風にこの由を聞きて 4

 「……なんなんだ、お前は。」

「鷹里兄者。また少し居るから。あ、それは奥の部屋に運んで解いてちょうだい。」

「また少し居るって、あのな、お前、おとつい発ったばかりじゃないか!?」

「そうね。」

「そうねじゃない!」

 怒鳴り声を肩を竦めて受け流す。

「経清どのにはちゃんと使いをだしました。」

 有夏はまた通りかかった別の女官に指示をだしてから、兄に向き直った。 

「拾い物をしたから引き返してきたの。」

「そんなもの持って行け! じゃなけりゃ、亘理に着いて後、帰り足の水来に託せば済む話だろうがッ」

「拾ったのが、あちら、でも?」

! 道の真ん中に人魚が落ちてたとしても……だ……な?」

 文字通り、顎が落ちた。

 階に浅く腰掛けて、下仕えの女官に足を洗ってもらっている少女の横顔に零れんばかりに目を見開く。

「……鷹里?」

 澄んだ声で名を呼ばれた瞬間、彼は思わずあとずさった。触れた柱を後ろ手に掴んで、凍りついた青年に、妹は噴き出した。

「幽霊でも見たような顔ね。でも、疲れてるから少し顔色は悪いけど、ほらちゃんと温かいし、」

 にっこりと、少女の腕に自分のそれを絡めて笑う妹に、殆ど卒倒しそうになっている。

「……早……桜……姫?」

「うん。久しぶりだね?」

 歯の根を何とか合わせようと、強く奥歯を噛み合わせた。

「――有夏、」

「はい?」

「――どうしたら、落ちてるんだッ」

 はなはだしく失礼なことを口走っているという自覚は無いらしい。

「うーん。……行いがいいから?」

「そんな訳があるかっ。あれだけ大騒ぎして嫁いだくせに、ことあるごとに実家に戻ってはながながと滞在して、年の半分も家に居ない妻など、おれならばごめんだ。」

「人聞きの悪い。年の半分までいってません。五ヶ月ってところでしょ。」

「なにが違う。」

「違います。」

「そのうち、帰ったら女主に『ようこそいらっしゃいませ』とか迎えられても知らんぞ。」

「経清どのはそんなことしません。」

 自信たっぷりに言いきった妹に、鷹里は胡乱な眼差しを向ける。

「――経清どのもまったく物好きな……お前、やっぱりなんか一服もっただろ!?」

「やっぱりってどういうっ。」

 瞬間、早桜が噴き出した。

「三年? ふたりともまた大人っぽくなったと思っていたのに。変わらない……というか、磨きかかったんじゃない?」

「――だれも磨いてないってば。」

 有夏が大仰な溜息をついてみせた。

「せっかく、頼り甲斐のある大人の女できめられてたらしいのに。台無し。」

「化けの皮ははがれるためにあるんだ。だいたい彼女は大人っぽくなったとは言ったが、頼り甲斐云々とは言っていない。」

 懲りないふたりにまた少し笑って、早桜は静かに言う。

「……有夏に会って、名前を呼んでもらって、すごくほっとしたよ。」

 はっとしたように、ふたりが早桜を見返した。

「突然こんなことになって、訳が分からなくて怖くて。現在でも何が起きたのかさっぱりだけど、でも少なくとも、あの目覚めたところで震えたような『独り』じゃないから。……だから、有夏、鷹里……覚えていてくれて有り難う。」

「だれがあなたを忘れるのよ!」

 少し怒ったように言う有夏に、もう一度ありがとうを繰り返して微笑んだ少女は、その後両手で顔を覆った。

「……少し休もう、ね? 向こうにあなたの部屋を整えさせてるから。そこで少し眠って。そして起きたら、御飯食べながら、いろんな話をゆっくりしよう? ね?」

 震える肩を柔らかく抱いてやって、有夏は兄を窺い見た。

「そうした方がいい。……だれか!」

 女官に先導されて、早桜の背が奥に消えるまで見送った二人の唇から、ほぼ同時に吐息が落ちた。


いったい、何が起きているのか----起きようとしているのか。

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