[1-4]今すぐ仕事をやめろっ!
作戦決行は二人で話し合い、昼食後と決めた。朝と同様にカミルを食堂に引っ張って食事をさせたあと、僕はヴェルと落ち合い、政務室へ訪れた。
ひとつ息を吐いて気合いを入れる。
二回ノックしてから、声をかけ、扉を開けた。
「ゼレス、入るよ」
「おう。——って、ヴェルも一緒なのか」
「まあな。それよりゼレス、母さんが文句言ってたぜ。最近、同じ城の中にいるのに全然会ってくれねえって」
中に入ると、ゼレスの机はほとんど紙の束で埋もれていた。顔を上げた彼の顔色は青くて、目もとにはくっきりと
ため息をつきたくなったけど今は我慢だ。弟に発言を譲る。
ヴェルは自分の母親、つまりゼレスにとっての恋人の話題を投げかけると、彼はバツが悪そうな顔で長い指で自分の金髪をかき回していた。
「……それは、悪かった。俺も会いたかったんだけど、仕事が立て込んでてよ」
ゼレスは主君であるカミルのことが大好きで、忠義のかたまりのような狼だ。そんな彼に正直に仕事をやめろと言ったって聞く耳を持たないことは初めから分かりきっている。
だからこそ、この狼を攻略するためには弱点を突くしかない、と僕は考えたのだ。
そう、彼の数少ない弱点は恋人のローズだ。
ヴェルによれば、ゼレスがローズにベタ惚れなのは間違いないらしい。もちろんローズの方もゼレスのことが大好きで、二人は傍目から見ても仲がいいカップルなんだとか。
予想通りゼレスは申し訳なさそうに眉を下げていた。狼の姿だったら、金色の尻尾がシュンと下がっていたに違いない。
「ローズには後でちゃんと謝っとく。それより二人揃ってどうした?」
「話があるって言っただろ」
ゼレスと顔を合わせて話をしたのは今朝のことだ。一日だって経っていない。
腕を組んで軽く睨んでやれば、彼はようやく思い出したようだった。
「あー、そうだったな。ちょっと待ってくれないか。キリのいいところまで終わらせたら聞いてやるから」
そう言って、ゼレスは視線を手もとの書類に戻してしまった。
目も合わせてくれなくなったので、僕はヴェルと一緒に彼の執務机を観察する。
体格のいいゼレスの両脇には紙の束が高く積み上げられていて、もはや壁と化していた。明らかに個人の手で捌ける量を軽く超えている。
政務はゼレス一人の仕事じゃない。文官たちもいるしカミルも手伝うならなんとかなるか——、いや、だめだな。二人でこなせる量でもない。もっと多くの人員が必要だ。
キリのいいところなんて、いつになったらやってくるんだろう。もう永遠にこないんじゃないだろうか。今のゼレスは完全に
こうしてわざわざ来てやっているのに、僕たちを差し置いて書類にばかり目を向ける彼に若干イラつきを覚えた。
ふいに、隣に立つ長身の弟へと目を向ける。
ヴェルは同じことを考えていたのか、僕にうかがうような視線を向けていた。目を合わせて僕たちは頷き合い、視線を再びゼレスへ傾けた。
「ゼレス」
「だから、ちょっと待てって」
この僕が呼びかけているっていうのに、ゼレスは顔を上げない。
ヴェルが続く。
「いい加減に」
そのあとは流れるように。
二人で前に出て、ほぼ同時に叫んだ。
「今すぐ仕事をやめろっ!!」
それからの僕とヴェルはためらわなかった。
僕は手もとの書類を、ヴェルは右手に持っていた羽根ペンを見事に奪い取る。
壁のようにそびえ立つ紙の束は激しい動きに耐えきれず、あっけなく崩れてしまった。けど気にしない。後で片付ければいい話だ。
完全に油断していたのか、ゼレスはぽかんと口を開けて
打ち合わせなんてしてなかったんだけど、我ながらいいコンビネーションだったと思う。さすがヴェルだ。
「ちょっ、なにしてんだ二人とも!」
ようやく我に返ったのか、ゼレスが立ち上がって
うまくそれをかわし、思いっきり睨みつけてやる。
「どうもこうもあるか! 自分の顔を一度鏡で見てみなよ。ひどい
「俺の見立てだと、軽く三徹だな。どうだ、ゼレス」
腕組みをし、ヴェルは形のいい唇を引き上げた。ゼレスに向けたのは凄むような笑顔なのに、姿勢のいい弟の立ち姿は無駄にカッコいいのはどうしてなのか。
重ねて言うけれど、ヴェルの勘は百発百中当たる。外れたことは一度だってない。
案の定、弟の鋭いツッコミが図星だったのか、ゼレスは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「さすがだな、ヴェル。しかしだな」
「言い訳は聞かないよ。いいからさっさと寝・ろ」
書類を取り返そうと再び伸びてくる腕を回避する。
ゼレスは背が高く体格のいい男だ。反対に僕は悲しいかな、同じ剣士で
だから、普段ならどんなに邪魔しようとしたって彼には敵わないはずだった。優れた剣の使い手である普段通りのゼレスなら、しなやかな動きでいとも簡単に書類を奪い返していただろう。
なのに、今は僕にされるがままである。
このことが意味するものはたったひとつ。
答えは僕の代わりにヴェルが言ってくれた。
「ほら見ろ! だいぶ身体が弱ってんじゃねえか」
「大丈夫、俺は大丈夫だって! 丈夫だからこれくらいどうってことねえんだよ。それに俺が寝てみろ。大将一人にデスクワークの負担が集中するだろ!?」
「だから二人でこなす仕事量じゃないんだってば!」
互いに一歩も引かない。冷静に考えればだいぶ無茶をしてるってわかっているだろうに。
堂々巡りのようだった。
眉間に皺寄せたヴェルが、ぽつりと言う。
「とにかく、ゼレスは一度寝ろよ」
「大将を一人働かせといて俺だけ寝れるわけねえだろ!?」
忠義のかたまりを体現したかのような言葉だった。
いつまでもこのままじゃ平行線だ。弟もそう感じたのか、隣で頭を抱えてしまった。
仕事をやめさせたい僕とヴェル、意地でも主君のために仕事を続けたいゼレス。
負けられないこの勝負を決めるには、もう奥の手を使うしかない。こっちには切り札があるのだ。
「カミルは後で俺らが言ってちゃんと寝かせるよ。それに、どうしても仕事をし続けるって言うのならこっちにも考えがあるけど?」
「……なんだよ、考えって」
「ローズにチクっちゃおうかなあ。身体が弱るくらいに、ゼレスが睡眠削って仕事してるって」
「げっ!!」
カミルのことが大好きで何事も主君を優先するゼレス。彼にも弱点はあるのだ。
それは溺愛してやまない最愛の恋人である。が——、
「話は聞かせてもらったわよ、ゼレス」
大きな音を立てて、政務室の両扉が開いた。入ってくる薔薇色の人影を見た途端、僕まで思わず息を飲んだ。
なんともタイミングよく登場したものだ。
誓って言うけど、僕は彼女と打ち合わせはしてないし、まだチクってもいない。
まるで絵画から抜け出したかのような、姿勢のいい美女が立っていた。身体の線に沿った淡いオレンジ色のドレスに身を包み、豊かな薔薇色の髪を肩に流した見目麗しい女性。彼女がローズであり、ヴェルの母親だ。
コツコツとヒールの音を立てて、彼女は憔悴しきった恋人のもとへ近づいていく。悲壮なくらいにゼレスの顔が青ざめている気がするけど、今回ばかりは助けないことにする。ローズが怒るのは無理のない話だし、ひどく心配をかけたんだから自業自得だ。
細い指を腰に当て、彼女はつり目がちな茜色の瞳を向け、ゼレスを睨んでいた。
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