いざよひ断章7

 青年は真っ直ぐに、石積みの上に小さな碑を立てた“塚”へ歩み寄っていった。

 木立を抜け、降り注ぐ午後の日差しの眩しさに立ち止まって瞳を瞬かせていた経清は、その背を見ることになる。

「助かったよ。」

 肩越しに振り返り、青年は微笑んだ。

「礼は後日改めて・・・何か奢ろう。」

「――気をもたせといて、それはないだろう?」

 立ち去れ、ではなく、という感じだと推して経清はそう返してみる。

「別にうしろぐらいところがある訳じゃないだろ?」

 軽く言ってみるが、一抹の疑惑は拭えない。

 は、あやしいカンジがする。日頃、まったく縁がないせいか、呪詛とか除霊とかパッと浮かぶのはそんなことで・・・。

 青年が呪術的な意味合いで、将軍塚をもとめたのは確かだろう。案内してきてからなんだが、その目的が負でないと判断する材料は、心情的なものはともかく、なにもない。

「俺としてはすべきことを果たしに来ただけで、何かを積極的に乱したり壊したりする意図はないぞ。」

「――?」

「さすが・・・大和の番犬の一員だなあ。不穏な匂いは嗅ぎ分ける、か。」

 皮肉っぽく言われたその言葉の、何かがひっかかった。

 せんからの煙にまくような発言の数々が浮かび上がり、ふと思いあたったそのことに、はっと経清は表情を硬くする。

「・・・あんたは・・・もしかして・・・。」

 大和の一単位の行政区たる「国」は、六十余を数え、その最北は陸奥と出羽。二国合わせて、大和の全領土の五分の一を占めようかという広大な範囲だが、それは地図上のことだ。陸奥国司が徴税を行えるのは陸奥国ならぱ、その3分の一ほどである。それはつまり、陸奥(出羽)には大和の権が及ばぬ場所があるということだ。その領域を奥六郡と称するが、

の・・・、」

 生い育った東国は陸奥と隣接している。京洛の民には伝わらない(また興味のない)そのクニの名も十二分に届く。

 ニヤリ、と満足そうに青年が笑った。

「ああ、そうだ。俺はひたかみの――風斗だ!」

 ゴオッ、と風が吹き上がった。爆発するようなそのすさまじさに、経清はよろめき思わず地に膝をついていた。

「・・・もう少し、俺の方に寄って伏せていろ。」

 激しい風の音の中で、妙にはっきりと青年の声が聞こえた。立ち上がろうとして余りの風勢に、結局這うようにして、こちらは風など吹いていないかのようにすっくと立つ青年の背後に辿りついた。

「これは、あんたの仕業かッ!?」

 息までさらわれるような風の中、経清が下から叫ぶ声に青年は涼しい声で答える。

「半分はな。」

 解いたのか吹き散らされたのか、髪を風に遊ばせているが、経清より風上に立ちながら本当にしかその影響を受けていないようだった。

「どう・・・ッ」

 どういうことだ、と返そうとして、経清は息がつまって咳き込んだ。

 その様子をちらりと青年が見た瞬間、ふ、と身体への風の負荷がぐっと減ったのだ。

「助か、る。」

 彼の仕業であると確信して顔を上げた経清は、轟々と唸る風に吹き千切られて宙を舞う葉っぱや小枝の中に、明らかに異質なモノを見た。

 石組みの塚の上にボウッと灯った青白い炎――そこで漸くの変化に気づいた。つい先刻までの眩しい陽はどこにも見えず、といってかき曇ったという形容もできない・・・なんというか霧にとざされたような、そんな具合の薄暗さである。

 はじめに握り拳ほどの大きさであったソレは、風に吹き消されることもなく、呼吸を幾つもしないうちに、頭ほどになり、縦に伸び、身の丈ほどになり――そう、それは、人の形であった。

「亡、霊!?」

「違う。」

 落ち着いた声が返る。

「魂は既にない。これはこの場に残った・・・いや、灼きついてしまった思念こころだ。もっとも、これほどしているとは思わなかったが。」

 半ばすぎからは独り言のようで、炎を見据えた横顔には緊張とわずかな戸惑いがある。

 炎はさらに複雑に細部を整え、古い――二百年以上前だ――時代の官服を纏い、太刀を佩いた壮年の男の姿になっていった。

ハ――、』

 耳で聞いているようで、頭に響いているような不思議な“声”だ。断ち切れるように風は止み、辺りは静まり返っていた。

ハ――、』

 探るような、何処か確信していてそれを確かめるのを恐れているような響きだ。

「俺は風斗だ。」

 挑みかかるように青年が言った。“炎”の男が息を呑んだように――息をしているかは定かではないが――みじろぐ。

「カザ、ト・・・ガ・・・?」

「そうだ。現在は俺が風斗だ。」

・・・アへノ・・・ハルイデハナイ。」

「瑠依はとうに亡い。貴様が殺したのだろう!! 瑠依とその名を呼ぶことを許された預名方であった貴様が!!」

 激しい断罪の声。

「瑠依を謀り、質を盾に心を縛り、身に縄を打ち貶め、罪人として籠めさらした末に命を奪った。我らが御館を辱めた大和のこの非道、ひたかみは決して忘れぬ!」

 小さく小さく炎の輪郭が震えていた。

「ルイ・・・我ハ瑠依ヲ・・・、」

 火の粉が散る。血の涙というが、それは火の涙だった。

「死ニイカセタ――瑠依!!」

 咆哮にビリビリと天地が震える。

「逃ゲロト・・・瑠依ダケナラバ逃ガシテヤレタ・・・ダガ瑠依ハ我ガ手ヲトラナンダ・・・。」

「置いてはいけぬ。彼はそう答えた。そう・・・彼はいつだって逃げれたんだ。彼の刻は『夏』を過ぎてはいたが、風斗と呼ばれる身であれば、どんな大軍に囲まれようが意に染まずして髪の毛一筋とて触れさせはしない。だからこそ、その生涯、を許されるのだから。だが・・・五百人を大和の囲みから助け出す力はなかった。瑠依が逃げれば、即座に彼らは殺される。瑠依の願いは、自分を信じ従った仲間を守ることだった。だから彼には身を大和の牢に置く以外に術はなく、貴様らに処刑されていった。」

 ひた、と炎の男に目を据えて、青年は続ける。

「好い男だったんだろうな、瑠依は。敵将であった貴様を預名方にするほど、貴様にこうもこだわらせるほど――懐の広い、人を惹きつけてやまぬ・・・、」

「ソウ――ダ。風斗ニシテ水斗・・・冠(な)ニ相応シイ風ノゴトク猛クマッスグデ、水ノゴトク柔ラカナ――アノヨウナ人間ニ後ニモ先ニモ出逢ッタコトガナイ・・・。我ハ瑠依ヲ・・・瑠依ニ恋ウゴトク惹キツケラル。戦場ニテ相対スル時モ、肩ヲ叩キアイシ時モ我ノ存在ハ瑠依ヲ感ジテ止マヌ・・・、」

「瑠依も貴様を認めた。心が惹かれぬヤツに名を預けることなど決してない!!」

 沈黙が落ちる。

「瑠依が貴様の手をら――それが貴様のか。」

「・・・ナニ?」

「分かっていた筈だ。瑠依が決してその手を取らぬことなど。そういう男だと貴様は知っていて・・・瑠依にんだ!」

「我ガ・・・何ト?」

「瑠依が何故逃げなかったか。瑠依が貴様に頼みたかったことを、貴様は分からなかったというのか? 違う、貴様は気づけないをしたんだ。瑠依ならば、貴様を思って、自らは決して口にすることがないと分かりながら!」

 叩きつけるように、刹那風がうなりをあげて、地を揺らした。

「違ウ!」

「貴様は瑠依を死にゆかせた。・・・そうだ、それは事実だ。貴様が瑠依に応えていれば、瑠依は死ななかった。貴様は確かに瑠依を死に追いやった。救わなかった。瑠依は貴様を分かっていた。貴様は大和の武将で、自分と同じように家臣の、家族の命を背負っていると――だから、自分のためにその総てを捨ててくれと迫るに等しい、己の願いを言えなかった。・・・そういう男だったろう?」

 激昂した声がゆるやかに沸点を下げていくのに、経清はこれは怒りを装っているが(否、真実怒りはあるのだろうが)巧妙な説得だと気づいた。

「瑠依ハ我ヲ恨ンデ逝ッタノデアロウナ・・・」

「・・・恨み歎き責めただろう――守らねばならぬものを置いていく自分おのれを。」

 青年が“炎”の男へ一歩踏み出す。

「貴様は――許されたいのだろう? 彼を喪ったが許せないのだろう?」

 ここに在るのは魂ではなく、だと青年は語った。

 大事な友を死なせたと、救えなかった、と悔やむ遠い日の歎き。時に癒されることのない悔恨と悲嘆。

「ならば――。」

 はっとしたように男が青年を強く見つめた。

「償、エル?」

「瑠依が願ったのは、ひたかみより付き従った者たちがひたかみに帰還かえれること。だが彼らは帰ることはなかった。主だった者は瑠依や真礼マレと同様に刑死、あるいは牢死し・・・その他の多くの者は奴婢として酷使され、京洛ここで死んでいった。彼らは、死してなお、この京に囚われている。京洛の影を彷徨い、あるいは木や草に宿り、揺らめきかききえそうになりながらも、故郷の光を夢見ている。」

「・・・瑠依ハ、」

「彼はいない。彼が処刑されたのは河内国。この京のように閉ざされてはいない。彼は風なる冠を戴いた者。魂はひたかみに飛び、ひたかみのどこかにいまもあるだろう。けれど、京にて死んでいった者の魂は、京の結界をけられず、ひたかみに帰れない。」

 青年はすっと片手を上げた。その掌の上に浮かべた小さな竜巻を、青年は握りつぶすようにして言を継いだ。

「この京を包む結界は優秀きわまりない。外からの干渉を許さぬし、内で生じたものもと適切な儀礼なしでは出さないという筋金入りだ。とはいえ、俺からすればぶち破れぬものでもない・・・相当な返しを覚悟すれば。、今回そこまで大仰な仕掛けをする必要はないんだ。俺の風を通す小さな穴がひとつ、ひと時で閉じてしまうほどの綻び。それでコトは足りる。たけど俺の力は結界にものだから、力づくはきいても、細かい芸当はできない。それを為せるのは、京の守護を掌るひとつ、将軍塚に宿る気だ。」

 青年が、ふ、と微笑う。傍から見ても、魅力的な、それを十分に分かっている表情で、彼は言を継ぐ。

「瑠依の願いを、かなえられる。」

 青年がそう言い吐いた瞬間、再び風が激しくあたりを揺らして吹いた。

 “炎の男”・・・いや、もう“男”の姿はとっておらず、一本の炎柱が天を衝くばかりに立っていた。風はその焔を巻くきこみ、紅の竜巻と化す。鞭のようにしなるその様は、まるで伝説の竜のようだった。

「・・・次郎どのッ」

 青年は動かない。迎えるように大きく手を開き、胸を張る。

 そして“紅の竜”は青年へと身を投げ――辺りは白く灼けた。


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