第445話 迷路の果てで家畜化
「人間が迷路を作ったんじゃない。迷路が人間を作ったんだ。」
栗瑛人はタバコを咥えながら呟いた。紫煙が螺旋を描き、天井の見えない暗闇に溶けていく。
「つまりさ、俺たちは生まれたときから迷路の中にいたってことだろう?」
ダイラが眉間にシワを寄せて応じる。彼の手元には未完成のスケッチ。無数の線が重なり合い、何か巨大な構造物を示しているようだが、全貌は掴めない。
「それだけじゃない。」
栗瑛人は深く吸い込み、ゆっくりと煙を吐き出した。
「俺たちは自分たちで迷路を複雑にしてきた。最初は簡単だったんだ。ただ生きるために狩りをして、火を起こして、子孫を残す。それがいつの間にかルールや社会や文明になって、迷路が広がりすぎて誰も出口を知らなくなった。」
「出口なんて、最初からなかったのかもな。」
ダイラの声は低かった。まるでその言葉が迷路の壁に吸い込まれていくかのように。
「そして俺たちは家畜化されたんだ。」
栗瑛人は急に明確なトーンで続けた。
「いいか、家畜化っていうのは支配されることだけを意味しない。選択肢を減らし、効率を追求し、自らの自由を切り売りして得る安定。それが家畜化だ。現代人はみんな、それを進化だと思い込んでる。」
ダイラはスケッチを放り投げ、視線を窓の外へ向けた。そこにはただ黒い宇宙が広がる。迷路の全貌を見下ろすかのような無限の虚無。
「でも、痕跡は残る。」
ダイラの声は揺らいでいたが、どこか確信めいていた。
「人間がここにいたという証拠。誰かが、いや、何かがそれを見つけて、『ここに人類という種が存在していた』って気づくかもしれない。」
「それがアートだって言いたいのか?」
栗瑛人は笑いながら問い返した。
「そうだ。」
ダイラは視線を宇宙の暗闇に固定したまま答えた。
「自己家畜化の中で唯一、人間が持つ反抗心。それが痕跡を残す行為だ。絵画でも音楽でも、誰かのためのメモでも、愛の言葉でもいい。迷路の中で俺たちは自分の足跡を刻み続ける。それは出口のない迷路に、無意味な地図を描き続ける行為かもしれない。でも、それが俺たちの最後の足掻きなんだ。」
栗瑛人は再びタバコに火をつけた。燃える音が静寂の中に微かに響く。
「その痕跡を、誰が見るんだろうな。」
「誰も見なくてもいいさ。俺たち自身がそれを見る。それだけで十分だ。」
窓の外、無限の宇宙の闇に迷路が浮かび上がる。人間が生み出したこの巨大な構造は、もはや人間そのものを飲み込み、家畜化された彼らを運命へと誘っているようだった。だが、それでも彼らは足跡を刻む。迷路の中、終わりなき旅を続けながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます