第2話 偶然と言ってしまえば必然もまた偶然―①
───翌日、ガンガンと痛む頭を支えながら、着慣れないスーツに袖を通した悟は《
魚楽庵は地元では高級料理店に入る立派な和風のお店で、ただの平社員である悟だと、賞与でも貰わない限り縁のない場所だ。そもそも、何かを食べるなら気取っている店よりも定食屋を好むタイプだ。例えお見合いでタダ飯が食えるからといっても、気が進むことはなく、その足取りは重かった。
魚楽庵へと足を踏み入れると、店員さんの案内で向かった先の襖を開ける。座敷部屋の下座には既に悟の両親が座っていて、悟を見るなり手招きした両親に従って横に腰を降ろすことにした。
普段からまったりとしている父──
機敏な動きで美樹が襖へと向きなおる。
まったりとした性格の父は顔だけで襖に振り返る向けるだけ。
悟は一応は主役なのだから………と、母を見習うことにして体ごと襖へと向けた。
襖が開くと、優しい笑みを向けた一組の家族。恰幅の良いおじさんと、着物姿の良く似合う年齢不詳の母親と思われる女性、もう一人の両親の後ろに佇む女性は母親より若干身長は低いものの、纏っている雰囲気や優しい笑みはどう見ても母親譲りだろう。
「この度はご足労頂きまして、有難うございます」
悟の母が畳に額をこすりつけるように深く頭を下げる。
「ああ、古蔵の奥さん。そんなに気を張らないでください。それに今日の主役は子供達ですから」
言いながら、相手側の家族も相向かいへと腰を降ろすと、恰幅の良いおじさんが悟の父にいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「それにしてもひさしぶりじゃないか、ゆう」
「驚いちゃったよ~、きーさん、いきなり電話寄こしてくるんだもん」
「いや~昔から馴染みのあったお前の子共の年齢がうちの娘と近いってのを思い出してな~。大切な娘だ。変な男に引っかかる前にお見合いの一つでもしてもらおうと思ったんだ。せっかくなら知り合いの方がまだ納得がいくじゃないか」
「昔っから思ってたけど、きーさんは子離れできないタイプだぁ~」
「お前みたいに雑じゃないってだけだよ」
がははは──と大きな声で笑うおじさんと父。悟以外の皆がクスリと笑みを浮かべる中、悟だけが話しに付いていけずにキョトンとしてしまう。
見ている限りで分かるのは、昔から家族ぐるみで付き合いがあるくらいなもので、それだけだ。
「お話中にすみません、まずは挨拶をさせてください。───古蔵 悟 22歳です」
自己紹介をすれば相手の名前くらいは聞けるだろう、そう考えた悟は間を見て自己紹介を済ませることにした。
居るだけというのも苦痛ではあるが、両親たちが盛り上がりすぎて帰る時間が遅くなるのもメンタルがやられる。ただでさえ、二日酔いで痛む頭なのだから可能な限り早く終わらせて家に帰るのが一番の理想なのだ。
「これはこれは……。そういえば悟君と会うのは初めてだったね。───私は
喜一の紹介で会釈をする理江と結花に悟も軽く頭を下げる。
「───これで自己紹介も済んだことだし、とりあえず飯でも食って……その後は若い二人に任せると言った感じで大丈夫かな?」
「はい(できれば飯だけでよかったけど……)」
そんな心の声を口にする訳にもいかず、もう一度頭を下げながら答える悟。それを見て喜一が店員を呼び出すと、あれよあれよという間にテーブルに料理が運び込まれてくる。
魚楽庵の名の通り、新鮮な魚料理のオンパレード。船盛から生け作りなど、始めて見る悟は目がパチクリとしてしまう。そのせいで喜一には微笑されたが、すぐに「遠慮せずに食べてくれ」と言われ、箸を手に取った悟の口の中は涎がジュワっと溢れてくるのが分かった。
最初は初めて食べる魚介の数々に舌鼓を打つばかりだったが、腹も落ち着いて来ると料理ばかりではなく、周りにも視線が行き渡るものだ。
雄三と喜一はおちょこ片手に昔話に花が咲き、母と理江も世間話に花を咲かせている。少しばかり母の口調が丁寧過ぎるのが気持ち悪くなるのだが、父の知り合いなのだから母なりに気を使っているのだろうと、そこは見なかったことにしておく。
そして悟と結花の場合はというと、悟が魚介に夢中だったのもあってか、結花が悟に笑みを向けているだけだった。
何か話をした方がいいのだろうか……と、一瞬悩んでしまう悟だったが、結局断るのだからわざわざ空気を読んでまで気を使う必要もないだろうと考え直し、更に魚介に手を伸ばすことにした。それに構わず終始悟に笑みを向けてくる結花に気まずさを覚えてしまうのだが。
その気まずさもあって、悟はトイレに行くと告げると、なぜか後ろにぴったりとくっついて来る結花。
───なんで?
たださっきまで話さなくてもいいやと、一度も会話をしていないから、いまさら何を話していいのかも分からなかった。
そのまま一言も喋らずにトイレの前まで向かう──と、トイレまであともう少しというところで、反対側の通路から一人の女性が歩いて来るのが見て取れた。
どこか見覚えのある様な無い様な……などと考えてしまうと、トイレに向かっていた足が自然と止まり、視線はそちらに吸い込まれていく。
相手も悟の視線に気づいたのか、二人の視線がぶつかった瞬間───。
「あっ、お兄さんっ!」
長い金髪を揺らしながら笑みを浮かべた女性が悟に向かって駆け寄って来る。だが、悟に妹などいる訳もなく、もとから女子の知り合いが少ない。そんな悟をお兄さんなどと呼ぶ知り合いは一人しかいないのだが、外見があまりにも違った印象だった。
「えっ、もしかしてミミちゃん??」
昨日キャバクラで出会ったばかりのミミ。昨日見た時の様に髪は重力に逆らわずにストレート。化粧も薄く、ツンッとした香りも殆どないし、目の周りもラメっていない。それに当たり前ではあるのだが、ナイトドレスでもなくてジーパンと薄手のTシャツ姿だ。
「こんなところで会うなんて偶然ですね。今日はどうされたんですか?」
ミミは笑顔を向けながら軽く傾けた。
「ほんと偶然だな……。今日は両親からの勧めでお見合いに来てるんだ。ミミちゃんは??」
「昨日のこともあってお店の方が『たまにはゆっくりしなさい』なんて言って予約を取ってくれたんです。お店からは《彼氏とでも行ってこい》なんて言われたんですけど……彼氏なんていないし、だからと言って他の男性を誘う気にもなれなかったんで……。お兄さんが空いてれば誘ったんですけどね?」
覗き込むミミに女子抵抗値0の悟は頬が赤くなる。だが、それは飽く迄もその場に居合わせたとか仕事の延長線上であって、特別な言葉ではないことはすぐに理解した。
「(これが………営業っ)」
悟の頬が赤くなったのが面白かったのか、ミミはクスリと笑った直後にスマホを取り出して悟へと向ける。
「そういえば連絡待ってたのにまだ来てないんですけど~? 罰として、これに入れてくださ~い」
QRコードやSNSの代表格である”ルイン”であればもっと簡単に連絡先の交換ができるにも関わらず、なぜか電話帳に直接入力という手段を取るミミ。
その行為の裏には様々な意味も含まれてはいるが、悟がそのことに気付くことは無く、断る理由も特に思いつかずにミミから受け取ったスマホへと自分の連絡先を入れていく。
満足げに悟るから受け取ったスマホをしまい、手を振って去って行くミミを見送った悟はトイレへと入って行く。
出す物を出している間、悟は先程までのミミとのやり取りを振り返っていた。
昨日の今日での偶然。なかなかに運命じみたものを感じなくはないのだが───。
「一緒に居れば楽しいんだけど……。それって好きとか恋じゃねーよなぁ……」
ふぅーっ、と息を吐き出してからトイレを出ると、すぐ横には結花が立ち竦んでいた。
「それでは参りましょうか?」
「あ、あぁ……えっ?」
笑みを浮かべながら悟に声を掛けてくる結花。戻る場所が一緒なのだから当たり前なのだが、どうにも監視されている様な付き纏われている様な気がして落ち着かない。
両親の待つ部屋に辿り着くと、悟と結花が座るよりも早く立ち上がって喜一が悟へと視線を向ける。
「さて、私たちものんびりとさせて貰ったし、後は二人でここにでも行ってから帰って来なさい」
そう言って喜一が悟へと渡したのは何かのチケットの様で、受け取ったチケットを眺めると近くにある個人でやっている美術館のチケットだった。
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