第377話 ホイップアンパンの美学
夜のコンビニでホイップアンパンを手にしたダイラとクワヤマダくん。二人は、それを眺めながら思索にふけっていた。
ダイラ:「なあ、ホイップアンパンが出たとき、最初は"邪道"だって反対されたらしいぞ。」
クワヤマダくん:「まあ、わかるよ。餡は餡、ホイップはホイップで、伝統を崩すなってやつだろ。だけど結局、今じゃ普通に棚に並んでる。」
ダイラ:「人間ってのはさ、最初は新しいものを拒むんだよな。だけど、ひとたび受け入れちゃうと、それが当たり前になる。」
クワヤマダくん:「そう考えると、西遊記の猪八戒ってホイップアンパンみたいなキャラだよな。半分人間で、半分豚。どっちつかずの中途半端さだけど、なんだかんだであいつがいないと物語は成り立たない。」
ダイラ:「なるほど。八戒は邪道を極めた結果、新しい秩序の象徴になったわけか。仕事は適当、釣りはバカ真面目にやってた、釣りバカ日誌もそのパターンだわ。副業が本業を食うってな!」
二人は笑いながら、次に思い出したのは御柱祭だった。
クワヤマダくんがダイラに捨てられ、6世紀の諏訪にタイムワークしてしまったときの話を持ち出す。胴体を失い顔だけの彼は、御頭祭の備え物(贄)としてシカ、うさぴょんの頭、カエルの串刺しと共に祀られ、氏子たちの狂乱に巻き込まれたのだった。一緒にタイムワークしたクボタは、完全に氏子となっていた。
クワヤマダくん:「あの時の祭り、すごかったな。最終的には、俺の首を大木に括り付けて祀り、川を渡って、崖から転げ落ちるっていう荒っぽいイベントだったんだ。村の連中は、自分たちが生贄に成り代わっている感覚を楽しんでたんだよ。」
その祭りは朝廷からの「人間を生贄にするのは今回で最後」という命令を受け、形を変えざるを得なかった。しかし、氏子たちは「本物の生贄じゃないと山が怒る」と反対派が溢れ、折衷案として、山から大木を切り出し氏子たち自身がその大木に跨り、坂を転げ落ちることで自然と一体化し、贄の代わりとした奇祭が誕生したのだ。
クワヤマダくん:「あれはただの祭りじゃなくて、自然に対する人間の姿勢の表れだったんだよね。生きるか死ぬかの境界を行き来することで、自然と共に生きるとの約束、非言語的対話をしてたんだ。」
ダイラ:「御柱祭もさ、生贄の代替として、大木を使って、氏子の怒りを鎮める移行期間を作り納得させるなんて、まさにホイップアンパンの発想だよな。」
クワヤマダくん:「うん、命がけで遊ぶっていうところが面白いよ。あれは、仕事と釣りバカが組み合わさったときのような美学だ。緊張感がハンパない。どっちが大切なんだ?と視聴者が皆困惑する。クボタなんか、急坂を落ちる柱の先端に跨って大興奮だったよ。アイツあの後、どうなったんだろう?」
ダイラ:「そういう祭りこそ、人間の核心かもな。命がけで遊ぶってのはアートの源流ともいえそうだ。」
突然、天から神の声が響いた。
神の声:「この世に残すべきアートを一つだけ選べ。それができなければ人類は滅亡する。」
二人はしばし考えた後、ケタケタと笑い合った。
クワヤマダくん:「これってもしかして諏訪の神?御柱祭を残すか?違うよな。ホイップアンパンだ。」
ダイラ:「確かに。命がけで楽しむことも大事だけど、ホイップアンパンにはもっと深い哲学がある。諏訪の神怒っちゃう?」
クワヤマダくん:「最初は邪道だと言われたが、いまや誰もが普通に受け入れてる。つまり、人間の本質は"受け入れる力"にあるんだよ。」
ダイラ:「餡かホイップかなんて迷う必要もない。どっちも混ぜちまえばいいんだ。」
クワヤマダくん:「そう、人間はそうやって新しい美を生む。受け入れる力が、最も価値のあるアートなんだ。」
神の声:「よくぞ答えた。ホイップアンパンを選んだお前たちの遊び心と受容の力こそ、真のアートだ。」
二人はホイップアンパンをかじりながら、夜空を見上げた。
ダイラ:「命がけの遊びもいいけど、こういう甘さも捨てがたいよな。」
クワヤマダくん:「ああ、これが人間の美学ってやつだ。」
彼らは笑い合い、ホイップアンパンを手に次なる冒険に向けて歩き出した――遊び心と受容の哲学を胸に抱いて。
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