いざよひ断章8

 経清は絶叫した。否、声になったかは分からない。

 身体の内部をかきまわされているような激痛が、突然経清を襲ったのだ。身を動かすこともできず、ただ痛みが知覚する総てになった。

 裂ける!!

 悲鳴にはならなかっただろう。痛みの真ん中を貫いた意識ことば

 裂ける裂、ける裂け、る!!

 何が、とか、どうして、とか、そんな余裕はない。有るのは気の狂いそうな激痛と、瘡蓋をはがすときのような快感が入り混じった奇妙な感覚。

 ――時間にすれば、わずか一呼吸か二呼吸だったのかもしれない。

「戻れ!!」

 声ではなく、想念こえ。魂を鷲掴む。

 ・・・青。

 それは空だとその時思ったが、自分はうつ伏してはいなかったか。果たして視覚であったのか、感覚がとらえた幻であったのか、透き通る青の向こうに、背に、あるいはなかに、青年の姿を見ていた。

 瞬間、痛みが霧散した。

 呆然とし、両腕をついて身を起こした経清は、すぐ近くの草むらに倒れ伏している青年を見つけた。

 驚いて、二、三歩そちらに歩をすすめ、青年の傍らのに気づいて棒立ちになる。

 半透明に透けた、奇妙ななりの少女が、青年の傍らに膝まづいていた。いつの間に、何処から、という言葉も過ぎったが、いかにみても人ならぬ存在に、それは問うても無意味なコトだろう。

「・・・里ッ、」

「・・さ・・・」

 腕をあげようとするが、痙攣するように震えるだけで終わった。

「大事、ない・・・しばらく、休め・・ば、」

「だめ!! こっちに向かってこようとしている人たちを見たの。言葉は聞けないけれど、雰囲気がすごく険悪だったから。」

「なる、ほど・・・京の・・・陰陽寮まもりてどもも・・・無能ばかじゃなかったか。」

「とにかく立って! ・・・立てる?」

「お前の頼みなら・・・なんでも・・・聞いてやり、たいが、・・・残念ながら。」

 素面で言えるなと、経清は額を掻いたけれど、言われた当人はさらりとしたものである。気づいていないのか、とりあっていないのか、どちらにしても報われていない。

「なんだって最後の最後で気を散ずるのよ?」

「・・・しょうがないだろ。放っておくのは本末転倒だし、」

「誰もおくべきだったとは言ってない。予想くらいはしていたんでしょ? 大和人嫌いのくせに、探し出してここまで連れてきたくらいなんだから。」

「――確信はなかった。」

 自分に向けられた、不思議な――深い感動を伝えるような青年の目の色を、経清は訝しげに見返す。

してたってことよね。」

 手厳しい台詞に少しは労われよ、と言いたげな表情をした青年は、目元にそっと手をかざしてきた少女の優しい目に、その表情を消す。

「こうなると分かっていても、そうした。やっぱりあなたは風斗だね。」

 半透明な掌が、撫ぜる様に掌が上下する。触れられない透けた掌の感触の代わりに、小さな風が肌を滑って前髪をはねあがる。

 青年が、愛しい、まして切ないという瞳を、やりきれなさそうに伏せるのを見た。

「彼をお願いできますか?」

 少女が振り返った。

「しばらくの間、あなたの家に彼を休ませてはいただけませんか?」

 異形の少女。あまそぎの髪、形容しがたい服装、なにより向こうの景色が半ば透けてみえるその様子。それでも恐ろしい気がしないのは、明るい陽の下であったのと、彼女の双眸がただ真摯だったからだ。

 経清はその瞳に吸い込まれるように頷いていた。ありがとう、と彼女が微笑んだ。家の場所を彼女に告げる。

「・・・やけに素直じゃないか。」

 おもしろくない口調(何故なのかは至極判り易い)で青年が一言述べるが、

「ありがとう、お願いします、でしょ。」

 と、ばっさりやってのけ、

「ごめんなさいね、素直じゃなくてご面倒をおかけします。」

 自分に向かって頭を下げる、少女に、経清は目を白黒する思いで、いや、とかはあ、という言葉しか出てこない。

「同行者がいたでしょ。連れていくから、おとなしくしていてね?」

「――何処にいるのか分かっているのか?」

 むっと唇を尖らせたままの青年が言う。

「その前に、会ったことないだろが。」

「と、思うでしょ? ところが知ってるんだな。」

 少し得意げに彼女は笑った。

「船を降りるあたりから途切れ途切れにいたの。あ、へんなものは見てないから大丈夫。」

「・・・へんなものって何だよ。」

「着替えとか、そういうの? それじゃ覗きだものね。器用にとぶのよ、何故か。は安心して。」

「立派に覗きだろうが。」

「不可抗力。」

「見えてるなら、来いよ。」

「努力してどうなるものでもないの。でも、日高見ではそれでも自由がきいていたらしいわ。大和こちらで気づいてから、特に京に入ってからはぐるぐるぐるぐる、ほんとに焦点がとびまくって気持ち悪くなるほどで・・・。」

ここの風はひどく澱んでいるからだろうな。それから、名のない大和では制限されるんだろう。風斗おれ風織姫おまえも。」

「そう・・・かもね。とにかく、見えるから声は聞けて、用向きも事情もなんとなくは把握できている。」

 少女はふわりと空に舞い上がる。

「あなたの声が私に届いて、ここに降りれて、何だか少し風通しがよくなったというか、纏わりつくようだった空気が軽くなった感じがするから、たぶん今なら行けるわ。」

 待ってて、と笑って、柔らかな風とともに消えた。

「――夢じゃねぇぜ。」

 呆然とその空を仰いでいた経清に、青年の声がかかる。

「幽霊でも物の怪でも、魍魎でもないからな。」

 的確に経清の推察を粉砕してくれ、じゃあ何なんだ、と首を傾げた経清に、どこか切なく甘い顔で告げる。

「あれは俺の――風織姫だ。」

「なんだって?」

「説明は後だ。手をかせ。そろそろ、体力も気力も底をつきそうだ。」

 ひとりで立てないほどに弱っているくせに、全く偉そうだ、と溜息をつくが、、という直感に近い思いで、経清は青年に向かって手を差しだした。

 肩を貸し、行きの倍近い時間をかけて山道を下り、京の雑踏なかに紛れ込んだ。後はもう一歩も動けない様子に陥っている青年の為に、荷車を手配していた経清は、やつしてはいるが、陰陽師の一群が自分たちが帰ってきた方へと急ぐのを目の端にとらえた。

 ひたかみと大和の関係は不安定だ。その国土を削り取るために、この数百年、幾度も大和は遠征(征夷という)を繰り返し、そして北限を着実に北上させてきた。それはあちらからいえば侵略され続けているということだ。現在は属国のような立場でが朝貢し、一応の平穏は保たれてきたが・・・。

 ひたかみの船が大和の官船を襲撃したと聞いたのは、一昨日。きな臭さが漂いだしている。

 ――引き渡すべきではないのか。

 大和の守護たる武家の棟梁に仕える者として、この時期に京に現れた(しかもかなり胡散臭い目的持ちの)ひたかみの術者を匿うような真似は正しいのか。

 そのあたりにあった穀物袋を枕代わりに頭の下に押し込んだ。

 二度、彼は自分を助けてくれた。一度は命を。

 彼の“声”がなければ、自分の魂は体から切り離されていただろう。理屈ではなく、直感でそう分かる。

「――やってくれ。」

経清は人足に告げた。

 

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