第4話 偶然と言ってしまえば必然もまた偶然-③



 きめ細かい泡に埋もれた黄金の水。コップの淵で弾ける泡たち。それを景気よくぶつける儀式。


 「「おっつかれー--っ!」」


 悟と家事は煌々とした笑顔を咲かせ、二つのグラスをぶつけ合う。キャバクラに行った翌週の金曜日のことだ。


 その週は月曜日は警察へと軽い事情聴取に行き、翌日会社に行ってみれば仕事の予定ががらりと変わっていて、見事なまでにてんやわんや。気付けば金曜日ということで、いつからか《ザ・疲れを吹き飛ばそうぜ! ~男だらけのガチムチパーティー~》と呼ぶようになった飲み会を始めた。男だらけと言っても、悟と戸梶だけなのだが。


 つまみ中心で運ばれてくるのを横目に、二杯目のビールに手を付けながらも戸梶は気持ち悪い程の笑みを浮かべた。


 「そういえば悟、あのキャバクラの女の子と連絡とかしてんのか?」

 「あ~ミミちゃん?」

 「そうそうっ!」


 どう答えるか迷う悟は黄金の水を口に運びながら天井を仰ぐ。

 連絡自体はしているのだが、朝起きれば「おやすみ」、寝る前には「おはよう」と、夜の仕事であることを実感しながらも、昼勤務の悟はその逆の行動を取る以外になくて、それを戸梶の言う”連絡取り合ってる?”というのとは少し違う気がしたからだ。


 「ふふふ……。分かるぞ悟。営業メールしか来ていないんだろ? 何故分かるかって? そりゃ俺も営業メールしか来てないからだっ!!!」


 ドンっ、と持っていたグラスをテーブルに叩きつけるようにして置いた戸梶の目にはうっすらと涙が滲んでいる。


 「………そんなもんじゃねーか? 相手仕事なんだし?」


 改めて思い出すが、ミミからは営業メールが来ていない。先週の魚楽庵では結構気さくに話しかけられた割に、淡白なメールがここ一週間続いてたのもあって『営業とか苦手なのかもな……』くらいに考えているのだが。


 「……まぁ、そうだよな。悟が抜け駆けしてないだけでも……あっ、そういや忘れてたけど、お見合いどうなったんだよ?」


 まだまだ気が抜けないとばかりに悟を睨みつける戸梶。だが、悟としても戸梶に聞きたいことがあったのだ。


 「それで思い出したんだけど、カジってどんな時に”恋”だって気付くんだ?」


 悟の質問に目を丸くしてパチクリした戸梶は、若干引き気味で悟を見る。


 「えっ、おま、まじで言ってんの? 下半身が反応したらそりゃーもう恋だろ」

 「……お前に聞いた俺が馬鹿だったわ」


 やられたらやり返すとばかりに大げさに引いて見せる悟。すぐに「わりーわりー」と笑いながら言う戸梶。そんな二人のバカ騒ぎなど知らぬ存ぜぬと、だし巻き卵が運ばれて来たので、今度はそれをつまみだす。


 「……んで、何で急にそんな話になる訳よ?」


 好物であるだし巻き卵を頬張りながら「うまぁ~」と漏らす悟は、ビールで卵焼きを流し込んでから戸梶へと視線を向ける。


 「んやさ、可愛い子見たりしてドキッてしたりすることはあるけどよ、それってライクとかラブでもなくて、やりてーって感じじゃね?」

 「そりゃ~そうなるだろうな。男だし」

 「じゃあいつ恋になんだよ? 俺の場合、ドキドキしすぎて好きなんだか欲情してんだかマジで分かんねー。まあ、女の子と話す機会無かったから仕方ないんだろうけど」

 「あーなんか分かる気がするわ~」

 

 言葉に詰まったのか、戸梶と悟はつまみに手を出しながらも眉を八の字にさせる。


 「……まあ、この自称 ”恋愛マイスター” こと、戸梶さんが思うには……だ」

 「自分で自称つけんな、それに爽やか男児はどこ行った? 爽やかですらねーけど」

 「はい、そういうことは言わないっ。───つうかさ、それって結局女子と話して見ねーと分からなくねーか? 気が合うとか体の相性とかあんじゃん?」

 「体の相性は飛び越え過ぎだけどな? それに気が合うってことはダチみたいなもんだろ? それって結局、恋じゃなくねーか?」

 「それ言っちまったら、まず”男女間の友情はあるのか?”ってところから始めねーとだめじゃねーか?」

 「それはあるだろ。男女の前に同じ人間だぜ?」

 「俺は無いと思うね。一人の人間ってよりも前に一人の男女なんだよ。悟はもっと下半身に素直になれって」

 「それを童貞のお前に言われてもな……」

 「準備は万全なんだけどなぁ。───だれかいねーかな……収入少なくて外見ほどほどで我慢してくれる女」


 悟は持っていたビールジョッキがカタカタと揺れ、もう我慢ならないとばかりにテーブルへと置いた。


 「カジ、お前自分がほどほどだって言っちゃってんじゃん」


 少し前は”自称爽やか系”や、さっきまでは”自称恋愛マイスター”と言っていたのに、その全てをさらっと否定したことに笑いが込み上げたからだ。


 「うっせー。妄言で彼女が出来たらラッキーだろ?」

 「まずは妄言を聞いてくれる女性探さなきゃな」

 「いや、それはお前もな?」


 結局、答えが出なかった二人は恋の話題を笑い飛ばし、酒を飲みながらも近々に迫ったお盆休みの計画を練りながら、酒を進めて行くことにした。


 先週のキャバクラに行った時よりはチェイサーを挟んだこともあって、記憶はしっかりと残っている悟は、戸梶と別れて帰路に就く。


 夜道を歩けば点々としている外灯を眺めながら、ふと戸梶とのやり取りを思い出してしまうのは、自分が恋をしたことが無いんだと、そう実感したからだろう。


 「恋ってマジ訳分かんねー」


 吐き捨てるように呟きながらも三叉路へと辿り着く。ここを左折して少し歩けば悟の暮らすアパートが見えてくる───はずだったのだが、アパートよりも先に見えて来た人影に目をパチクリとさせた。


 「あれ? またお兄さんだ」

 「えっ? ミミちゃん?」


 夜だったからだろうか、厚めのコートを羽織ったミミが呆けた様な顔で悟を見ていた。バッチリと化粧が決まった仕事姿で、両手で持ってるのは小さなビニール袋だ、


 「こんな時間に何してるの??」


 まさか自宅付近で会うことになるとは思ってなかった悟は驚きが隠せなかったのだが、ミミは苦笑いを浮かべながら頬を人差し指で掻き、口を開いた。


 「仕事だと思ってお店に行ったんですけど……シフトに名前無かったんで行き損しちゃいました」

 「へぇ……キャバクラってシフト制なんだ……」

 「そういうお兄さんは………お酒の匂いですね? ミミのお店に来たって感じじゃなさそうですね~」


 じとーっと悟の顔を覗き込むミミ。


 「えっ……と、なんかごめん?」

 「それならミミも時間できちゃったんで、お兄さんの家でお酒を飲むのってどうですか?」


 じとーからニコリと笑みを浮かべたミミは、そのままサッと持っていたビニール袋を悟へと差し出す。


 「ちょうどお店で食べようと思ってだし巻き卵も作ってあるんで。……ちょっとお酒と合うかは謎ですけど」


 ドキッ心臓が高鳴るのが分かった。

 だがしかし………と、悟は冷静さを保ちながらも戸梶との会話を思い出す。

頭のなかでゲヘゲヘと舌を出しながら笑う戸梶。実際にはそんな顔はしていないのだが、悟の中の戸梶はだいたいそんな感じである。


 「うーん、さすがにいきなり二人っきりだと……。ほら、一応は男だし。せめて居酒屋とか……ね?」


 あんな友人と同じような真似はしたくない一心で、自分の欲望に打ち勝つ悟。

 一瞬でも気を抜けば暴君が暴走してしまう──そんな状況下でしっかりと社会人らしく線引きが出来た自分自身を誉めちぎっていた。


 「そうですか……しょうがないですね。───じゃあこの卵焼きはお兄さんにあげます。一人で食べても寂しいですから」


 なかば押し付けられた卵焼きを受け取ると、手を振りながら走り去っていくミミ。最後の言葉が少しだけ心に引っかかってしまうが、今も軽く酔っぱらっている状態で部屋に二人きりなんて状況になれば、自分の理性がどこまで暴君に抗えるのかが分からない以上、間違った選択ではないだろうと自分をもう一度納得させた。


 「それにしてもだし巻き卵か……ってか、女子の作る手料理食べれるのって………何気に初めてじゃねーか???」


 そう考えると、ただの好物ではなく神聖な物に思えてくるのだ。たかが卵焼き──されど卵焼きである。


 悟は出来るだけ形が崩れないように左手で握りしめ、ビニール袋が揺れないように慎重にアパートへと足を進める。


 アパートにたどり着くと、またしても悟の足が止まった。後は玄関を開けて中に入るだけなのだが、どうやら今日は巡り合わせの良い日なのかもしれない。


 「お持ちしておりました」


 自分の家の前まで辿り着いた悟が見たのは、玄関前で立ち竦む結花。


 「ど、どうしてここに? っていうかなんで俺の住んでる場所知ってんの??」

 「悟様のお母様に尋ねたところ、場所を教えて頂けまして……。この間はお付き合い頂きましてありがとうございます」


 軽い会釈を見せる結花に慌てた様子で会釈を返す悟だが、歩み寄ってきた結花が空いている悟の手を両手で包み込んでくるので、内なる悟は悲鳴を上げることになった。


 「もし、悟様が良ければ……私とお友達になっていただけませんか? 好き……なのかどうか、確かめてみたいのです」


 また悟の胸がドキリと高鳴ってしまう。

 悟も美術館で結花の手に触れることはあったが、その意味合いが違い過ぎる上に、その直球な物言いに。

 自分よりも冷えた手に包まれているのに、顔は熱くなっていく悟。


 「えっと……」

 

 悟は口ごもってしまう。

 思えば、女子の友達などもいない。剣道部の関係上、女性とも手合わせすることがあったが、それを友達かと問われれば違うと答えるだろう。会社の事務処理をする女性もいるが、それはもってのほかだ。

 それに男友達で考えてみても、「友達になろうぜ?」みたいなやり取りなんてなく、気付けばダチっ呼べる関係な訳で、目の前で起きている光景がどうにもむず痒い。


 「と、友達なら……いいんじゃないか?」


 相変わらず着物姿の結花だが、悟の返事を聞いて頬を真っ赤に染めながらもとびきりの笑顔を見せ、ただでさえ熱かった顔の熱が増していく。


 「ありがとうございますっ。断られるかもと思うとここ・・が痛かったので……」


 そう言いながら、悟の手を包んでいた結花の両手は結花の胸に吸い込まれた。

 だが、そこにあるのは心なんて見えない物もよりも先に、男のロマン詰まる物が待ち受けていた訳で……悟の顔はポンっと音を立てて赤くなる。


 「え、えっとっ!? とりあえず連絡先交換する!??」

 「………はいっ!」


 何とか手を離すことに成功した悟はスマホを取り出し、ルインでいいかと結花に聞くとが、「できれば番号とアドレスを……」と言うので、自分の番号を口頭で伝え、結花に電話を掛けさせる。そこからメールアドレスを送って登録を済ませると、結花はそのスマホを両手で胸へと包み込む様にして抱く。


 「それでは今日はこの辺でお暇させて頂きます。……家に戻りましたら早速送らせて頂きますね」


 頭をぺこりと下げた結花を目で追いながら、悟は立ち尽くしていた。暗い夜の空を見上げながらも、未だに現実が何なのか分からず。まるで夢を見てるようだと思う。


 どのくらい時間が経ったのか、肌寒さを感じて我に返った悟はとりあえずアパートの中へと逃げ込む様には入る。


 気付けば未だに心臓がドキドキと脈打っていて、既に酒は完全に抜けきったのではと思うほどに意識もハッキリとしている。


「……とりあえず、卵焼きだけ食ってから寝るか」 


 ミミに貰ったビニール袋を開け、透明なプラスチックの容器に入っている卵焼きをへと箸を伸ばす。


 「……うむ。85点っ」


 居酒屋とは違い、冷めている卵焼きは部活時代に食べた弁当を思い出させ、別段悪くないから加点しておき、見た目が派手めな女性が作っただし巻き卵の時点で更に加点。そして何よりも大事な味だが、若い女性の割にしっかりとしただし巻き卵なのでぐんっと加点。


 などと採点していると、口の中に違和感を感じ、ティッシュでそれを取り除く。


 「………あぁ、髪の毛入っちゃったのか。ミミちゃん髪長いからなぁ。ちょっと短いのも見てみたい気はするが……」


 潔癖症とは無縁な悟は、何事も無かったかのように髪の毛をティッシュに来るんでゴミ箱へポンッと捨てるのだった。



 ◇◆◇◆◇



 とある高級マンションの最上階フロア。そこはフロアにある出入口は一つだけで、一人で暮らすには広すぎる部屋。

 そのフロアの中にある部屋の中でいくつもあるモニターの内、その一つを睨みつけながら人差し指でデスクをリズムよく叩く女性がいた。


 「……なんなんですか、あの女」


 彼女───愛城 美海が覗いている画面には、和服を着た女性が悟の手を握りしめて胸へと押し付けてるように映っていた。


 「今回は後手に回らない様に気を付けたのに……。まだまだ足りないかぁ……。悟もなんで断ってくれないかなぁ」


 一人だからと、苛立ちを隠すことなくモニターを睨みつける美海。流れる映像に変化があると、今度は別のモニターに視線を移し、ピンクのヘッドフォンを耳に当てる。


 《………あぁ、髪の毛入っちゃったのか。ミミちゃん髪長いからなぁ。ちょっと短いのも見てみたい気はするが……》


 耳から聞こえてくるその声に、先程とは違い頬を染めた美海は画面を一時停止させると、そのまま風呂場へ直行する。


 途中の部屋で掴んだ鋏を片手に、美海はその長かった髪をゆっくりと切っていく。


 「一応は揃えて………んふっ。仕上げは美容室で整えてもらお~っと」


 そう言って、ニヤニヤと止まらない笑みを浮かべながら、鋏を自分の髪へと入れていくのだった。


 

 



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