第三十五話 最悪の知らせ
イーサンがローズを連れて家へと戻ってくると、中はしんと静まりかえり誰もいなかった。先に入ってリビングをそっと覗きこんでいたローズが、振り返って首を傾げている。
「みんなおでかけ?」
「そうみたいだね」
それならちょうどいい。ローズが、エリシャがまだ怒っているんじゃないかとびくびくしていたのだ。頭を冷やすのに外にでも出たのだろう。ローズの方も誰もいない事で安心したのか、クリスマスマーケットで買ってやった金のベルのオーナメントをくるくると回してご機嫌そうだった。
「うわ、なんだこれ」
水でも飲もうとキッチンへ向かったイーサンは、思わず声を上げる。冷蔵庫に入っていたミルクやら飲料水が全部庫外にぶちまけられ、キッチンが滅茶苦茶になっていた。
「先生か? なんて質の悪い……」
酒でも探して、めぼしい物がなかった腹いせにでもやったのだろうかと呆れながら、彼はせっせと汚れたキッチンを片付けた。
片付けも終わりウィリアムの迎えを待っていたが、しかし一向に帰ってくる兆しがなかった。次第にローズがぐずりだし、早くツリーの飾りつけをしなきゃクリスマスになっちゃうわ!と文句を言い始める。イーサンはなんとかそれを諌めようと努力したが、そこから一時間経っても帰ってこないのにとうとう説得も効力をなくし、急かすローズに押されてツリーの飾りつけをしにいく事になった。ウィリアムに渡された合鍵を使い、ローズと一緒に下の階へと下りていく。
初めて入った親子の家は、自分の家と比べるとずっと狭くて散らかっていた。靴箱に入った靴はどれもくたびれているし、朝食の皿はまだシンクの中に入ったままだ。廊下の壁はところどころに落書きの跡や剥がれた箇所があったし、並んでいる家具はどれも安物で古い。リビングにあった棚にはベタベタとキャラクター物のシールが貼られていて、その上には家族写真が乗っていた。緑の目をした線の細い美人の写真の横に、父親に肩車をされてご満悦な様子のローズの写真が並んでいる。その上には父親と女の子を描いた拙い絵が飾られていて、二人の周りにはハートが乱舞していた。そんな見慣れない光景に、イーサンは興味を引かれて目を奪われる。が、待ちきれないローズに無理やり手を引かれ、そこから引き剥がされた。
クリスマスツリーの素体はすでにリビングに出され、準備されていた。幸いな事に二人が集めたガラクタオーナメントは捨てられてはおらず、一つ一つに紐を括り付けて、二人はツリーに飾っていった。その間に二度、家の固定電話が鳴ったが、家主に断りもなく出るわけにもいかなかったので無視をした。
そうこうしている間にツリーは出来上がり、ハイタッチをして二人は完成を喜んだ。が、夕方になってもまだ、ウィリアムは帰ってこなかった。
するとまた、家の固定電話が鳴りだす。イーサンはさらに無視したが、切れた電話はまた十分後に鳴りだした。読書をしていた手を止め、棚の上に置かれた電話を睨む。
「……諦めの悪い。こんな祝日に電話をかけてくるなんて、一体何の用事があるっていうんだ?」
「もしかしてパパかもしれないわ。イーサンの家にはデンワがないもの」
言われてみて、なるほど、と思った。それなら悪い事をしたかもしれない。
次に鳴った時にようやく、イーサンは受話器を取った。
「はい」
普段、電話に出るという習慣がないので短くそれだけ言う。てっきりウィリアムの声が聞こえると思っていたイーサンは、しかし見知らぬ声の主に姿勢を正した。相手は慌てた様子で、しかし短い用件を簡潔に話してくる。イーサンは言葉少なに、相手の声にただ耳を傾けていた。
受話器を置くと、彼はすぐさま自分のコートを取りに走った。
「だれからだったの?」
「ウィルの会社の人間だ。ローズ、すぐに上着を着なさい」
一緒に取りにいったローズの上着を、彼は有無を言わさず着せていく。その粗い手付きに腕を通すのも難儀しながら、ローズは尋ねた。
「どこか行くの?」
険しい顔をしたイーサンが、早口にまくし立てる。
「病院だ。ウィルが事故に合った」
初めに見たのは、緑のカバーを被せられた台だった。長方形の、人一人分が横になれるだけの大きな台だ。
「本人確認をお願いできますか?」
警察手帳を見せた後、スーツの男はそう言った。安置部屋の前で立ち竦んだイーサンの足下を、男はちらりと見やる。
「……小さな子には、少しショックが大きいかと」
「…………あぁ」
焦点の合わない目で彼が返事をすると、先ほどまでずっと静かだったローズが急に台へと駆けだしていった。イーサンが捕まえようとした時にはもう遅く、彼女は小さな手を緑のカバーへと伸ばし、それを引き下ろしてしまった。
ひっと小さな悲鳴を上げ、ローズは手を放す。イーサンが慌ててローズを抱きあげ、その目を覆い隠した。あまりのショックに、ローズは泣きじゃくり始めてしまう。
「……顔は、分かりそうですか?」
イーサンでさえも直視を続けるのは難しく、ちらりと視線をそちらに向けるだけにする。見るも無残なウィリアムの姿に、息を飲んだ。
かろうじて判別できたのは、顔半分だけだ。髪の色と瞳の色、今朝着ていた服は、まさしく彼のものだった。
「……間違い、ありません」
「パパじゃないわ!!」
腕の中で、ローズが声を張り上げる。
「パパじゃない! パパはサンタさんにおてがみをだしにいったのよ! かえったらいっしょにケーキを食べるってやくそくしたんだから……!」
「ローズ……」
「パパじゃ、ないったら……!」
そのままイーサンの胸に顔を埋め、ひんひんと泣き声を上げる。スーツの男は気まずそうに眉を寄せたまま、彼の親族に連絡を入れられないかと尋ねてきた。
「ウィルは、両親とは縁を切っているんだ……」
「それでも連絡はしないとならないんです。どうにか分かりませんか?」
「……どうだろう。一度、家に戻って確認してみないと……。だから、今日はもう……」
男はイーサンの抱えた少女へと目を向ける。
「その子は?」
「今日のところは僕が……。ベビーシッターなんです」
「そうか……、それじゃあ頼んだよ」
事故当時にウィリアムが所持していたという紙袋を受け取り、イーサンは病院の前でタクシーを拾うと家路への道についた。
タクシーに乗っている間、ローズはずっとイーサンに抱きついて離れなかった。イーサンはただ、その背中を擦ってやる事しか出来なかった。
「……痛いの痛いの、飛んでけ」
いくら呪文を唱えても、ローズの泣き声は家に着くまで止まる事はなかった。
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