いざよひ断章11
『予告』の来客は嫡子どのの鍛錬に付き添い、弓場から侍所に戻ってきた、このまま何もなく一日が過ぎるのではないかと思い始めた、日も傾き始めた刻限のこと。
地味な色目の直衣姿の、下級貴族といった見かけの二人連れだ。陰陽師とはいかなるものか、と対面に臨んだ経清は、ありきたりの様子に拍子抜けする。
「・・・藤原経清と申します。私に御用とか?」
「突然お伺いして申し訳ない。お聞きしたいことがありましてな。」
どちらも年若い。二十になるかならぬかという若者と初冠したてといった頃にみられる、どこか烏帽子がしっくりこない少年。口を開いたのは年嵩の方だ。しかし経清は身分は少年が上だと見取る。並んで座してはいるが、年上を立ててわきに控えている、という感じではなく、どこか傲然と若者を見下して、
「わたしは
安倍、という姓に少年の面を物見高く眺めてしまう。陰陽道には疎いが、稀代の陰陽師と讃えられた安倍晴明の名くらいは聞いたことがある。柑子を鼠に変えたとか、小さな葉を飛ばして蛙を潰したとか、式神なるモノを自在に操って様々な不思議を起こしたという。経清が生まれた年には既に故人となっていた人物だから、この安倍を名乗る少年は孫かひ孫か。そっちの世界では名門の係累につらなるものということか。
「陰陽寮の、ということはあなたがたは陰陽師、というやつですか?」
物珍しさが滲むのはどうしようもない。明矢どのにはお気に召さなかったようで視線をあらぬ方にやったが、香佑は苦笑いを浮かべ応じた。
「ほんの末席を預かる者ですが。」
経清はほぉ、と感嘆の滲んだ声を口の中で転がし、なんとかじろじろ見たいのを抑えるが、そんな雰囲気は伝わりやすい。
「--礼----だ-、――夷。」
少年が小さく吐き捨てた言葉は、経清の耳の端にひっかかった。あずまえびす。京人が侮りと蔑みをこめて、東国出の者を称するその呼び方。かちん、ときた目で経清は少年を見、少年はそっぽを向いたまま・・・険しい雰囲気が立ち込める。
「明矢どの、」
「---------不愉快だ。後はお前が聞いておけ。」
「彼にあたるのはやめにしていただきたいですな。」
経清が反駁するより、香佑の冷ややかな声が早かった。
「わたしがお気に召さなくても、これは仕事です。若君?」
経清と明矢の間の緊張などとはくらべものにならない、空気が凍くような、それは敵対感といってもよい。
「お互い苦行から解放されるために最良なのは、お役目を済ませてしまうことです。」
自らの怒りも忘れて、一触触発のふたりをあっけに取られて見比べていた経清を香佑が見返り、少年は唇を噛んで視線を落とす。どうやら、香佑の”勝ち”らしい。
「失礼いたした。」
慇懃に香佑は頭を下げる。
少年が上、とみた私見を経清は訂正する。身分は名門安倍を名乗る少年が上だが、立場は香佑が強い。
すさまじきものは宮仕え・・・と世に言うが、身分こそこの世を構築するものだ。にもかかわらず、こうまで強気でいける理由はなんだろう。
「いや、で、陰陽寮の方が、オレになんの用が?」
せいいっぱい不審そうに言ってみた。左手首に結わえた件の紐を手首ごと握り締める。鬼が出るか蛇がでるか。
「河内守さまの
「将軍塚へ人を案内しました。」
それがなにか、というように首を傾げる。
「なるほど、将軍塚へ。」
ゆっくりと言葉を口の中で転がすような物言いは、十分な威圧になる。
「こう、申しては何ですが、京見物ならば、もっと適当なところがいくらでもありましょうに、随分と変わったところへ案内されたものですな。」
「連れて行ってくれというのだから仕方ないでしょう。たまたま道を尋ねられ、右も左も分からないと訴えられては無碍にもできぬ。」
何故、自分はあらいざらいをぶちまけてしまわないのだろう。用心深く言葉を紡ぎだしながら、経清はふと思う。
「もとから知っていた相手ではなかった、と?」
「一昨昨日、行きつけの酒場でちょっとすれ違って、それで昨日、道に迷って困っていたらしい彼が通りかかった見覚えのある私に声をかけてきたというところです。」
繰り返すが、呪術的な仕組みは分からない。だから“炎の男”と、または守衡と彼が交わした会話から、彼が為そうとしていることを知ってはいるが、本当になにが起ころうとしているのか、陰陽師たちがなにを案じているのかは分かっていないかもしれない。
陰陽師たちは京を護る任務を果たすべく、ここまで赴いてきた。同じく京の守護たる武家に属する者として、その責任は分かるが――それでも。
「いきずり、の相手、ですか。」
嫌な笑みだ。
「とてもご親切な方でおいでのようだ、藤原どのは。いきずりの相手の頼みで、はるばる道案内をし、その後は屋敷に一晩泊め、もてなしてさしあげるとは。わたしも魅惑的な女人ならば、それもありかと思いますが。」
下卑た、含みのある物言いは、挑発だ。
「・・・魅惑された覚えはないが。目の前で倒れられたら仕方ないでしょう?」
泊めたことまで突き止めているのかと、刻限まで居ても構わない、と言い残していたから、一瞬ひやりとした。だが、そこで彼らを見つけていたのならば、いま自分のもとに足を運ぶはずはないと思い直す。
「彼を探していらっしゃった?」
「――ええ、さきにあなたの家を訪ねましたが、既にもぬけの殻でした。行き先にこころあたりは?」
「さて、あくまで行きずりの相手ですからね。」
皮肉を混ぜこみ、
「今日中に京を離れると言っていましたから、いないのなら、既に発ったのでしょう。」
「では、昨日、あなたが見たものについて正直に話していただきたい。」
その言葉、心外だというように経清は眉を大きくあげてみせた。
「まこと、もってまわった言い方をする。いったいわたしのなにをそんなにお疑いなのやら。」
「その、なにもおかしなことなどない、という顔を。」
光の加減で昏い翠にもみえる瞳に気づいた。
「あなたが将軍塚に案内し、家に泊めたそれは、あきらかにおかしなものの筈。」
双眸の奥で明滅する光を見て、何かが反射しているのかと覗き込み、それが瞳の奥底自体の動きだと分かったときには、もう遅かった。目が離せない――否、身体が動かない。
瞬きひとつ自由にならない状態で、何とか加害者を睨みつけようとした雰囲気を察して、香佑が感嘆した様子で眉を上げた。
「なかなかの精神力だ。大抵は既に自分を失くしている。」
わずか笑って、更に光の明度が上がった。
「貴様・・・ほんと、・・・陰陽師・・・」
いや、その前に。
――こいつは、ひとか?
頭の奥が痺れるような感覚を、深い酩酊状態が覆いつくす。深く濃い翠の闇だ。
かなたの森の葉擦れのように、
・・・おい、
・・・なんでしょう、安倍陰陽頭の若君。
・・・っ。よせ! その眼を向けるな。気味の悪い!
・・・なら、封じてみますか? ただし、おれには大事な飯の種ですから、死に物狂いで対抗させていただきますよ。
・・・な、なんでここで貴様とやりあわねばならん! さっさと仕事を済ませろ。高い金を支払って雇っているんだからな!
・・・陰陽寮におかれては、この人妖の邪眼を評価していただいて恐縮ですな。
香佑は再た経清の顔を覗き込み、怪訝そうに首を傾げた。
・・・なんで、まだ、自我が残っているんだ?
・・・ふ‥ん、ご自慢の邪眼の力が衰えたんじゃないか。
・・・あなたで試してみても宜しいですか? ンな、びびって思い切り顔を背けるんだったら、憎まれ口も大概にしておかれよ。ま、やるときは断りはしませんから、おれがどこまで戯れ言でお返ししていけるか試したいのなら、お続けなさい。‥‥さて、なにが、阻害しているのか。
目を眇めてゆっくりと経清を眺め回した香佑は、左手首に重ねられた右の掌に目を留めた。
「手を除けろ。」
操りの糸につられたように、経清の腕が動き、隠されていた部分があらわになる。結わえられた編み紐の上に掌をかざして、香佑は薄く笑った。
「この、気だ。」
懐から小刀を取り出し、肌と紐の間に刃を差し入れた。ぱさり、と編み紐が床に落ちるのと同時に、翠の闇に瞬く燐光が、経清の知覚するすべてになった。
「いずれの者より受け取った?」
「あれは、ひた、かみの、」
「ひたかみ!?」
「明矢どの、お静かに。それで、それは、はるばる日高見から参り、将軍塚でなにをした?」
「とらわれたものたちを、ひたかみにかえすために。みやこのけっかいをやぶるためのちからを、」
「京の結界を破る!? とんでもない暴挙を企む! どんな輩だ!? 年は? 姿かたちは? 早急に手配して必ず捕らえねばならぬ。」
ダレカトトワレタナラバ。
「明矢どの!」
闇にやんわりと包まれた意識が、ふと揺れる。
「か、れは、ひた、かみの」
・・・あお。
夜明けの蒼。光を内包し、どこか透明な印象を残す暁時の風のいろ。
あたらしいときを告げ、こころを奮う。
よせ、と突然緊迫した声があがったが、唇は声を落とすのを止めることはできなかった。
「かざと、」
――空里。
刹那、すべてはかのあおの中へと溶けた。
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