いざよひ断章3

 「藤原・・・経清どの?」

 宗任に名を呼ばれ、経清はまた惚けていた自分に気づいた。

「お疲れですかな?」

「いや・・・ああ、かたじけない。」

 瓶子を傾けた宗任に杯をさしだし、酒を受けた。そのまま行き過ぎていくと思われた宗任は、ふと経清の面を見つめ、浮かせかけた腰をどさりと落ち着けた。

「経清どのは亘理でいらっしゃったか。」

「ええ。」

 ほどよく彫りの深い整った造作をしている。今まで見知った安倍の兄妹――宗任、有夏、重任、そして伊具の領主平永衡たいらのながひらの妻になっている彼らの長姉――は、文句のつけようのない美形ぞろいだ。

「亘理は良い土地でしょう? 海辺で冬場も暖かい。――と、大和の方には厳しいのかな? 永衡義兄はようやく雪に文句を言わなくなった。」

 前国司に従って陸奥に入り、伊具に所領を得た平永衡は、安倍の娘を妻に迎え、この義弟の親しげな口調の示すとおり、彼らと馴染み――大和を裏切った。前国司が安倍を討伐するため兵を挙げた時、彼は妻の実家の軍門に参じたのだ。“恩赦”により、安倍が許された現在は、永衡も再び多賀城に参府する身に戻っているが、その悪しき前例に、同じように安倍の娘を娶らせようという此度の人選はかなり吟味されている、と己も数えられた身ながら経清は思う。頼義公と形は違えど縁が深く、裏切りなど考えつかない顔ばかりだ。

「経清どのは国司様の下に長くておいでなのでしょう?」

「初冠よりすぐですので、十三年になります。」

「経清どのは二十・・・」

「二十五です。」

「それでは兄と同年でしたか。」

「――貞任どのと?」

 意外な思いがした。もっと年長の印象があった。

 鬼切部で、数に勝る国府軍を完膚なきまでに打ち破った猛者。

 徹底抗戦を主張していると聞く。が成り、父である当主・安倍頼時が自ら“御礼”に多賀城を訪れた際も、他の兄弟は同行したのにかかわらず、彼の姿だけがなかった。

 一年ばかり前の彼の婚礼の折に、国司の名代として列席した頼義公の嫡男である太郎義家公は面識をもつことができたと聞くが、自らの城館に引き篭もり続ける男は、国府にとって最も気になり、最も正体の掴めない存在だ。

「すばらしい弓の名手でいらっしゃるとか。」

 とりあえず良く知られていることをふってみる。あとは怪力無双の仁王のような強面の男であるとかよく聞くが、戦場での勇ゆえだろう。涼やかな美貌の一族を前にしては一人そんなはずはなかろうと思う。だいたい、男同士の会話で、男の美醜を取り上げても詮が無い。

「奥六郡の方は皆弓に長けておいでなのですか?」

「義家様も、あちらの景季どのも相当な腕をおもちではありませんか。」

「その義家さまが手放しで誉めておいででしたので。昔知り合った奥六郡の出だと申した者も、凄まじいまでの弓の腕を披露してくれましたから、何か特別な鍛錬でもされているのかと、」

「――こちらにお知り合いがいらしたの?」

 横合いからかけられた声に振り向けば、初秋らしい色重ねの小袿へと衣装を改めた有夏だった。おい、と宗任は妹を睨んだが、彼女は肩を軽く竦めて経清に頭を下げた。

「突然、申し訳ありません。亘理の経清さま? お初にお目にかかります。有夏と申します。」

 見つめられ、間近でにっこり笑われて、経清は焦ってしまう。慌てて答礼しながら、同時に既視感がかすめる。宗任にも通じるそれ。似た誰かが己の記憶の中にいる――そんなもどかしい曖昧さ。

「どういういきさつで知り合われたの?」

「は?」

「あなたがご存知だという・・・経清様は、だって京にお住まいでいらしたのでしょう?」

は下総ですが、そうですね、初冠後はずっと。」

「有夏。」

 無作法だ、と咎める兄に、

「あら、だってお・・・宗任兄者は気にならない? 若狭や肥前ならばいざ知らず。船団の者だって、そうそう京に足を向けたりはしないし。なのに、源氏の殿様に仕えるこの方と京で知り合ったという日高見の者がだれなのか、私は気になる。」

「三年半ほど前、ほんの数日、何度か顔を合わせて――後は連絡をとっているわけでもありません。」

 それでも、通りすがりの顔見知り、と忘れてのは、その数日が、あまりに奇妙で鮮烈で――思い返せば、愛しいような切ないような色が灯る――心に灼きついて薄れないからだ。

「まあ、こうして私が奥六郡に参ったのも何かの縁。また会えれば嬉しいとは思いますよ。」

「名が分かるのなら探せるかも知れなくてよ?」

 名は、と一瞬ためらったのは、彼らが咎められはしないかと思ったからだが、あいつらがそんなに殊勝ものかと言葉を吐き出した。

「ええ。二人連れで、空里と守衡、と。」

 の瞬間、兄妹ははっきりと分かるほどに息をつめた。信じられないを見るように経清の顔を凝視した後、驚愕と戸惑いが溢れ返った視線を交し合う。

「それ・・・本人が名乗ったの?」

「それは勿論・・・、」

「・・・まったくそんなこと一言も・・・ッ。」

 有夏は小さく憤りの声を吐き出した。宗任はまいった、とばかりに額を押さえたが、

おまけなりゆき----いや、」

 思案深げにこちらを見据えた。

がなさったこと、となければ・・・?」

「――もしかして、空里らとお知り合いか?」

「・・・ええ、経清どの。よく承知しております。」

 向けられた視線は、それまでの単に礼儀正しいそれから親しみを含んだものへと変化しようとしていた。

「彼は我らが兄になります。」

「ご兄弟・・・?」

 彼は三郎宗任だが、長子は生来病弱で既に故人となっており、彼が兄と呼ぶのは次郎貞任のみという、安倍の家系図は情報として頭に収まっており、

「――どの?」

 奥六郡と経清らが呼ぶ土地を、ひたかみと呼ぶは、大和われらに名乗る名前以外に、別名を有つことも聞いていたが。

 懐かしい彼と、警戒と好奇心で思い描いていた男が同一人であったなど予想外すぎて、どうにも続く言葉が出てこない。

「経清どの、我らはあなたを歓迎いたしますぞ。」

「――はあ。」

「あなたは風斗に名を与えられた御方だ。」

「かざ、と?」

 記憶が揺れる。それもかつて聞いたことがある。

「本来ならば上座あちらに移っていただくところなのですが。」

 国司名代の座る上座を見遣ってぎょっとする経清に、宗任は物が分かった笑みを含んで言う。

「あなたには大和の立場がある。ひたかみわれらのことわりを押しつけたりはいたしません。ただあなたは風斗の大事な方だ。ひたかみにとって、それは重要なことなのです。」

 最後はとても静かに宗任は言葉を収めた。

「――教えて。」

 有夏の眼差しは何かを見透かそうと、どこか思いつめたような印象を経清に残した。

風斗になにをしたの? 何故、大和人などに名を預けたの? が風斗を動かしたの?」


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