち上った。
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