いざよひ断章6

 6

 昼下がりの京大路。雑踏の中、呼び止められて振り返った経清は我が目を疑った。

 旧知のような顔で立っていたのは、青年。桔梗の狩衣をすっきりと着こなしてはいたが、髪は今日も束ねただけだ。それでも周囲のあなどりを寄せつけぬのは、いかにも人の上に立つことに慣れた風情、言い換えれば気品ともいうべきものが、その立ち姿から発されているからだ。

「将軍塚に案内してくれ。」

「――東山の?」

「将軍塚なるものは、そうやたらにあるものなのか?」

「いや、ないと思うが。」

「ではそれだ。」

 どちらだ、という問いに背を押されるように連れ立って歩き出したものの、なんで言われるままに同行せねばにらぬのかと、はたと思う。

「道、教えるから。」

「なんだ? 使いの途中か?」

「いや、今日は非番だから。」

 正直に答えてしまってから、しまった、と思う。そういうことにしておけば良かった。

「ならばつきあえ。」

「だから、なんで私が・・・。」

「右も左も分からん京で、一人、道を尋ねている俺が気の毒だと思わんのか?」

 自分で言うことか、と思わず睨んでしまう。

「お供の郎党はどうしたんだ?」

 昨夜もみえなかったが。

「供? ・・・ああ、あいつは郎党けにんじゃない。あいつにはあいつの用向きがあって京洛に来ている。まあ、俺の世話はやかねばならんとは思っているだろうが。」

「だったら、案内人ひとを雇え。なんで私が・・、」

「――見てたろ、昨夜。」

 随分背の高いヤツだ、とこうして間近にすると改めて思う。一昨日は連れも上背がある男だったので、それほど意識にのぼらなかったが。経清も長身といわれるが、その自分より拳ふたつは目線が高い。道を行き交う京人から頭ひとつ抜け出している。

「・・・人通りも少なくない橋の下あんなところを覗いたと責めるのなら、もっと隠れた場所を探すべきだ。」

「見たのはお前だけだ。」

「悪かったな。物見高くて。」

 皮肉をこめた口調に、青年は経清を真っ直ぐに見据えて首を振った。

「そうじゃない。お前が見たんだ。」

 自分、だけ――?

「覗かれる筈は。なのに、な?」

 陰陽道や密教には余り縁はないが、そういう者達がふるうという、“つねびとならぬ”力のはなしは聞いている。

「・・・あんたは陰陽師とか呪い師とか・・・そういう類の者か?」

「俺を呼ぶ“”は京洛ここにはない。」

 謎かけのようなことば。はぐらかしているのかと思ったが、その瞳の色は深い。

「お前こそ、さぶらい稼業の裏でそういった生業をして――」

「はあ!?」

 あまりに突拍子もないことを言い出され、目を剥く。

「――ないな」

 抗議する前に、あっさりと撤回された。

も色気も気だ。」

 怒るべきか、喜ぶべきなのか、微妙な気分にしてくれる発言だ。

「・・・やはり、か。しかしな、旨い話が・・・。」

「おい、なにブツブツと・・・、」

「ああ、悪い。・・・まあ、いいか。そういえばまだ名乗っていなかったな。俺は――次郎だ。お前はなんと呼べばいい?」

 呼べばいい、と平然と言う青年に、一瞬、太郎坊だとでも名乗ってやろうかと思ったが、

「経清。藤原経清だ。」

「産(で)は? 源頼義に仕えているのなら、やはり坂東か?」

「下総だが・・・よく知っているな。私が源家に仕えていると。」

「一昨日、酒場にいただろ。カンジとして常連のようだったからな。居所を探すのに手っ取り早く、あそこの主に聞いた。」

「・・・あの大人数の中でよく私を覚えていたもんだ。」

「印象的だったのでな。」

 瞳を覗き込むようにして微笑った。ふとその双眸にひきこまれるような感覚を覚え、気恥ずかしくなって焦って目をそらした。

「・・・女をくどくような台詞を言うな。」

「そうか? まあ、女じゃないんだから構わんだろう。」

「男に言うから気色悪いんだッ。」

「割に細かいな、お前。くどいたわけじゃないんだし・・・もしかしてくどかれそうだったか?」

「――ひとりで行け。」

「気の短いヤツだな。」

「あんたは無駄口の多いやつだなッ」

 青年は大きく目を瞠った。

「新鮮な評価だ。」

 くつくつと愉快そうに笑う。

「旅先というのはやはり浮かれるもののようだ。」

「普段は無口だとでも?」

 かなり棘の立った口調で言ってやる。

「無口ではないが、俺の言葉にはがあるからな。」

 魔力が宿っているとか、勿論そんな訳ではなく。

 例えば自分がこの青年から『死ね』と言われるのと、お仕えしている頼義公に『死ね』と言われるのでは全く話が違うということだ。彼ならば笑うか肩を竦めて終わるが、主たる人の言葉ならばそれは行動すべきことになる。・・・極端な例だが。

「あんたは何処から来たんだ?」

 経清も幾人かの従臣を持つが、青年の口ぶりからするとの及ぶ範囲は相当のもののようだが。

「――ここにはその名のないからさ。」

「あのな、」

 たいがいにしろ、と睨むと、彼はまた深い瞳をする。

「偽り言はいつか悪い風となって己へ吹き返す。とはいえ,我らは常に強いられているのだが、」

 ふ、と言葉を途切らせた青年は、経清のどうにも咀嚼しがたい顔に、

「・・・いろいろ事情があるというコトさ。まあ、分かれ。」

「――あんた思いきり胡乱だぞ。」

 経清は深々と溜息をつく。

「で、将軍塚にはどんな用向きなんだ?」

「聞きたいか?」

「当然、奇怪な用向きのようだな。」

 もう一度溜息を落とした背を、青年は笑って叩いた。

「楽しみだろう?」

 親しげな笑顔に迷惑そうに肩を竦めたが、その後ちょっと笑ってしまったのは、この得体の知れぬ青年に向けてどうしようもなく心が動くからだ。

 ――魅かれる、というのはこういうことなのだろう。


 将軍塚の起源おこりは、京がこの地に遷ってきた時に遡る。

 当時の帝が京の守護として武将像を地中に封じた。その後征夷将軍として功を立て、京洛の民に「将軍怒れば鬼より怖く、将軍笑えば泣く子も笑う」と慕われた坂上田村麻呂将軍と結びつき、“将軍塚”と呼称され、田村麻呂を祀る場ともなっていった。

 とはいえ、神社仏閣がある訳でもなく、田村麻呂将軍の記憶も遠くなった現在では、草深い山道の奥の、見晴らしの良い場所としての印象しかなく、経清も訪れるのはこれが初めてだった。

 良く鍛錬された二人の足はぐんぐんと山道を登っていった。

 若狭のほうから来たという青年の道中譚や、経清の京洛怪奇談と、たわいのない話に互いに真剣に聞き入っては、たいていオチで爆笑する。

 経清は自分がまったく屈託なく楽しんでいるのを感じていたし、青年は最初から砕けた様子ではあったものの、それでもそれは作った余裕であったと知れる、真夏の青空が似合うと思える笑顔を浮かべるようになっていた。

 気の置けない雰囲気になってくれば、会話は少しずつ私的なコトへと向かう。生国を明かさぬ青年であるから、家族について聞いてから経清ははっとしたが、

「兄がひとりいたが他界して久しい。嫁いだ姉がひとり、弟は四人で妹がひとり。」

 と、あっさり答えたものだ。まあ、どこの話か分からないのは変わらないが。

「賑やかそうだな。親御さんも健在なのだろう?」

 ああ、と頷いた青年は、ふと何かにひっかかったようで、気遣わしげに眉を寄せた。

「お前は?」

「兄弟はいない。父は十三の時、落馬の傷がもとで死んだ。父の所領あとは叔父が継ぐことになって、私は母と京に上ってきた。母は京の出だったし、叔父の口利きで、源頼義様の近習に仕官することになってね。」

 さらり、と言ってみたが、青年の眉間の皺は深くなってしまった。

 父が不慮の死を遂げた後、その弟たちによって所領は奪われ、地縁血縁という後ろ盾のない母と自分は、追い出されるように坂東を発ち京にやってきた。叔父達は源家への仕官を世話してくれたが、それは甥の将来を思ってというより、坂東と所縁の深い源家へ一族を差し出し、つながりを深めておこうという打算の下だ。

 よくある話・・・だが、父が死んだあの五月の雨の夕方から続く、何の選択もできず動かされていくだけの、無力さの記憶は、ふとした瞬間に胸を重くする。

 雨が降らなければ、父が出かけなければ、道が崩れなければ、父が・・・死ななければ――後悔ですらなく、繰言にすぎない。

「五年前に母も他界したから、以来一人住まいだ。」

 頼義邸の一角に住み込んで仕えている者も多いが、母をひとり置いておくこともできなかったから、母の昔馴染みの伝手で小さな屋敷を借りた。

「奥方は?」

「所領もなく、これから先めざましい出世も待っていそうもない身上じゃな。あんたの奥方はどんな人なんだ?」

「俺もまだだ。」

 これは結構意外だった。

 恐らく大家の跡取りであろう身が、この年で娶っていないとは思わなかった。

「よっぽど、えり好んでるんだな。」

 彼か周囲かは知らないが。

「選んでねぇよ。」

「ああ、選ばずに手当たり次第・・・ッて!」

 ガン、と蹴飛ばされて目を向けると、ものすごく厭な顔をしていた。

「いきなり何を言い出しやがるんだ、お前は。」

「考えついた一つの可能性だ。」

「あるかッ。」

「周囲が放っておかなそうだと思ったんだが。」

 地下(官位がない庶民)かもしれないが、十二分に豊かそうな感じで若く見場もいい。年頃の娘もその両親も気になる相手だろうに。・・・それともその好条件を打ち消すような悪癖でも抱えているのか。

 ふむ、と本気で悩むように頷いてみせた。

「・・・男の方がいいとか、たとえば。・・・それとも。」

「勝手に恐ろしい人格やつをつくるんじゃない!! 」

 肩で息をした青年は、くっくっと笑い出した経清に、

「・・・お前、見かけよりお堅くないな。」

 からかわれたことに気づいて舌打ちした。

「で?」

 流れ的に促してみると、あっさりと口を割った。

「野郎を性的にどうこう思う嗜好も、他人様に言えねぇような変態行為を好んだ覚えもない。」

 前者は、本気なら理解ってやるつもりはある----と、ここではいらない独り言をさしはさんだのが、違和感だささった。経清が、何か、と知るのはずっと後のことになるのだが。

「・・・ずっと惚れている女がいるが、そいつとはどうにもなれんのでな。」

 そちらを問えなかったのは、声がずっと深く響いたからだ。

「・・・身分違いか?」

「――ある意味な。」

 唇の端に青年は苦さをひっかけた。

「・・・へぇ。」

「なんだよ、その意外そうな声は。」

「いや、そういうの気にしなさそうというか。・・・踏み越えそうな感じが。」

詮索さく好きでもあるのだな。見かけによらず。」

 突き放したような口調に一瞬ひやりとしたが、目は笑っていた。

 噂話が最後にまわってくるような日ごろからすれば考えられぬほど、しかも知り合って僅かの相手に踏み込んでいたことに気づかされて、軽く息を吐いて経清は謝罪の言葉を口にした。

「すまん。」

「いいさ。――我ながらどうしようもないと分かっているんだが。」

 独白のように呟いて、ふと彼方の青を見やった青年の頬にまた苦さがすべり落ちる。

 怖いものなどなにもない――そんな輩だと思っていたのだけれど・・・。


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