風にこの由を聞きて 12
風光、と贈り主が名づけた鹿毛の駿馬が、主を乗せて衣川舘に戻ってくるのはいったい何度めとなったのか。乗り手は艶やかな毛並みを謝意を込めて一撫でし、駆け寄ってきた舘の馬司に託す。
ひたかみの各所にある牧から、特に闇衛の館の厩に繋がるべく子馬のときから厳選され、名馬と呼ばれるに相応しく育てられてきた馬の中でも、己が生涯で五指に入ると思っている馬司は、慎重な目で風光の様子を観察する。
大和への毎年の貢物の中には馬もあるが、差し出される馬は悪くない位のものだ。兄弟馬は風斗の乗馬で、それこそ風斗やご兄弟方の騎馬となるべき馬を、姫君の婿とはいえ大和の者に下げ渡すなど、告げられたとき馬司は顔色を変え、控えめにしろ精一杯抗議したのだ。しかし風斗の代理に「空里いわく。《鹿毛でとびきりの。》」と断じられてはどうしようもない。恨みがましい目に「・・・まあ、彼でよかったといずれ思うだろうよ。」と肩を竦めて言われたが、未だ『いずれ』という心持にはならない。ただ里帰りする姫君を迎えに大和人が来訪するたび、共にやってくるか風光に粗末に扱われている様子はなく、それが馬司の大和人へ向ける眼を幾分和らげてはいる。
「よぉし、風光、長い距離をよぉ走ってこられたな。飼葉はたんと用意してあるぞ。そうそう、このたびは兄の風雷がおるぞ。」
去りながら風光に話しかける言葉を聞きつけ、馬の主――藤原経清は門衛に尋ねた。
「風斗どのがおいでなのか?」
彼が衣川館に出入りするようになってから、いないのが常態であるから、まさかという響きがあるが、門衛たちはまこと嬉しげに頷いたのだ。
「・・・何か大きな祀事でも?」
厨川柵に篭りっきりの風斗だが、彼の為政者としての穴は埋められても、《風斗》として祭祀の代理は立てられないから、その折には彼が戻るという話は聞いていたから経清はそう首をかしげたのだが、特に何も、と門衛はさらに嬉しそうに応じた。
「もう十日ほどおとどまりです。」
十日といえば自分の妻が急用ができてまた暫く戻らない、と使いを寄越したのと重なる。
経清は改めて周囲の様子をうかがった。ひたかみの都・衣川、その中心たる御館の正大門である。郎従や侍女は勿論、商いの者や陳情に来たらしい民がひっきりなしに行きかい、混雑というには秩序が保たれたものだが、すこぶる賑やかだ。賑わいといえば、ここに到るまでに抜けてきた都の大通りも活気に溢れていた。それはいつもの衣川の活況ではあるのが、なんとはなし浮き立ったような雰囲気も感じられる。
――風斗が戻っているからか。
有夏を娶って一年半近くになる。有夏の話や、何より彼女を迎えに衣川館を訪れる機会にひたかみに直に触れ、ひたかみについての知識を得るにつれ、『風斗』の重さも分かってきた。
風斗――『斗』たる冠の者は、ひたかみがひたかみであるあかし、なのだ。数年に及ぶ風斗の隠棲に近い厨川生活は、天照大神の岩屋篭りのような心境を民に与えていたから、岩屋の大石が本当に動いたのなら、彼らの表情も明るく照らされようというものだ。
・・いったい、だれが(もしくはなにが)天ノウズメとなったのか。首をひねりかけ、経清はそこで思考を止めた。有夏が何にせよ関わっていない筈は無いのだから、あれこれ思い巡らすより、当初の予定通り妻に会いに行けば済む。自分が風斗に会いたい、と言ったところで、義弟であっても面識の無い自分は、容易く取り次いではもらえないだろうし、面会を請う理由も思い浮かばない。なんにせよ----。
会いたい、だけでは動けない。
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