第3話 偶然と言ってしまえば必然もまた偶然―②


 喜一に言われるまま、結花と二人で美術館へと向かって歩き始めた二人。


 二人きりになってからすぐ、今回のお見合いはなかったことにしようと言いだそうともしたのだが、流石に早急かと美術館までは付き合う事にした。だが、それでも長居するつもりは無いのでタイミングを見てから言うことにした。


 魚楽庵から徒歩10分程度の距離にある美術館で、自然を題材にした物がメインに置かれている場所だ。そう言った物を扱う関係なのか、美術館の周りは木で覆われ、建物にはなんだか良く分からない木の枝がぐるりと巻き付いている。この美術館で一番人気なのはその長く太い枝を柱や屋根に誘導して作られた木漏れ日が差し込む中庭だろう。


 悟も学生時代に課外授業で一度訪れたことはあるが、改めて中庭を歩くと学生時代とは違った見えるし、思い出補正も乗算で乗る。


 「久しぶりに来るといいもんだな……」

 「悟様はこちらに来たことがあるのですか?」


 呟くように言った一言に結花が訪ねてくる。現在は中庭にあるアンティーク調の長椅子へと腰を降ろしているのだが………結花は椅子を挟んで後ろに立ったままだった。


 自分だけが座っているという罪悪感、さらに話しづらいことこの上ないポジション取りである。


 「昔ね。───それより結花さんも座ったら? ちょっと話もあるし」

 「よ、よろしいのですか?」

 「えっ? ダメな理由とかある??」

 「男は立てるものだと教育されましたので……」


 蓮川家の教えは古風らしいことに驚くが、今の時代に着物を着てくる位なのだがらそういうこともあるのかも……とは思う悟。けれど受け入れる訳が無い。


 「えっとですね、ちょっと気まずいのでせめて近くなくてもいいので横に座ってもらえると……」


 悟の言葉を聞くなり激しく動揺したようで、目はグルグルと回し、顔を赤くさせてモジモジと体を小刻みに動かしている。


 そんな状態で悟の横に腰をストンッと落としたのだが、そこまで気にしなければ座れない結花を見て、悟は思わず笑みが零れた。


 「そんなに硬くならないでいいから。……ちょっと面白かった」

 「そ、そんなに変だった……でしょうか?」

 「ちょっとね」


 顔を真っ赤にしたまま俯いた結花に「これぞ女の子や……」などと思ってしまうが、さっさと断るのが吉なのだ。


 「それで結花さんはなんでお見合いなんかOKしたの?」


 断る話をする前に……と、悟は結花へと尋ねる。

 理由は単純で、結花が綺麗だと思ったからだ。思わず触りたくなってしまう程のサラサラの髪もそうだし、人形の様に綺麗な顔つきも柔らかな雰囲気も、男に好かれるには充分過ぎるものを持っている女性だ。言い寄る男性も多いだろうし、わざわざお見合いする必要がないと感じたから。


 「母がお見合いだなんて言い出した時は私も驚いたのですが、私自身、未だに誰一人お付き合いしたことがなければ ”恋” と言うのを経験したことが無いのです。ですから良いきっかけになるのではと思いまして……」

 「恋……ねぇ」


 人を好きになる感覚や恋に関してまるで分からない悟だが、かといって女性に興味がないなんてことは無く、むしろ思春期全開の時などは見るだけで下半身が暴君になってしまう時がある。


 「……結局あれって止められるやついるのか?」


 思い浮かんだ疑問を思わず口にしてしまった悟に、結花は目を見開いた。


 「悟様は燃え上がる様な恋をされたことがあるんですね……」

 「───っ!? もしかして声に出てたっ???」

 「ええ。……とても羨ましいです」

 「いやっ、そうじゃなくてっ!」

 「そう……なのですか?」


 何を勘違いして燃え上がるような恋に発展したのかは謎だが、まさか暴君の制御ができるかどうかなどと、会ったばかりの女性に言う訳にもいかない。

 そんな動揺のせいか、滑るようにして言葉が吐き出された。


 「そうそうっ、俺も好きな人って出来たことねーなって思っただけ」

 「悟様も……ですか……」

 「でも、結花さんとは違うんじゃないかな……。なんとなくだけど」


 訳の分からない話になってきたと、わしゃわしゃと頭を掻いた悟は椅子から立ち上がり、結花へと手を差し伸べる。


 「まあ、今日は元から顔合わせみたいだし……そろそろ帰ろうか」


 好きな人が出来たことの無い女性であれば、自ら言わずとも悟の事を選ぶことも無いだろうと、さっさと引き上げる事にしたのだ。


 「えっ……あっ、はい。ありがとうございます」


 悟の手に、温かく細い指が乗せられる。

 何気なくその手を掴み、引き上げる………と、顔を真っ赤にさせて俯かせた結花。

 それを不思議に思った悟だったが、女性の気持ちなど考えても分からん……と、出入口に向けて歩き出すと───。


 「あっ……」


 悟がほんの二三歩踏み出した瞬間、躓いた結花が声を漏らす。その声に引き摺られるようにして振り返った悟。ポフっと、結花の頭が悟の胸に埋まる。

 胸元に感じる熱と香り。ミミと出会った時に感じた化粧の匂いや香水などの香りでもなく、爽やかなシャンプーの香り。偶然にも女性を抱き締めている姿勢となってしまい、それはやたらと生々しさを感じさせた。

 

 「……だ、大丈夫?」

 「………スンスン」

 「…………結花さん?」

 「…………っ! は、はいっ、大丈夫です。申し訳ありません」

 

 悟の胸を優しく押しながら体を離した結花が丁寧に頭を下げるのを見て、もう一度出入口へと向かって歩き出す。


 ────歩き出したのだが。


 「きゃっ───」

 「おっと」


 「あっ……」

 「……大丈夫?」


 「はんっ………」

 「…………」


 出入口に向かうまでの間、計6回も躓き、真っ赤な顔をして悟の胸の中に倒れ込む結花。

 急にドジっ子になった結花を疑問に思いながらも、その日は美術館の前で別れる事にしたのだった。



 ◇◆◇◆◇



 美術館で悟と別れた後、結花はその場に立ち尽くしていた。


 「………このドキドキは何でしょうか?」


 そんな事を呟いていると、目の前に一台の黒塗りの車が止まる。


 「結花、終わったみたいだな。さあ、家に帰ろう」


 車の窓から顔を覗かせたのは結花の父である喜一だった。


 喜一は「若い者に任せて……」などと言ったが、そんな考えは微塵も持っていない。なぜなら娘のことがLOVEだからである。

 それにも関わらず、大好きな娘の誕生日のプレゼントを考えている時、結花から「恋愛がしてみたい」と言われた時の喜一の苦しみは例えようがなかった。

 そんな娘に変な虫がつかれても困るので、後輩の雄三のことを思い出した直後にセッティングした訳だが、結局は見ず知らずの男。大事な娘を預けるなどというリスクは背負わない。

 だからこそ今日の為に美術館を貸し切りにしたし、その中で働くスタッフから客まで、全てがエキストラである。今も内部からの連絡で結花を迎えに来た次第だ。


 結花も何度も似た様な状況を体験しているからこそ、悟の隣に腰を降ろせたのだが、もしも父が雇ったエキストラでもなければ、恥ずかしくて座ることことなどできなかった。


 「父様、ありがとうございます」


 そう一言声を掛けて車へとの乗りこんだ結花は、すぐに父の胸元へと顔を埋める。


 「どうしたんだ? 結花?」


 さも不思議そうに聞いてはいるが、顔はこれ以上ないくらいににやけている喜一。


 「………スンスン」


 父の質問に答えることなく距離を取り、サッとシートベルトをする結花。


 「やっぱり違いますね」


 その声を聞いて隣で灰になった父を見ることなく、結花の乗り込んだ車は走り出したのだった。

 



 


 

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