第三十四話 最期の想い

 無事に買い物を済ませたウィリアムは、街中を歩きながら手にした紙袋の中を覗きこんだ。中には赤い袋に緑のリボンが付いたクリスマスプレゼントが、歩く度にがっさがっさと音を立てている。さて、これをどうやってローズにばれないよう家まで持って帰ろうか。隠し場所はキッチンか、それともクローゼットの上段か……。明日の朝にプレゼントを発見した時の娘の顔を想像すると、ふにゃふにゃと頬の筋肉が緩んで仕方なかった。それを無理に我慢しようとしたせいで、すれ違った婦人に怪訝な目を向けられてしまう。……いかん、いかん。

 荷物は増えたが、ウィリアムの足取りは軽い。今日のイーサンには特に感謝しないとな、などと考えていると、彼の腹の虫が盛大に鳴った。……それにしても腹が減った。思えば午前から昼過ぎまでプレゼントを探し回っていたせいで、今日はランチも取らずにこの時間まできてしまったのだ。ウィリアムがきょろきょろと辺りを見渡すと、交差点の脇にホットドックの露店を出しているのを見つけた。よし、今日はこれで済ませてしまおうか。彼はそちらへ足を向ける。


「コーヒーとホットドックを一つ」

「はいよ」


 店主は手慣れた手付きでパンにソーセージを挟み、コーヒーを用意してくれる。それを手渡しながら、お疲れ様だねぇサンタさん、とウィリアムに声をかけてきた。彼の足元に置かれた紙袋を見て言ったのだろう。受け取ったコーヒーを飲みながら、ウィリアムは照れ笑いを浮かべた。

 妻を亡くしたのは冬の寒い日だった。こんなコーヒーの染みる日を昔は嫌っていたけれど、ローズと過ごすうちにこういった日も悪くないなと思えるようになっていた。娘は冬の寒い日の過ごし方をよく知っているのだ。寒空の下で息を吐き出しドラゴンの真似、夜中に飲むホットココアの味、冷たい指先を人にくっつけて遊んだりなど、それらは全て、彼女が教えてくれた事だった。

 コーヒーのおかげだけではなく、じんわりと胸が温まっていく。幸福な気持ちでもう一口飲み、ふいに視線を向けた先に、ウィリアムの目をひく物があった。

 二車線の道路を挟んだ向こう側の歩道、その先に続く路地から、ひょこんとツノ付き帽子が覗いている。


「……ローズ?」


 悪魔のツノが生えている変な帽子だ。あの子以外に被っている子なんているわけがない。でも、今はイーサンが見てくれている筈では……? 考えている間に、車が目の前を通りすぎ、その一瞬でツノ付き帽子が視界から消えてしまった。

 はっとして、ウィリアムは駆けだした。


「すみません、荷物見てて!」


 まさか、そんな、ローズなわけない。……でも、もしかしたら。

 万が一を思い、確認せずにはおれなかった。こんな車通りの多い道で、あの子が一人で歩いているなどありえない。それでも考えれば考えるほど、嫌な想像が浮かんでしまった。

 外出でもして、イーサンとはぐれたのか? そういえば、今日は嫌がる彼に無理やり娘を預けたのだ。彼が目を離した隙に、悪戯好きの娘が逃げだしていたら?

 そんなもしかしたらの想像は止まらなかった。道路を半分渡り終えた所で、また建物の角からひらひらと帽子が現われる。

 ほら、やっぱりあの子の帽子だ!


「ローズ!」


 見えたのは、ちょこんとしゃがみ込んだワンピースの女の子だった。その子が立ちあがって振り向くと、長い金髪の髪がひらりと揺れる。その子の目を見た瞬間、――


 ――胸倉を引き寄せられたような感覚がした。


 体が動かない。その子の瞳から、目が逸らせなかった。駆けだしたおかしな格好のまま、びたりとそこで足が止まってしまう。

 なんだ、これは?

 少女はにっこり笑ったまま、ウィリアムをじっと見つめていた。その黒赤の瞳から目が逸らせない。一体何が起きているのか、彼の体はぴくりともせず、困惑の渦が頭の中で回った。こんな事はありえないはずだ。

 ……いや、この感覚、どこかで?

右手からけたたましいクラクションの音がして、それでも体は岩のように動かなかった。すぐそこで鋭いブレーキ音が響き渡り――。






 体が、動かない。地面を押し返そうと右手に力を入れようとしたが、痺れて上手く持ち上がらなかった。

 何してるんだ。早く立たなきゃ。早く。

 気ばかり焦り、押し返そうと付いた手がぐにゃりと曲がる。人々の喧騒が、一枚膜を張ったようにどこか遠くの方で聞こえていた。

 息が苦しい。息を吸わなきゃ、息を。

 もだついている間に、地面に付いた掌に、温かなものが触れる。赤い、液体だ。

 なんだこれ。俺のか?

 頭も痺れ、思考がうまく働かなかった。また腕に力を籠めるが、何の意味も成さなかった。

 何が起こった? なんで動けない? 息をしなきゃ。息を。

 ふいに誰かが近付いてきて、耳元で声がした。軽やかな少女の声だった。


「ねぇ 今どんな気持ち?」


 視線を上げると、嫌というほど澄んだ青い瞳が見下ろしていた。

 息が苦しい。さっきから何度も試しているというのに、なんで息が出来ない。息をしなきゃ。

 ――生きないと。ローズが待ってる。

 赤いワンピースの少女が、こちらを振り返る姿が見えた。満面の笑みで、自分を呼んで、駆けて来てくれる姿が。真っ暗な世界の中で、唯一自分を心から待っていてくれる子の姿が。

 ――――駄目だ。帰らなきゃ。あの子が待ってるんだ。

 また、腕に力を籠める。赤はそこら一帯に広がって、生温かい池に沈んでいる。

 ――――――……帰らせてくれ。

 愛しい娘の名を呼ぼうとすると、ごぽりと何かが口から零れ落ちた。


「ロー、ズ……」


 耳元で、かちり、と音がする。

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