王子様じゃなくてもいいの

カフェ千世子

王子様じゃなくてもいいの

 ヘーゼルは夜の屋敷を徘徊していた。

 虚ろな目付きに、頼りない足取り。着ているものは薄いネグリジェに足元は室内履き。

 見る人がいれば、幽霊かなにかだと思われただろう。

 窓から差し込む月明かりが案外明るいと思ったので、庭に出た。


 ヘーゼルは失意の底に沈んでいた。

 父と義妹の淫蕩な戯れを目撃したからである。


 父が自分と年の変わらない娘を持った女と再婚したのはこの一年以内のこと。

 新しい義妹ができてから、ヘーゼルの暮らしは灰色に変わった。

 婚約者は義妹を優先し、父親は義妹をヘーゼル以上に可愛がる。


 父の態度から、てっきり腹違いの妹かなにかだと思っていたのだ。その見解が違っていたことがわかったのが、今夜のこと。

 父の愛人は後妻ではなく義妹の方だったのだ。

 父は新しい愛人に夢中で、前妻の娘などどうでも良くなったということなのだ。

 後妻には象でも起きないという効力の睡眠薬を飲ませたのだと笑い合う二人の笑顔が大層気持ち悪かった。




 夜風が気持ちいいと感じながら、歩く。膨らむネグリジェの影がおもしろいと、腕を広げて風を受け止める。

「こんばんは」

 話しかけられて、ヘーゼルは固まった。庭園のベンチに妖艶な美女が腰かけていた。


 一瞬、暴漢かと身構えかけて相手が女性だったので、ヘーゼルは気を抜いた。

 美女がクスクスと笑う。

「油断しすぎじゃないかしら。私が悪者だと思わないの」

「……言われてみれば、そうね。父の、ええとお知り合いかしら」

 女性でも悪党はいると美女に指摘されて、ヘーゼルはばつの悪さをごまかすために、言葉を繋げた。

 父の愛人かとは直接的に聞くことはためらわれた。


「いいえ。私は、あなたに会いに来たの」

「どこかでお会いしたことがあるかしら」

 美女の顔をまじまじと見返すと、確かにどこかで会ったことがあるような気がした。

 だが、思い出せない。


「私、吸血鬼なの」

 彼女がそう言った途端、瞳に魅入られたようになって動けなくなった。




「お姉様ばかりずるいですわ!」

 義妹がキャンキャンと吠えている。

 メイジー婦人の行儀作法の時間である。ヘーゼルに比べると覚えが悪い義妹ジュリアンは、自分ばかりが注意を受けることに腹を立てていた。

「人ができるできないは関係ありません。これは、あなたの今後のために学ばなければいけないことです」

 メイジー婦人は、毅然と言い返す。

「こんなのえこひいきよ! お義父様に言いつけてやるから!」

 ジュリアンは捨て台詞を吐いて部屋を出ていった。メイジー婦人は、額を押さえてため息を吐く。

「メイジー婦人、ジュリアンが申し訳ありません」

「あなたが謝ることではありません」

 ヘーゼルが謝ると、メイジー婦人はふっと苦笑いを漏らした。メイジー婦人は笑わないものと思っていたヘーゼルは、目を見張る。




 夜がまた来た。

 月明かりに誘われて、ヘーゼルは庭に出る。

「こんばんは」

 あの美女が、今夜も来てくれた。ヘーゼルは首筋を押さえる。

「私、血を吸われるのって、もっと怖いことだと思ってたわ」

「案外と悪くないでしょう。共存できなければ、とうに滅ぼされてるわ」

 美女の微笑みに、ヘーゼルは頬を染める。その笑顔にヘーゼルは気づいた。

「あなた! そうだったのね!」

「私が誰だかわかったかしら」

「ええ。とても意外だわ。全然印象が違うのね」

 美女はいたずらが成功した顔をしている。

「今日も血を吸うの?」

「かわいい女性の血はごちそうなの。でも、もらってばかりも悪いから、あなたに少し私の力を分けてあげる」

「吸血鬼の力?」

「だって、とても困っているのでしょう?」

「助けてくれるの?」

 期待したヘーゼルの首筋を美女が撫でる。

「お先にいただくわ」

「ええ、どうぞ……」

 ヘーゼルは、目を閉じた。首筋に牙を当てられると、ちくりとわずかな痛みの後に、陶然と浮遊感がやって来る。

 美女に身を預けながら、ヘーゼルは酔いしれた。


「次は、あなたの番」

 美女が、自分の指に牙を当てる。指先に赤い血が漏れ出てくる。


「ほんのひと舐めでいいわ。飲みすぎると吸血鬼化するから、気を付けて」

 ヘーゼルは、恭しく口に含んだ。




 ヘーゼルの婚約者ハドリーが訪ねてきた。ヘーゼルが、席につく頃にはジュリアンがハドリーの隣に収まっていた。


 ヘーゼルはそれを見て、悲しげな顔を作った。ハドリーの顔をじっと凝視し、目が合うとそれを逃がさないとじっくりと視線を絡ませる。

 ハドリーは、常ならざるヘーゼルの様子に動揺を示した。

 これまでのヘーゼルは、ハドリーとジュリアンの仲睦まじい姿を直視などせず、ただ大人しく耐えるばかりだったのだ。

「ハドリー。会いたかった……」

 涙声で言われて、ハドリーは驚いた顔をする。

「お姉様、どうしたの?」

「大げさだな、僕はしょっちゅうここに来ているだろう」

 ジュリアンが、ヘーゼルの作った雰囲気をぶち壊すべく明るく問いかける。すると、ハドリーは平静を取り戻した。

 軽い口調でヘーゼルをやり過ごそうとした。


「相談があるの」

 ヘーゼルが、ハドリーの手をとる。胸元で、握るものだから、ヘーゼルの胸に少しばかり当たっている。

「二人だけで話がしたいの」

 至近距離で見つめて、熱っぽく懇願する。


「もう! お姉様、私をのけ者にするなんて、ひどいですわ!」

 ジュリアンが、大声で割り込む。ヘーゼルは、それに肩を揺らす。

「ジュリアンのことよ。お願い。ハドリーしか頼れないの」

 ほとんど吐息のような声で囁いた。


「わかったよ! あとでいいだろ!」

「ハドリー様まで! 仲間外れはひどいですわ!」

「ごめんよ。ジュリアン、こんなことはこれっきりにするから」

 ハドリーは根をあげた風に了承した。その前に彼の喉が動くのを見たヘーゼルは、勝利を確信した。



「なんだよ。相談って」

「ハドリーは、ジュリアンにも相談されてるでしょう。いじめられているって」

 ヘーゼルの言葉に、ハドリーは鼻で笑う。

「言い訳でもするのか。みっともないな。妹をいじめるのに、どんな理由があるって」

「私のことは、どう思われても構わない。でも、ジュリアンのことは救って」

「はあ? 自分でいじめといて、彼女を救えって?」

 ハドリーの言葉に、ヘーゼルが顔を上げた。

「彼女は確かに、いじめられてるわ。でも、その相手は私ではないの」

「じゃあ、誰だって言うつもりだ」

「お父様よ」

「なっ!」

 ヘーゼルを内心で侮っていたハドリーは、彼女が告げた人物に絶句する。

「父は、彼女を毎晩のように寝室へ呼んでいるの」

「そっ、そんなことを言って彼女を貶めようと」

「ジュリアンは父に逆らえない。だから、真実をそのまま告げるわけにはいかないから、私にいじめられていると訴えたの」

 ハドリーは言葉を失った。すっかり青ざめてしまっている。

「ハドリー! お願い! ジュリアンを救って! 私のことはどうなってもいいから! 婚約を破棄してくれてもいいから!」

「ヘーゼル!」

「お願い! ジュリアンを助けて!」


 ハドリーは消沈して、帰っていった。

 果たして彼はジュリアンのヒーローになってくれるのだろうか。ヘーゼルは思うが、結末はどうでもよかった。




 今夜も、美女とヘーゼルは逢い引きをした。

「人を意のままに操ってみた気分は、どう?」

「すっごく、気持ちいい!」

 紅潮した顔で答えるヘーゼルに、美女は笑顔でうなずく。

「あの妹の気持ちもわかるでしょう」

「そうね。どうして、私は我慢してたのかしら。こんな楽しいこと、もっとやってくれば良かった」

 興奮した調子のヘーゼルに対し、美女はすっと立ち上がって手を差し出した。

「お試しはこれで終わり。これからも、吸血鬼の力が欲しいなら、私と一緒に行きましょう」

「それって、私も吸血鬼になるってこと?」

 うなずかれて、ヘーゼルは少しだけ考えた。

「いいわ。私を連れていって」

 ヘーゼルが手をとると、美女は満足げに笑った。

「それにしても、どうして行儀作法の先生なんてされてるの」

「吸血鬼は招かれないと人の家には入れないのよ」

 吸血鬼メイジーとヘーゼルは夜の庭園を颯爽と歩いて、屋敷から去っていった。




「ジュリアンお嬢様。朝ですよ」

 ジュリアンは、侍女に起こされた。彼女は義姉付きの侍女のはずである。

「なぜ起こすの」

 いつもなら好きな時間まで寝ていられるのに、どうしたのだろうか。ジュリアンは、首をかしげる。

「今日は、お客様が来られますから、しっかりとご挨拶なさってください。お嬢様は、この屋敷の跡取り娘なんですから」

「はあ?」

 ジュリアンにしてみれば、おかしいのは侍女の方だった。


「ジュリアン、君の妹だよ。これから仲良くしてやってくれ」

「お父様?」

「お姉様、よろしくお願いします」

 妹だと言って、少女を紹介される。

「お父様、これは一体どういうことですか!」

「ジュリアン、君は長女なんだ。そんな、大きな声を出すもんじゃない。はしたない。クリスティンが怯えるだろう」

「お父様!?」

「ごめんよクリスティン、しっかりと言い聞かせるからね」



「やあ、ジュリアン」

「ハドリー!」

「どうしたんだい、ジュリアン。そんな風に飛び付いてきて。お転婆だな」

「おかしいのよ、ハドリー! みんなが私をこの屋敷の長女だと扱うの!」

「おかしいのは君だよ、ジュリアン。君はこの家の長女だろ」

「違うわ! 私には、お姉様がいるのよ!」

「ジュリアン、どこか頭を打ったのかい? それとも、熱が?」

「ハドリー! あなたもなの!?」




「侮られて悔しいとか、そんな感情は枠組みを取り払えばどうでもよくなるものよ」

「そうね。今まで、一体何を怯えていたのかしら」

 日傘に帽子、手袋を身に付けた淑女二人がしずしずと街を歩いている。

「仕返ししたいだとか、そんな感情は捨てておしまいなさい。馬鹿のことなど、考えるだけ時間の無駄よ。もっと楽しいことをして生きていきましょ」

「そうね」

 美女二人は、くすくすと笑いながら雑踏の中に消えていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

王子様じゃなくてもいいの カフェ千世子 @chocolantan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ