第402話 二宮尊徳像扁桃体説

ダイラ:「なあ、クワヤマダくん、彫刻家や哲学者たちが二宮尊徳像を“人類の扁桃体”として再評価し始めたって知ってたか?」


クワヤマダくん:「彫刻家と哲学者たちが?それってどういう意味なんだ?二宮尊徳像が人類の扁桃体…?」


ダイラ:「そうなんだ。無意識に感じていた“二宮尊徳像”の存在そのものを、単なる歴史的な記念像じゃなくて、人類の“集団の記憶と感情”の一部として見直し始めたんだよ。扁桃体みたいに、人々の中に共鳴する役割を果たしてるんだって。」


クワヤマダくん:「なるほど…じゃあ、あの像が消えると、集団の記憶や感情のつながりが薄れてしまうってことか。それで、撤去するかどうかが問題になってるんだな。」


ダイラ:「そうだ。人類の扁桃体が削ぎ落とされるようなもんだって主張してる。だからといって、少子化で学校の数が減る中で、すべての像を残すのも現実的じゃない。」


クワヤマダくん:「それで考えられたのが、複数の二宮尊徳像を一つの学校に設置するアイデアか。でも、それって集団記憶を守る方法として、本当に意味があるのかな?」


ダイラ:「うん、それが議論の核心なんだよ。像を増やせば記憶が深まるのか、それとも逆に薄れてしまうのか。音楽で言えば、音量を上げすぎて全体がぼやけるような現象になるかもしれない。」


クワヤマダくん:「そうだな。尊徳像が至るところにあると、逆にその価値や精神が薄れてしまう可能性もあるよね。見上げるべき象徴がありすぎると、かえって本質が見えなくなってしまう。」


ダイラ:「彫刻家たちもそこを気にしてるみたいだ。配置する数や場所にこだわっている。二宮尊徳像がただの像になってしまったら、その役割も失われてしまう。彼らが見直しているのは、像そのものよりも、その像が持つ“精神”をどう表現するかってところだ。」


クワヤマダくん:「つまり、像の数を増やすことではなく、その“精神”を伝える方法をどう探るかってことだな。二宮尊徳像が単なるシンボルでなく、人々に問いかけるような存在であることが大事なんだ。」


ダイラ:「そうだよ。彫刻家たちが像の表情や姿勢にまでこだわって再制作を始めたのも、そのためなんだ。彼らはただの彫刻じゃなく、“問いかける扁桃体”としての役割を持たせようとしている。人類の記憶のためにね。」


クワヤマダくん:「まるで像が心の奥深くに触れるような存在になるように、再設計されてるってことだな。数じゃなく、像がもたらす“気づき”が未来を明るくする鍵になるのかもな。」


ダイラ:「そう。二宮尊徳像が増えても意味がない、でもその像が人の心に問いかけ続けるなら、きっと未来は明るくなるはずだよね。」


クワヤマダくん:「うん。結局、見えるものより見えない“問いかけ”こそが、未来の光になるんだ。像はただの存在じゃなく、彫刻家たちの手で人類の心に寄り添う存在になっていくのかもね。」


ダイラ:「この問答は、何が大切な視点が欠けている気がする。科学が発達した現代でも、このような謎の議論が方々で活発な気もするから、この世界は不思議だわ。」

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