侯爵令嬢は神様を信じない



真っ白なもこもこの雲が見える。

……否、それは長いお髭だったわ。

私の眼前に立派な白いお髭を蓄えたおじいさんをデフォルメしたような姿の誰かが居る。

そのおじいさんは白い雲の上に乗って『ふぉっふぉっふぉっ』と笑っている。

その瞬間、これは夢だと認識した。

私……フェリチタは、このおじいさんが出てくる夢をたまに見ることがあるからだ。

にこやかなそのおじいさんは、陽気に私に話し掛けてくる。


「大変な目に逢ったようじゃのう、チカ嬢」


それに、私はいつものように明るく答えた。


「いえ。中々面白かったわ!」

「うーむ、この豪胆さ。流石はワシの見込んだ人間よのう」


一見すると、マスコットのような姿をしたおじいさんであるこの人(?)は、自称神様。

私…こと千華をこちらに引っ張りこんで連れてきた張本人だ。

私も前世の記憶を思い出して暫く経ってから思い出したことだったが……

前世の私は、とある寒い日の夜に自宅で古いストーブを付けて、いつものように推しの同人誌を読んで幸せに浸っていたのだけど…

「うーん、この展開はもやっとするわぁ」とかぼやきながら楽しんでいたのよね。そのうちにうとうとして眠くなっていた私は、眠りに落ちた。

……そして私は、そのまま亡くなってしまった。

原因は、ストーブによる不完全燃焼で発生した一酸化炭素中毒によるもの。

灯油を継ぎ足し忘れて燃料が無くなったことで上手く燃焼が出来なくなり、酸素が上手く燃焼できず不完全燃焼を起こし、それにより発生した一酸化炭素が部屋に充満し、そこに寝ていた私がそれを多量に吸い込んでしまった、という顛末である。

まあ、私も少し化学を齧っている程度の説明だから、詳しくは専門家に丸投げさせてもらいますわね。

化学式で説明すれば綺麗なのだけど、生憎私は千華のいた世界よりもフェリチタの世界の常識に寄ってしまっているのよね。

まあ、こちらにも化学の基礎はあるみたいだけれども…

話が逸れたわね。そんなわけで亡くなったばかりの私は、このマスコットみたいなおじいさん神様に連れてこられたのだった。

気付いたら、真っ白な空間にいてびっくりした。


「ふーむ、お主は伊吹いぶき千華ちかで合っているな」

「?!」


なんなの、このフォルムのおじいさんは!

威厳たっぷりの神様は、ぽかんとする私ににっこりと話を続けた。


「お主はもう一度生きてみたいと思わないかの?」

「…なに?このもちもちのおじいちゃんは」

「お主は物語を創るのが得意と聞いたぞ。その力でワシの世界を…」


何だか知らないうちに変な話が始まってる、と思った。急に我に返った私は、冷静にきっぱり返す。


「あ、そう言うのいいんで」


話はよくわからないけど、お断りをした。

上手い話には気安く乗るな、とおばあちゃんが言ってたのよね。


「なんでじゃああー!ほれ、あの美男子をお主の許嫁に出来るんじゃよ」


ほれ、ほれ!と雲の上から指差した下の方に、確かに私の推しにそっくりのイケメンがいる。涼しげな佇まいは素敵だ。

ちっちっち、けれどね。私はどうせなら


「イケメンは眼の保養一択でしょ。どっちかと言えばイケメン達がわちゃわちゃしてる部屋の壁になりたいわね!」

「なんたる奇特な…!」


だって壁なら、ずっと推しを邪魔せずに見守ってられるじゃないの!

そんな私は顔を崩している神様の後ろの方に、膝を抱えて雲の下を向いて俯く少女の姿を見つけた。

銀色の長い髪がとっても綺麗な女の子だ。ふと気になったので、目の前のおじいさんに聞いてしまった。


「……あれ、おじいさん。あの美人さんは誰?」


おじいさんは、その銀髪の女の子を見て顔を曇らせていた。


「あの子はフェリチタ・ラファータ。王子に婚約破棄させられて、絶望して亡くなった少女じゃよ」

「……こんなに綺麗な子を振るなんて、その王子の目は節穴ね」


まあ、なんてやつなのかしら。

私だったらせめて、幸せにするような二次創作を書いて…彼女をハッピーエンドにしてあげたいのに。


「うむ。王子はすっかりヒロインを気取った少女に骨抜きにされてしまってな…」


お陰でワシの世界が壊れかける寸前じゃったよ、と割ととんでもないことを世間話をするかのような気安いノリで、おじいちゃん神様がのほほんと言っている。


「えらいこっちゃじゃん」

「そうなのだ。ワシも参ってしまってのう。そこで救世主を探していたのじゃよ」


そこでお主じゃ!

と私を見てにっこりと微笑んでいる。


「チカ嬢には、この娘に転生して…王子から婚約破棄されないようにほしいのじゃよ」


そんな急に言われても。

私もまだ自分が亡くなったばかりで、少し混乱しているっていうのにね。


「別にそう言うの得意じゃないし、そんな重大な事だったらチート能力の一つや二つないと割に合わないと思わない?」


それにさ、とうつむいてるフェリチタに顔を向ける。沈んだ顔は白くて、まるでお姫様みたいだと思ってしまう。


「それに貴女はいいの?私みたいなのが貴女の名前を使うの」

「わたくしは…もういいのよ」

「彼女はまだ心の傷が癒えてないのじゃよ……」


婚約破棄をされて絶望するほど彼女は……王子が好きだったのかもしれない。そう思ったら、私も過去の失恋を思い返して少し胸が痛い。

ぼんやりとする少女を見ていて、私は無性に……何かの感情が沸き上がった。


「じゃあさ、フェリチタ……」



私はフェリチタにとある約束事と、カミサマに条件を飲ませて転生をしたのだった。

それから十数年程経って、まあ今現在の私が出来たってわけなのよね


「んもう。カミサマ、何かご用?」

「そうじゃ、王子をあのヒロインムーヴを取る娘から守る決心はついたかの?」


決心っていうかねぇ…。

私はいま現在の心境を素直に打ち明けてみた。


「そうねえ。といっても私よりも逞しい方々が回りにいるし…私でなくてもいいんじゃない?」

「なんでじゃああ!」

「と言われましてもねぇ…」


この国に住むものなら誰でも知っている、第一王子、ダニエル様。

一般的には広く国民から慕われており、平民にも優しく寄り添っている彼だが…

実態はごく一部の忠臣以外には厳しく、特に女性には冷たくあしらっている。

彼は極度の女性嫌いであり、それが彼を同性に走らせている原因である。

……それはもう、フェリチタが絶望する筈だわ。そもそも恋愛の対象にもかからないのだから。

個人的観点からすると、イケメンのそれはもっとやれ!というか、いつもいいシチュ見させて頂きご馳走さまです、という気持ちなのだけど。


「あの王子様が女の子に心を奪われる事は無さそうだもの。ま、男子ならありそうですけど」

「……じゃがのう、かの娘…マリアは必ず王子の元にやって来てしまうぞ?」

「個人的には王子がそうしたいのなら…と言いたいのだけど。……やっぱり駄目かしら?」


フィー、とカミサマのそばを回っている白い光の玉に問いかけると、私の近くに寄ってきて、囁くようにぴかぴかと瞬いた。

〈チカ〉と囁くような鈴の転がる声が響く。彼女は、魂となった本来の【フェリチタ】。私は紛らわしいので、彼女をフィーと呼んでいる。フィーは私を前世の時の名前で呼ぶ。


〈わたくしとした約束事、忘れてしまったの?〉

「…善処します。けれども、期待しないでいてよね」


何せ、フィーが手こずったお相手だもの。そう言うと、彼女は〈ええ、分かっているわ〉と瞬いた。

私が転生前にした約束は、彼女に私が生きる様を『見ていて』欲しいということ。

悲しそうな彼女を元気付けたくてそう言ったのだけど、最近は少し話してくれるくらいには打ち解けてくれた。

〈あなたを見ていると飽きなくて、楽しいです〉と言ってくれて、お気に召されたのならよかったわ。


「カミサマこそ、神パワーで何か出来ないの?」

「世界の改変をするために力を使ったはいいが、大分消耗してしもうてのう……」


しょぼーん、と顔文字のような表情を作っておじいちゃんは、しゅんとしている。

…まさか、ゆるキャラっぽいのはそのせいなの?!


「そうねえ、いま考えてる事があるのよ。だからもう少し保留で」

「チカ嬢!そこをなんとか」

「…じゃあ、もうそろそろ起きるから!」


話が長くなりそうだったから、私はさっさと夢から起きることにした。

カミサマは何だかんだ言っていたけれど…


(マリアという名前は覚えておいた方がいいかしらね)



………

………………。



「殿下は神様を信じていますか?」

「レミリア様の事か?」


それは、この世界の宗教上の女神様である。

ではなくて…と思ったけれども、私は一旦言葉を飲み込む。

この国は女神レミリアを主とする宗教、レミリア教を国の宗教として大切にしている。だから神様と言えば、一般的には女神レミリア様になるのかもしれない。

前世の住んでいた国では、特定の宗教もしてなければ特に敬う神様もなかったのであまり女神に盲目的になれないフェリである。

まあ、たまに夢に現れるマスコット的なカミサマの存在もあるのだけれども。


「いえ、この世界を作った神様です」

「それがレミリア様なのだろう?我が国の信仰する宗教によれば」

「あ、……そっか。そうでしたわね」

「ふん、忙しくて頭がおかしくなったのか?」


さっさと手を動かして仕事を減らせ。と王子はフェリを急かしている。フェリが元に戻ってから、あれやこれやと呼びつけられる事が増えたのだが、殿下には今のところ、目立って変わった所はない。

ひっそりと安心をする。


「フェリは、信じているのか?」

「そうですわね……」


まあそれなりに、と答えてから、

「殿下はどうなのですか?」と訊ねると。

「ふん、見えないものはあまり信用してはいない」と鼻で笑われた。

……そうですわね。

私が働かない事を見越して、わざわざ病み上がり(という名目)の私をこうして私室まで連れてきて事後処理やら何やらを手伝わせているのだもの。

あまり人を信用しない人が、神様を信じるわけないわね。

……見えるもの、と言えば。

この前からフェリには、はてと思うことがあった。なので、こちらから訊ねてみることにする。


「ダニエル様、一つ質問してもいいかしら」

「無駄口なら聞かぬぞ」

「…今日は恋人はどうしたのですか?」

「ああ。……いま関係を精算している」


……精算、しているだと?

びっくりして、私の手から羽根ペンが転がり落ちた。


「……どういう心境の変化なんですか?!」

「お前が気にすることではないだろう」

「いえ、気になりますとも!もしかして、特別に好きな殿方が見つかったのですか」


その好きな殿方は、一体何処の誰なのですか?!

急展開きたわー!とわくわくしてしまい、興奮して聞いてしまったが、殿下は目を伏せて頭を抑えていた。

…あら、私ったらお行儀がよくなかったわね。


「元々関係を整理せねばと思っていたが…ルカのようにフェリや周りを害する者が他に現れるかも知れん」

「まあ。私は結構楽しかったですよ」

「お前は危機感が足らないしな…」


私をものすごいミジンコを見るような目で見た殿下は、深くため息を吐き出していた。あ、馬鹿にしているわね。


「ダニエル様も危機感は持った方が宜しいかと。それこそ、女性に心を奪われたり…」

「あるわけないだろう。婚約者がいる身なのだから」


その婚約者をほっといて男とは遊びまくっていたのは殿下なんですけどね。

なんとなく、しらーっとなって見つめていると、向こうは驚いていた。


「はあ、まあ新しい恋人(♂)を作ったとしても私には気を使わずにしていただければ…」

「暫くは作らない。どうせお前はそれを楽しむだけだからな…」


あらまあ、残念だわ。

そうぼやくと、本当に相変わらずだな…とダニエル様は肩を竦めていた。




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