第5話 偶然と言ってしまえば必然もまた偶然-④
週末、悟は戸梶の誘いを断り、急いで帰路についていた。
息を切らしながら帰宅すると、烏の行水のようにシャワーを浴びて汗を流し、きっちりと歯を磨く。
タオルで叩くように体を拭いた悟は息つく暇なくスーツに腕を通すと、今度は必要最低限の物だけを手にもって家を飛び出した。
その後も電車やタクシーを乗り継ぎ、悟が向かった先は都内にある有数の高級ホテルだ。
だが、中へ入るのではなく、一度を襟を正すとロータリーで何かを待つように立ったまま、その場を動かずにいた。
しばらくして、一台の車がロータリーへと入ってくる。
普通車二台分くらいの長さで、外からは中が見えない黒塗りの車。それが悟の前にゆっくりと止まると、ドアが開いた。中から出てきたのは一人の女性だった。
「悟、急に呼び出してごめんなさいね」
「いえ、俺も久しぶりに会いたかったっす」
漆黒のドレス……と言うにはトークハットのベールが葬式を彷彿させてしまうのだが、気にするようなこともなく悟の横に並ぶと、女性は悟側の肘を少しまげて腕で三角を作る。
「こういうのも久しぶりっすね……」
「ふふふ、そうね」
悟が女性の作った三角の部分に自分の腕を通すと、女性は笑みを浮かべた。
そのまま悟がエスコートする様な形でホテルの中へと足を進めていく。
高級ホテルと呼ばれるような場所には大抵、VIP専用の場所があったりする。ホテルによって様々だが、レストランにある個室だったり、完全会員制のBARだったりだ。
そして悟たちが来たこのホテルには、特殊な会員証をカウンターで見せるとBARへと案内される。悟はもちろんそんな物は持っていないが、腕を組んでいる女性がカウンターで出した金の硬貨の様な物を提示した。それを見たスタッフが慌てたように二人を案内したのだ。
二人を乗せたエレベーターは地下へと進んでいき、辿り着いた場所は先程までいたロビーとは違った雰囲気の場所で、上品と言うよりはオシャレなバー。ただVIP専用と言うだけあって、飾られている絵画や花瓶などからはBARの雰囲気の中でも、それなりの主張をしていた。
その中を横見もせずに進んで行き、中二階にある席へ辿り着く。
女性は近くのソファーへと腰を降ろし、悟はその横に、人一人分の感覚を開けて腰を下ろした。
「………あなたね、なんで距離を開けたの。話しづらいでしょ?」
「えっ、いや、なんかすいません」
「あなたと話したくてここに来たの。そんなところじゃなくてちゃんと私の隣に座りなさい」
若干の気まずさを感じながらも悟はお尻をずらし、それを見て満足げに頷いた女性は、近くのスタッフを呼びつけてドリンクの注文を済ませる。
再び戻ってきたスタッフの手には青く透き通ったカクテルが入ったグラスが二つ、二人の前にへと置かれると、女性はカクテルを手に持って悟へと向ける。
「それでは久しぶりの再会を祝って」
悟の前に置いてあったグラスへと軽く当て、小気味良い音を響かせながら言った。すぐに悟もグラスを持ち、隣の女性へと傾ける。
女性はその姿にクスリと笑みを零し、カクテルを口へと運ぶ。
悟も女性がカクテルを口に運んだのを見て、手に持ったグラスを口へと運んだ。
カクテルの水面に浮いている月型のレモンを避け、口の中へと少し流し込むと爽やかな甘さとピリリとしたアルコールが喉を熱くする。
「それにしても……だいぶ変なカクテルを頼みましたね?」
今二人が飲んでいるカクテルは【ブルームーン】。ひと昔前は ”ありえない月” とも呼ぶ人もいたらしいカクテル。
それを教えてくれた女性がそのカクテルを頼んだのだから、悟としても聞かない訳にはいかなかった。
「それはそうでしょ? わざわざ私の護衛を辞めてまで工場に就職するんだもの。さすがに恋愛の一つや二つはできたんでしょ??」
昔、悟の父が事業失敗と共に背負った5億の借金。
商売だと言えば銀行も最初は金を貸してくれるが、返済が滞れば貸してくれはずもなく、追い詰められた父は闇金の甘い言葉に騙されて手を出してしまっていた。
返す当ての無いその借金を返済する為、闇金が目を付けたのは中学生になったばかりの悟だった。なんでも、裏稼業を中心に行われる賭け事の一つに闘技があり、若く成長期であるなら見込みもあるだろうと紹介されたのだ。
もちろん最初は乗り気ではなかったけど、若さゆえのあまり余った力と、現実問題として逃げ場のない状況。さらに15アンダーの試合ではどちらかと言えばスポーツ的なノリらしく、更に学校は通えるとのことで決めたのだ。
ダーカーズと呼ばれるその闘技大会では、参加だけでもそれなりの金額が支給され、勝てば跳ね上がる。
そんな世界で出会ったのが、悟の目の前に座って笑みを向けている女性───凛華。
凛華はダーカーズだけでは安定しないだろうと、護衛としての仕事を紹介してくれた。そのおかげで返済も中学1年の頃から始め、高校2年になる時には完済することが出来た。
多少なりとも危ない橋を渡る羽目になったのも事実だが、借金を返済し終えたあとも「将来の為にお金はあった方がいいわよ?」と女性の言葉に甘え、バイトという形で雇ってもらっていたのだ。
「いやぁ、それが………恋ってどうすればできるんですかね?」
一瞬目を見開いた女性だったが、すぐに目を細め、悟へと体を寄せた。
「それなら………私が教えてあげましょうか?」
悟の顎を摘み、自分の方へと向ける女性。悟はその眼前に見える女性の顔をまじまじと見つめる。
魅惑を目一杯に詰め込んだ瞳。腰よりも更に下まで伸びた長くウェーブした髪が悟の頬を撫でてくすぐったい。だが目を逸らせば大きく開いた胸元から覗く、女性特有のふくらみが視界に入ってしまう。
「いや、遠慮しときます。凛華さんの場合、恋っていうよりは………」
下僕、奴隷、食物。
そんな言葉しか思い浮かばなかった悟の表情に、何かを感じたであろう凛華は頬を膨らませ、「もうっ」と声を漏らすと悟の顎を離し、カクテルを一気に煽って空にする。
「悟の為だと思って身を引いたのよ? それが4年も経ってまだ恋愛の一つも出来てないなんてねっ」
「いや………ほんと。自分で言うのもなんですけど、こんなに恋愛が難しいとは思ってなかったです」
スタッフが凛華の空いたグラスを下げ、代わりのグラスを置いていく。今度はすみれ色のカクテルだった。
それを見た凛華がグラスを手に持つと、嫌そうに中身の液体へと視線を注いだ。
カクテルの名はバイオレットフィズ。” 私を忘れないで ”………なんて言う人もいるカクテルだからだ。
「いい腕してるのに………相変わらず口数の多いバーテンダーね」
「へぇ…、それはなんて言うんですか?」
「そうね………悟にはまだ早いかしら?」
一口含み、グラスを眺める凛華。
グラスを眺める姿は、どこか過去に思いを馳せている様にも見えた。
悟もそれを見て、凛華の横顔から視線が外れなかった。
「(俺はこの人がいなかったらどんな人生歩んでたんだろ………)」
命の恩人………とは違うが、それでも悟の人生の中で、誰の影響を一番受けたのかと聞かれたら目の前の女性の名前を出す。それくらい悟にとっては深く導いてくれた人だから。
感慨に更けていると、ハッとした様子の凛華が悟へと顔を向けた。
「そういえば私に妹がいるのは知ってたわよね?」
「ああ……確か俺より下の妹でしたっけ?」
「そうそうっ、最近お見合いなんかしたらしいのよ。まあ、相手のこと気に入ったらしいからいいんだけど……やっぱり可愛い妹だから少し心配ではあるわね」
「俺より年下でお見合いっていうのも不思議な感じですね………って俺もあんまり人のこと言えないんですけど」
「えっ? もしかして悟もお見合いなんかしてるの?」
「ええ、まあ。俺のこと心配してくれてる両親の方に話があったらしくて、それで最近会ったんですよ」
「もしかして破談になったの?」
「いえ……破談って訳じゃないと思うんですけど、好きかどうか確認したいって言われて番号交換したばかりです」
言いながら頭の中で結花の言葉を思い出していると、美術館といい、手を引かれた時といい、どうしても感触までが鮮明に蘇ってしまい、そこまで酒を飲んでいないにも関わらず頬が熱くなっていく。
「………ねぇ悟。その子の名前なんて言うの?」
凛華の声音が変わり、我に返った悟が凛華を見ると、真剣な表情で悟のことを見ていた。凛華の仕事時代にも似たような表情で話をすることもあったが、そういう時はいたって真剣な話のはずで、なんで自分のお見合いの話でこれだけ凛華が食いついているのか分からずに動揺してしまう。
「えっ、えっと……ゆ、結花さんって人です」
「……それって、こんな子?」
悟の言葉を聞いても真剣は表情を崩さない凛華は、持っていたポーチから自身のスマホを取り出すと一枚の画像を悟に向ける。その画像はぴったりと肩をくっつけあい、ピースをしている二人の女性で、片方は黒のドレス、もう片方は和服とアンバランスな組み合わせだった。
「………なんで凛華さんと結花さんが?」
「………私の妹だからに決まってるじゃない」
凛華───もとい、蓮川 凛華は、ダーカーズの様な裏の場所にも顔を出し、様々な分野で資産を形成している女性。そして悟の恩人でもある。
「………俺、どうすればいいんすか?」
「………どうしたいのかしら?」
「いや、えっ、ていうか冗談じゃなくてですか?」
「冗談な訳ないでしょ。………悟のことを気に入ったのね……あの子は」
眉を寄せた凛華。
頭の中が真っ白になった悟。
しばらく黙ったままの時間が続くと、先に口を開いたのは凛華だ。
「悟、今の給与は?」
「………年収で300万って感じです」
その声に凛華はさらに表情を曇らせる。
「妹の───結花の年収は2億よ?」
真っ白な頭の中に【2億】という文字だけがでかでかと輝いていた。
「………俺の聞き間違いっすか?」
「聞き間違いじゃないわ。もとから私たちの両親が行っていたいくつかの事業を引き継いでいるの。それで私は父の事業を、結花は母の事業を……ね」
「……まじっすか? だって結花さん俺より年下なんですよね?」
「そうよ、今年で20歳になるわね」
「oh……」
「………で、悟は私たちみたいな人間じゃなくて、普通に恋愛したいから護衛を降りたんでしょ? これであなたの望みは叶うの?」
22歳、童貞、彼女いない歴イコール人生。
だからこそ、好きな人を自分で見つけて恋愛をしてみたいと凛華に頼んだのが4年前。
護衛をしながらでは、自分の時間などないのと同じで、仮に恋人ができたところでデートなどする暇もなかったから。
「いや……今はちょっと混乱中です」
「……まあいいわ。まだ正式に付き合ってるわけでもないのだし。………でもそれがいいなら私が貰ったって同じだったじゃない」
「えっ、なんて言いました?」
「なんでもないわよ。それより………今日は飲むわよ?」
「………そうっすね。とことん行きましょうか」
そうだ、あとで考えればいいんだ───と。悟はグラスの中身を一気に飲み干したのだった。
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