第394話 一杯のかけデブリ

ダイラ: クワヤマダくん、もし900トンの放射性デブリを、1日耳かき一杯ずつ取り除く作業だとしたら、一体どれほどの時間がかかると思う?


クワヤマダ: 途方もない作業だな。作業が終わる頃は、日本の形が変わっていそうだ。


ダイラ: いや、冗談なんかじゃないよ。東日本大震災から13年、ようやく第一原発の廃炉に向けた第一歩を踏み出したばかりだという。まるで、砂漠で一粒の砂を運ぶようなものだ。


クワヤマダ: 13年でようやくスタート地点か。それは、まるで宇宙の果てを目指すような、途方もない道のりだな。


ダイラ: そうだな。多くの人々がこの現実から目を背けようとする。痛みを伴う記憶だから、できれば忘れたい。しかし、この問題から目を背けても、それは決して消えてなくなるものではない。誰かがやらねばならないのだ。


クワヤマダ: 耳かき一杯の作業を永遠に繰り返すようなものか。いったい、その果てに何があるというのだろうか。


ダイラ: 果て?それは、私たちが生きている間に見届けることのできない、遥か彼方の未来かもしれない。しかし、この小さな一歩が、やがて大きな変化を生み出す。それは、まるで自然が石を削って川を造るように、時間をかけて少しずつ形作られていくものだ。


クワヤマダ: それは、まるで人間の存在そのものだな。私たちの一生も、小さな出来事の積み重ねでできている。そして、その一つ一つの出来事が、私たちを形作る。それにしても、デブリを掻き出す作業に関わる全ての人たちは改めて凄いなぁ。


ダイラ: そうだな。放射性デブリの処理も、私たちの人生も、どちらも時間との闘いだ。そして、その中で最も重要なのは、忍耐と希望ではないだろうか。


クワヤマダ: 忍耐と希望か。それは、まるでシジフォスの神話のようだな。永遠に石を転がす運命を背負ったシジフォス。しかし、彼はその作業の中に、ある種の喜びを見出していた。


ダイラ: シジフォスか。確かに、彼の物語には深い教訓がある。私たちもまた、シジフォスのように、永遠に終わりのない作業を続けるかもしれない。しかし、その作業の中に、何かしらの意味を見出すことができれば、それは決して無駄な時間ではない。 


クワヤマダ: それは、まるで人生の寓話だな。私たちが生きている間、常に何かしらの課題や困難に直面する。しかし、その課題を乗り越えるために努力し、その過程で成長していく。それが、私たちの人生を豊かにする。 


ダイラ: そうだな。放射性デブリの処理は、私たちに多くのことを教えてくれる。それは、単なる科学的な問題ではなく、哲学的な問題でもある。私たちは何のために生きるのか、そして、どのような未来を築きたいのか。人間が生み出したもっとも扱いにくい廃棄物は、一種の哲学的概念に近い。


クワヤマダ: 人生において、最も考えても答えが見出しにくいものであるな。しかし、耳かき一杯の作業を通して、私たちは自分自身を見つめ直し、人生の意味を問い直すことができる。それは、決して無駄な時間ではない。


ダイラ: この小さな一歩が、未来への大きな一歩となる。そして、その未来は、臭いものに蓋をしなかった、勇気のある人たちの手によって創られていく。


(二人の会話は、静かに夜空を見上げるようにして、宇宙の深淵へと続いていく。)

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