いざよひ断章 2

 覚悟はしていた。

 ――筈だった。

 みっともない、と有夏は唇を噛む。汗ばんだ掌を衣に滑らせ拭った。

「――有ツ夏ッ。」

「・・・なによ。」

 追いかけてきた怒声に近い声に足を止める。

「お前ッ、朝には納得したようなコトを言っておいてッ。」

「してるわよ。」

「じゃあ、なんた!? それはッ。」

 宗任――鷹里と有夏は最も年齢の近い兄妹同士だ。言葉のやりとりにも遠慮がない。

「ちょっとした・・・イライラよ。」

「あのな、」

「いいじゃない。」

 開き直って有夏は顎を反らした。

「どうせ大和あちらに嫁いだら、ずっと大和の服装なりよ。最初くらい、本来の私でいたって。」

 たかが衣一枚ではない。日高見の民として生きてきた自分の一部だ。

「――有夏、」

「大丈夫、宴には着替えてでるわ。そして、ちゃんと指名から。」

 お道化た風に笑って、有夏は再た歩き出す。

 かれには分からない。闇衛に生まれつき、ひたかみを愛しむ心は同じでも、男と女では身の捧げ方が違うのだ。男が我が身を剣と呼ぶのなら、女は盾となる。

  彼らを――見極めねばならない。

 現国司の腹心ともいえる部将たちだ。たからこそ妻という名のの材料を、逆から言えばひたかみのを傍近くに置くことを受け入れる。大和を一義とする彼らの中で、だれが一番か。自分をひたかみへのにさせず、ひたかみの盾と為すために使えるのは――有夏は苦いものを噛殺す。嫁ぐ、というのは本当はもっと甘やかなものなのだろう。刹那、ある面影が浮かんで、苦さは苦しさに変わる。傍らにあるだけ、眼差し一つで蕩けそうな顔をして・・・それが有夏が恋だった。ひたかみの為と、その恋を引き裂く片棒を担いだ自分が、今更恋を希えるはずはない。

 前国司藤原登任の要請きもいりで、姉・弌夏も嫁ぎ――けれど、国司の腹心であって義兄となった平永衡は、先の戦ではひたかみの部将のひとりとして参陣したのだ。彼をひたかみの婿とした国司の下にではなく。

 永衡は日高見の女に骨抜きにつれて裏切ったのだと、大和人たちは罵る。確かに姉夫婦は睦まじいが、義兄はそれだけの人ではない。義兄は“ひたかみ”と、いつの間にか自然に、この天地を呼ぶようになっていた――大和が、奥六郡でも、陸奥でもなく。そのことを闇衛の者は分かっている。彼は大和の裏切り者ではなく、ひたかみの魂を宿した者と。

 喪われた五百人、と言う者もある。二百五十年前、当時の闇衛の御館・瑠依の随従として大和の京に赴き、大和の奸計で瑠依が処刑された後、ひたかみに戻ることなく、行方を絶った彼らの一人の魂が還ってきた・・・・と。

 数年前、魂となってなお長く京に囚われていた彼らを、風斗が解き放ったが、その数は五百に満たなかったという。

 こういう形で還って来る者もいるのかもしれない。真偽を確かめる術はないが、喪われた者を想う切ない祈りだ。

 ――そう言われるようなひとを、と希うのを贅沢だと知っている。


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