風にこの由を聞きて 14

「・・・随分なご威勢ですな、錠屋どの。」

 奥からあらわれた鷹里にも富忠の「主張」は聞こえて、しかもよほど腹に据えかねたらしい。経清の姿は予想外だったようで軽く目を瞠り、それでも礼儀正しく会釈してきたが、年上の、兄の舅である相手には、ようこその一言もなかった。

「あなたの申されようこそ、風斗を冒涜するものと私などは思いますが。風斗が風織姫を間違えることなど有得ない。以前、我々の謀みに引っ掛からなかったことでもそれは明らかでしょう。」

「以前の風斗であられるならばな。」

「なんと?」

「ここ数年、わしは直接お目にかかる機会はなかったが、」

「そういえば、作られませんでしたな。」

 自信たっぷりな口調に、すかさず皮肉が返る。穏やかな印象の彼も闇衛の血筋らしく、大人しい男ではないのだ。鼻白んだ富忠だが、よほどの「根拠」に満ちているらしく、躊躇いなく言を継いだ。

「神事等で顔を合わせた者から様子をうかがえば、皆口を揃えてこう申す。『あれが風斗であられるのか』と。吹き渡る風のようであった威勢はなく、家陰に澱んだ空気が揺れるような有様だと。とにかく、心弱きさまでいらっしゃる。そして厨川柵でもお傍近く寄せるのは預名方一人のみ。風斗がいかに稀有な方とはいえ、ただ一人の声しか聞こえぬとあれば、その声の主が弄したものにひっかからぬとは言えぬ。」

「・・・まるで傾国の美女扱いだな」

 気色悪げな声に、発言者を含めたその場の全員が飛び上がるように振り向く。陰口というのは、相手が聞けないという保証が高いほど声高なものだ。

「守衡どの、いつ御出でに?」

 浅黒く潮焼けした、いるはずのない男は、軽く片手を上げて一同への挨拶にした。

「さっき。北門から入った。随分騒いでいる様子じゃないか?」

 罵っていた預名方(しかも彼は闇衛に次ぐ大族・貴原の次期総領とみなされている)の唐突きわまりない登場に富忠はさすがにバツが悪そうな表情になっている。

 が、当人の方は自分のことそれどころではないらしく鷹里に目を据えた。

「出たとか・・事実な訳か? 」

 懐疑的なのは、彼が『前科』を知っているからだ。

「誓って。・・・ところで、よくご存知ですね。」

 富忠の言い方だと四六時中傍仕えしているようだが、男は勿論家人ではなく、貴原での嫡子としての責務に加えて、大陸貿易船団を率いて年の三分の一は海の向こうという暮らしぶりだ。その合間を縫って厨川を訪れるのはさすが預名方というところだが、実際の滞在は前記の事情で、ごく僅かなそれにもかかわらず、余人を近づけなかった風斗の暮らしぶりから、妙に密着した印象なのだろう。

 なんにせよ、風斗が不在現れるものではないということだ。

。オレはな、海のど真ん中にいたんだよ。そこにあのうつけ者が、浮かれた『伝言』を寄越しやがって、慌てて船を岸に向かわせて、小船で上陸して、馬を手配して夜もすがら駆けてきたわけだ。我ながらなんて献身的かと涙ぐむぞ。」

 海の真ん中でどうして伝言が届くのかとか、うつけ者はまさか彼ですか、とか殆どの聞き手は思ったが、突っ込む度胸はない。だが、やっぱり彼は『特別』なのだと、その場のだれもが感じ取れる物言いではあった。

「――好きでやってんだろうが。」

 言葉を、砕けた――聞きようによっては喧嘩を売っているような――口調で返したのは、聞き手には接点を思いつけない有夏姫の婿君だった。

「浪費できる時間も体力もオレは持ち合わせていないが?」

 放っておけないとかつて彼を評した男の言葉への疑いはない。けれど、一方的に身を捧げるような、そんな簡単なヤツに興味を示す彼でもない。「寵愛」を(それを受けるに相応しく、守衡の優先順位の頂点は彼のものだが)自らの足元を固める礎に変換するしたたかさを、むしろ好んでいるだろう。

「・・・甘いのは今更だとよく分かる返事をありがとう。」

「お褒めいただいて恐縮だが、で、お前さんにも届いたわけか? アレ。」

。」

 余計なことを言うな、の意味をこめて睨んでみれば、

「そこまでは血迷わなかったか。。」

「あんたな、」

「・・・経清どのは有夏を迎えにおいでになったのですよ。」

 見兼ねたのだろう、鷹里が割って入ってきた。

「経清どのには申し訳ないことを。本来ならすぐに追い返すところではあったのですが、兄者を除けば風織姫に最も近しいのは有夏なので、お世話申し上げるのにどうしても、」

「有夏姫も絡んでるのか。」

 胡乱な顔をされて、鷹里がとなる。

「重ねて申し上げるが、誓って、我らの謀みではありませぬ!」

「・・・茶番を、」

 忌々しげに小さく漏れた声は全く見事な音の空白に落ちて、一同の耳に届いた。さっと、棘を含んで集まった視線に、一瞬ひきかけた肩を富忠は聳やかした。

「守衡どのまで早々とご参集とは、わしの目にはきな臭さが増しておりますな。」

。」

 守衡は一刀両断に言い捨てる。

「アレがへこんで鬱陶しいのは、あんたが言うように唯一傍に寄れるらしいオレには他者の比じゃないだろ。大人しく誑かされてどんよりしなくなるなら、オレがとっくにやってるさ。それでもやらんのは、どうせバレてさらに鬱陶しくなられるのは真っ平だからだ。」

 棘いっぱいの守衡の『弁明』に経清は頭を抱えたくなる。商人としての顔を持ち、異国の商人と渡り合う男にとって、人生経験は倍以上だろうが、領主とはいえ山里に暮らす一本気な武人の心様など見やすいものだろう。しかし、それをうまく使って場をおさめるより煽るのが嬉という男だ。絶対におもしろがっている。

「・・・余裕ですな。聞き及ぶところでは風斗はその騙り者を片時も離すことを肯定がえんじられぬとか。」

「捨てられるぅ――とか、焦るところか? これは?」

 くつくつと笑いながら、守衡はひょい、と経清の顔を覗き込んだ。

 、巻き込むな、という経清の睨みには、あいかわらず素知らぬ風である。

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