いざよひ断章5
この話から、しばらく「あやかし譚」風味になります。
「聞いたか!?」
いつもの酒場、いつもの面子、変わり映えのしない料理と話題――その中に語尾を興奮に弾ませた声が飛び込んできた。
だが彼らの空気は沸騰したりはしない。僅かに片眉をあげて、
「今宵は何処の橋か、はたまたいずれの辻に
「さて京の闇を跳梁するは、鬼か大蛇か大蜘蛛か。はたまた今袴垂(盗賊)か。」
せいぜい期待できる騒ぎはそんなトコなのだ、と倦んだ空気を揺らすだけだ。
――ところが。
「違う!違う!」
常ならぬ勢いの声に、一度散りかけた視線が再び集中した。万座の視線を受け、話し手は紅潮した顔のまま、けれど少しもったいぶったように一呼吸を置く。
「佐渡から囚人を護送していた船が襲撃されたそうだ!」
「――海賊か?」
「囚人の護送ってコトは軍船だろ。そんなモンに手ェ出すかよ、海賊が。――どういう囚人、運んでたんだ?」
それが要点だろう。
「海賊をはたらいた出羽の蝦夷の頭だ。」
「蝦夷が取り返しにきたということか。」
「その頭が絶世の美女ならばともかく、むくつけつきの野郎をそのへんの海賊が奪いにくるかよ。」
違いない、と笑いの波が立ったが、その波が洗っていった彼らの眼底にはどこかぎらぎらした色が映り始めた。
「――戦か。」
「官船を襲撃したのだぞ。大和への叛乱よ。」
「征討の勅が下るか?」
「だが現在の陸奥守は・・・藤原登任か。老いぼれには荷が重かろう。」
「無理じゃ無理。やはり我らの主殿でなければなッ。」
当代きっての武将と讃えられる源頼義に仕えている彼らの多くは坂東(関東)の出だ。坂東にて起きた『平将門の乱』に際しては、彼らの祖父や曽祖父は朝廷軍として従軍し、その勳を聞いて育った。戦――勲――に憧れる気持ちは強いが、機会はなく、肝試しや腕試しなどの小さな勲を競って代償としてきた彼らの心は逸る。
主一家の近況や陸奥の噂などに話の花が咲く彼らの横を、奥の席にいた二人連れが通っていった。
何のことはない。退店しようというその二人に、彼が――経清が気を向けたのは話し相手が相次いで小用に立ち、喧騒の中にポツンと取り残されたような状態だったからだ。
――潮焼けだ。
はじめに目がいったのは、年上の浅黒く日焼けした男だった。一口に日焼けといっても、
連れ立っているもう一人の、こちらは経清と同年代だろう青年も健康そうに焼けてはいたが、それは陸のものだ。
どういう連れなのだろう。勘定を済ませている彼らを眺めて思う。
身に纏っているのは経清らと同様に狩衣だが、仕立ては上等だ。上洛中の地方豪族の子息、というところが妥当なのに、初冠(元服)の年齢はとうにすぎているのにもかかわらず。青年の首の付け根で一つに束ねた髪に首を傾げてしまう。それは不自然すぎた。連れの男も経清も――この場にいる青年以外の誰もが髷を結い、烏帽子を被っている。烏帽子を被らぬのは、ある身分のしるしでもある。すなわち修験者、呪い師、牛飼い童(大人でも童と称す)、河原者といった・・・ひとならぬ者の。
しかし、彼らは烏帽子を被った男の方が従で、青年が主のような雰囲気である。主たる身分の、立派な成人として奇矯すぎた。
彼らが戸口のしきりになっているすだれをくぐりぬけ――あたりまえにそのまま立ち去っていたならば、ちょっとおかしな奴がいた、という酒の肴に思いだすくらいだったのだろうか。
入れ違いに店に入ってこようとした侍の一人の太刀と、青年の太刀先がこすれ、青年が軽く会釈した。それで終わるべきことが侍たちが酔っていたことと、束髪という姿に青年を軽くみたのだろう。その侍がいきなり激昂したことから始まったのだ。
いかにも見下げた調子で絡む侍に取り合わず、すり抜けようとした青年の腕が男の腕をかすった。わざとらしく侍が大声をあげ、痛くなさそうに痛みを訴える。
恐らくは何処かの大貴族に仕える武士団の者だろう。彼らが多数で、相手は若い二人連れ。身なりは上等。ちょっと絡めばここの酒代ぐらいはせしめられそうだ、と踏んだ顔つきだ。
――ゴロツキのような真似を・・・。
他の武士団とはいえ、同じく武士団に属するものとして自分も貶められているようで不快だった。
吐息を小さくもらし、懐から何か(金子だろう)を取り出そうとした男を青年が制した。
「くだらぬ。」
笑い含みで吐き捨てたそれは、あからさまな挑発だ。罵声を上げて掴みかかってきた侍から、ひらりと身をかわす。体勢を崩すほどでもない筈だったが、見えない何かに背を押されたように、侍は戸口のすだれ(これはどう見計らったものなのか、青年がすかさず持ち上げていた)の向こうへと転がり出た。不様に地べたに転がった音がした。
挑戦的な眼差しで、残りの面々を外へ誘いながら、ついでに店内を見渡した青年とふと瞳がぶつかった。経清はどきりとしたが、青年はすっと視線を動かし、外へと踵を返した。ドヤドヤと怒気をまとった侍たちが続き、連れの男は軽く天を仰ぐような仕草をしてから後を追った。
経清らは顔を見合わせ、何人かが野次馬根性で立ち上がって表に顔をのぞかせた――時には、既に終わっていた。
「息は・・・あるな。良かった。」
「――心配する方が違くないか?」
「あなたに何かある、とはどなたも心配しちゃいませんよ。あなたに何かさせた方が、お暦々がオレに落とす雷の威力が増すというものです。」
ゴロゴロと道に転がってピクリともしない、恐らくその人数分の影。剣戟の音はしなかったから体術なのだろうが、身の丈では勝っているが、重量は上の、しかも訓練された複数の男を、いかにすればこうも瞬く間に昏倒させることができるのか。
状況は明らかだが理性が追いついてこない見物人を置いて、彼らは夜の道を彼方へと歩き去っていった。
その夜更けから風が強くなった。
肌が覚えた北にそびえる守護の山から吹き降ろす風――ぬるい澱みを
何か――誘われているような、待たれているような、行かねばならぬような・・・ちりちりと胸の奥底が焼かれる。
風は終日京に吹き続け、また月が昇る。
夕刻から主の使いで経清は洛中を離れていたのだが、その帰り道で“彼”を見つけた。
北東へと靡くすすきの穂波の中に、彼は立っていた。月は十三夜の月。雲はなく闇の底へと光をはなっていたが、遅くなった帰り道を急いでいた自分が、橋の上からふと下をのぞきこんだ何気ない一瞬に、広い河原の片隅に佇む人影を見出すには十分な明度ではない。
――それでも、彼を見つけた。
川べりはさらに風が強いようだった。吹きちぎられそうに首を振るすすきは、荒れる夜の大海原のように見えた。青年は腰丈程のすすき野から、じっと川面を見据えている様子だったが、時折両腕を大きく左右に動かす。虫でも払っているのかと思ったが、やがてそれがある規則で動いていることに気づいた。
風が吹き寄せるその刹那に――、
「・・・・ッ!?」
何の呪いをしているのかと眉根を寄せた瞬間、経清はカッとその目を見開いた。欄干から身を乗りだし目を凝らす。
髪が――なびいていない。
背から風を受けて立つ位置に居る。さえぎる影はない。今夜は束ねもせず下ろしている髪は宙へと吹き上げられる筈だ。周囲のすすきの穂のように。けれど吹き抜けていく風は、まるで彼だけを避けているような――そんなコトは有り得ない。
だが、自分は確かにそれを見ている。
欄干をきつく握り締め、目を疑えばいいのか頭を疑えばいいのかと青年を凝視するうち、重ねて奇妙なコトに気づいた。
青年が腕を振るその瞬間、腕が振られた方向へすすきの波が走る――吹き寄せる風とはまた別に動いている。
息を呑み、身体を緊張させたまま、どれくらい彼を見ていたのか。
青年が踵をめぐらした。歩き出しながら、ふ、とこちらを見上げた。
目が合った――と、しかと分からない距離だったが、確かに感じた。
ニッ、と笑ったような――気がした。
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