私だけのヒーロー
長月瓦礫
KAC20228
私だけのヒーロー
蝶は気まぐれだ。花から花へふらふら飛び回る。
人はそれを美しいと思う。だから、虫網を振りかざし、かごに入れてしまう。
昔々、自由の象徴であるはずのそれを大量に捕まえて、自慢する馬鹿がいた。
その馬鹿が馬鹿を呼んで……まあ、全員まとめて捕まえたわけだけど。
蝶を捕まえていたら犯罪者扱いされて捕まるなんて、なんとも皮肉な話だ。
ただ、黒と白のまだら模様の羽は忘れられない。本当に美しかった。
もう二度と見られないだろうと思う。
蝶を住処に戻して、誰も入られないように結界を張ったからだ。
昔々のそのまた昔のこと。私ですら、忘れていたことだ。
「退魔師……ですか? こちらにはおりませんが」
「あれれ、おかしいな。こっちから退魔師さんの力を感じたんだけど」
「あの、お名前をうかがっても?」
「わたしね、チェルシーっていうの。退魔師さんにね、助けてもらったんだ」
墨で塗りつぶされたような黒髪に白い肌の少女がいた。
左目の下にほくろが三つ並んでいる。蝶の一族である証だ。
私だけが知っていることだ。
「それって、いつ頃のことでしょう」
「んっとね、ずーっと前のこと」
「ずーっと……ですか」
彼女の適当すぎる表現に頭を抱えていた。
見た目が出会った時と何一つ、変わっていない。
それが蝶の一族の持つ異常性だ。不老不死という単語が一番近いのだろうが、それでも足りない。いくら老けない死なないと言っても、時間の流れには逆らえない。
蝶の一族は時間の概念を持たない。原理は分からない。
絵画の世界の住民のように、その中の世界でしか生きられないのだ。
「あっ、退魔師さんだ! よかった、もう会えないかと思った」
私の顔を見るなり、駆け寄ってきた。
時間の流れを感じられないから、私のことを退魔師と呼び続ける。
あの日あの時あの瞬間に囚われ続けている。
「お知合い、ですか?」
「……そう、だな。二人きりで話したいから、人払いをお願いしてもいいかな」
「かしこまりました」
深く追求せず、丁寧に頭を下げただけだった。
少しだけありがたく思いながら、彼女を私の部屋に通した。
𝄽
蝶の一族は屋敷の地下に閉じ込められていた。
蝶の羽が生えた死体が転がり、部屋中が死臭で満たされていた。
生きている間は収集家たちに愛でられたり、死んでいる間は標本にされたり、奴隷よりもひどい扱いを受けていた。
少女は死んだ家族を見下ろしていた。
ぴくりとも動かない彼らの手を握りしめていた。
彼らに時間の概念はない。だから、死んでいることすら分からない。
「あなた、だあれ?」
「君たちを助けに来たんだ。ここに閉じ込められている人がいると聞いたから」
「わたしもどこかに行っちゃうの?」
「どこにも行かないよ。おうちに帰ろう」
「おうち? どこにあるの?」
「大丈夫、私が連れて行く」
私は手を差し出し、彼女はその手をとった。
数少ない生き残りを連れ出し、彼らの住処へ向かった。
死体は埋葬され、何度も祈った。
時間の枠に囚われなかった彼らにも幸福が訪れるように、神へ祈った。
それで終わった。終わったはずだった。
彼女は私の前に現れた。
少女の背中に黒い傷跡が二本あった。蝶の羽が生えていた場所だ。
羽はどうしたのだろうか。
「どうしたの? 退魔師さん」
「私はもう退魔師じゃないんだよ。
ほら、前に名乗ったでしょう。リヴィオ・アメリアって名前なんだよ」
「退魔師さんは退魔師さんでしょう? それじゃダメなの?」
何を言っているのだろうかと、少女は首をかしげる。
時間が止まっているから、情報を更新できない。
いくら名乗っても無駄なのは分かっているが、それだけは譲れない。
退魔師とはずいぶんかけ離れた存在になってしまったからだ。
「あのね、結界が壊れちゃって、みんないなくなっちゃったの。
でも、お外に出られるみたいだったから、退魔師さんに会いに来たんだ!」
「結界が壊れた?」
確かに誰かが定期的に点検しなければ、効果は持続できない。
蝶の一族を解放した時は、あの結界を守護するよう取り決めをしたはずだ。
彼らを外に出してはならないと、そう決めたはずだ。
どこかの組織が管理しているとばかり思っていた。
取り決めが破棄されたという話は聞かなかったから、誰かが破壊したのだろう。
昔々のことを知らない愚か者によって、彼らは解き放たれた。
時間の概念を持たない彼らは、この世界では生きられない。
私はその場で崩れ落ちた。あれだけ厳重に保護するように言ったのに、あっさりと破られるだなんて思わなかった。
「退魔師さん、どうして泣いてるの?」
彼女は私の背中を優しくさする。私にだって分からない。
「もしかして、羽がないから泣いてるの? 退魔師さんは全然悪くないよ。
お金と交換してくれるっていうから、少しずつ渡していったの。
お空を飛べなくても、ここまで来られたんだよ。すごいでしょう?」
ああ、こうやって価値も崩れていくんだ。黒と白のまだらの羽は、二度と現れない。
彼らにとって何よりも重要なものであるはずなのに、ほんの小さなきっかけですべて失われてしまう。
「だからね、退魔師さんは泣かなくていいんだよ」
あれだけ必死こいてやったことがすべて水の泡となったからか。
永遠に続くと思っていた平和が終わってしまったからか。
それとも、あの痛々しい背中の傷を見てしまったからか。
ああ、涙が止まらない。
分からない。分からない。
彼女は時間の流れが分からない。
それがどれだけ残酷なことか、彼女には分からないのだ。
私だけのヒーロー 長月瓦礫 @debrisbottle00
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