第460話 閉鎖された美術予備校

渋谷のスクランブル交差点を見下ろすカフェで、ダイラは久々に予備校時代の話を切り出した。

「クワヤマダ、俺さ、昔、美術の予備校に通ってたんだよ。」

いつもの軽い調子ではなく、どこか沈んだ声色にクワヤマダは顔を上げる。


「ほら、美術予備校って、昼間は静かだけど、夜になるとどこか異様な空気に包まれる。俺が通ってた予備校でちょっとやばい事件があったんだよ。」


クワヤマダはカフェオレをすすりながら、興味を示した。「何があったんだ?」


ダイラは窓の外に視線を投げ、話を続けた。

「受験が近づくと、模刻の授業が増えるんだ。自分の手を粘土で作る課題が出てさ、みんなそれぞれの手をモデルにして必死だった。その中にA子って子がいたんだよ。」


「A子?」


「ああ。おとなしいけど、どこかミステリアスな子だった。実力もあったけど、どうも伸び悩んでたんだな。で、彼女はある講師に思いを寄せてたんだよ。その講師、男で結構カリスマがあってさ。けど、その日の講評でA子はその講師にボロクソ言われたんだ。」


「厳しいな。」クワヤマダが眉をひそめる。


「そりゃそうだ。しかも、A子はその講評を受けてショックを受けたみたいでさ、翌日アトリエに包帯姿で現れたんだよ。腕にぐるぐる巻きの包帯。で、問題はそこからだ。」


ダイラは一度言葉を切り、静かにテーブルを指で叩いた。


「昨日、みんなが作った粘土の手が模刻台に並べられてたんだ。どれも形や仕上がりは普通。でも、その中に妙にリアルな手が混じってたんだよ。まるで血が通ってるみたいなやつ。」


クワヤマダの表情が曇る。「……リアル?」


「そう。で、その時誰もが思ったんだ。『まさかA子が……』って。」


「何を?」


「自分の手を切り落として、模刻台に置いたんじゃないかってな。」


カフェの空気が一瞬冷たく感じられた。クワヤマダは無意識に自分の腕を撫でる。


「悲鳴が上がったよ。講師陣も予備校生もパニック。A子は呆然と立ち尽くしててさ。その時だ、アトリエに一本の電話が鳴ったんだ。」


「電話?」


「ああ。それがまた妙でさ。夜遅いのに警察からだったんだよ。講師の一人が電話に出た瞬間、警察が数人アトリエに入ってきて、そいつを取り押さえた。」


「そいつ?」


「そう、A子を講評で厳しく責めたあの男性講師だ。」


クワヤマダは驚いた表情を浮かべる。「なんで?」


ダイラはふっと小さく笑い、肩をすくめた。「そいつ、噂だけど大麻の常習犯だったらしいんだよ。警察が調査してたら、偶然アトリエにいることが分かったらしくてな。」


「じゃあ、あのリアルな手は……?」


「A子が深夜まで粘土で作った作品だったらしい。彼女は講師に認められたくて、徹夜で頑張ったんだ。ただ、薬品にかぶれて腕に包帯を巻いてただけっていう話だ。」


クワヤマダは眉間にシワを寄せて黙り込む。


「けどな、今でも思うんだよ。」ダイラは少し声を低くした。「あの手、本当に粘土だったのかなって。俺たちはそれを確かめる前に講師が捕まって、アトリエは閉鎖されたんだ。」


「確認しなかったのか?」


「しなかった。ていうか、できなかった。その後A子は田舎に帰ったきり。その事件も内容は公表されず全く分からない。でも何かがおかしかったんだよ……。」


ダイラの声がかすかに震えていた。クワヤマダは黙ったまま、カフェのざわめきに耳を傾けた。


「今でも時々思うんだ。あの二人になにかあったんじゃないかって。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る