風にこの由を聞きて 5
「……まいったな……、」
「……そうね」
「早桜だったよな?……確かに?」
姿が見えなくなるとにわかに心もとなくなったらしい。
既に一日を共に過ごしている有夏も、目を離すと夢だったように思えて、何度慌てて視線を巡らせただろう。
「奇跡というべきか悪夢と呼ぶべきか、複雑なところだわ。」
再び溜息を合唱させて、どうする? と互いの瞳の中を窺う。
確かな「喜」と「嬉」。けれど、その下に「惑」は流れる。
どうして、現在なのか――と。
「……だからといって、報せるのも癪な話だけど、」
「だが、早桜は俺たちに会うために降りてきたのでは絶対ないと思うぞ?」
彼女は何かと目で問うた鷹里は、横に振られた首に目を瞠った。
「……思うに、結構、ひどい別れだったのよ。」
ひとのことは言えないのだけれど、と最後の早桜の表情を瞼の裏に過ぎさせながら、有夏は言を継いだ。
「あの日から、風斗兄者は早桜のことを一言も言わない。……もっとも、そういう会話もさせてもらえなくなっているけど。」
「喜」と「嬉」と「惑」の、さらに下から湧き出てくるのは「望」。
――還ってくるのだろうか?
「日常」が必要だと「早桜」を否定して、「早桜」が欠け落ちて、狂ってしまった、「日常」は。
取り返しはつかないのかと、胸を裂くほどに苦しかった三年の果てに……?
「……今から早馬をやれば、明日の夕方にはこちらへ着けるはずね。」
「いや、」
鷹里が言いよどんだ。
「今夕にこちらに御着きになる。今年の夏は大祭のめぐりだから、その打ち合わせに。」
「――ひとが帰ったとたんにお越しになるわけ。」
いささか据わった目の有夏の呟きに、第三者の声が被さった。
「やはり、有夏さま!? どうなされたんです?」
小走りに近寄ってくる女を認めた有夏の眉間に、一瞬皺が寄るが、微笑んで迎えた。
「また少しの間、お世話になりますね、」
「え、ええ、あの、でも……、」
「それから友人がひとり滞在しますから。後程でお引き合わせしますけれど、日高見にとってとても大事な方なので――そうですわね……義姉上、風斗兄者に伝えて下さいます?」
おい、と顔色を変える鷹里に構わず、
「私の、そうびの小館に必ず足を運んで下さいますように、と。お伝え下さいませね? かならず、と。」
あとは、いつものようにこちらで適当に計らいますからお構いなく、荷解きをして参ります、と、にっこり笑って、さっと有夏は身を返した。
「鷹里さま……あの?」
不安そうな縋るような目で自分を窺う義姉に、内心天を仰いで、鷹里は微笑んでみせる。
「帰路の途中で、その……知り合いに会って、彼女をこちらに案内して戻ってきたようなんだ。」
「・・・女性の方なのですね?」
「ああ、まあ……私たちが、こんな小さな時から世話になっている古い知り合いで、その、」
後ろめたさでちりちりと舌が焼ける。
「――お前な、」
荷解きは勿論口実で、追いかけてくるだろうと踏んで、幾つか目の角を曲がったさきで待っていた妹を鷹里は睨みつけた。
「彼女に頼んでいいことか!?」
「いいじゃない。話しかけるための材料を提供して差し上げたんだから。」
「それは彼女のせいじゃないだろう? 兄者が、」
「そうね。ええ。九は風斗兄者よ。でも一はあのひとだわ。私なら、厨川の館に押しかけていく。何を言われようが留まる。それは義務で権利だもの。」
「……性格的な問題もあるとは思うが?」
「それで済ませていいわけ? 仮にも闇衛の次期御館の一の方に迎えたひとよ!? 諾々と衣川で暮らしていくあのひとの神経が分からない!」
長老方は、いったいなにを見て彼女がふさわしいと判断したのか、と三年堪えた憤懣を吐き出して、きっと有夏は唇を結んだ。
「いい加減にしろ。阿衣どのが苦しくないと思っているのか?」
苦い声で、鷹里は妹をたしなめた。
「闇衛の一の方の務めも果たさず、風斗兄者と生きようともしない人に価値なんてない!」
「よせといっている」
「随分とあのひとの肩を持つのね? あのひとも頼り切った目をして。鷹里兄者が娶りなおしてさしあげた方が、あのひとは幸せなんじゃない?」
「有夏!」
鷹里は珍しくはっきり怒気を露にした。
「----それは阿衣どのの名誉も、私の名誉も、…私の家族の名誉も貶める。」
さすがに言い過ぎたという表情をした有夏だが、ふいと反らした横顔は頑なで、
「とにかく、私はあのひとはもう真っ平だから。」
と、言い放つ。
「……おまえが、いきなりそんなことを言い出したのは、早桜姫のせいか? 早桜がああして現れたから……だからか!?」
「いきなりじゃないわ。ずっと思っていたことよ。」
「だが、口にはしなかった。」
髪を手で梳き流した有夏が、ふうっと開き直ったような笑みを滲ませていてく。
「そうよ。早桜を迎えたい。早桜がだめだからあのひとでも仕方ないと思った。でも早桜がこうして居るのだから、あのひとは必要ない。」
鷹里がはっとするほど、兄と似た表情だった。
自分が欲しいと思ったものへ執着する激しさ――なにかを傷つけてさえ、いや傷つけることすら見えない心の在り方が、兄妹の中でふたりが一番近いのかもしれない。
――少なくとも、自分はそこまで割りきれない。
阿衣を思わずにはいられない。
……けれど。
それでも結局は――自分も早桜を選ぶだろう。
「偽善」ということばが、頭をかすめ、鷹里はゆっくりと重たい息を吐き出した。
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