第325話 投げやりにならないやり投げ

ダイラ先輩とクワヤマダくんがカフェでコーヒーを飲みながら、パリ五輪でやり投げの金メダルを獲得した槍元(やりもと)選手について話している。世間では彼女の圧倒的な実力が話題だが、二人は別の角度からこの快挙を捉えていた。


槍元選手の多才な経歴

クワヤマダ:「ダイラ先輩、槍元選手ってやばくないですか?小学校バドミントン日本一、中学水泳チャンピオン、そして高校でやり投げを始めて金メダル!多才すぎて、何が彼女をそんなに突き動かしてるんだろうって考えちゃいますよ。」


ダイラ:「確かに、日本的な思考じゃ考えられないよな。競技をコロコロ変えるなんて。でも、俺が気になるのは、なぜ人はそんなに『一番』になりたがるのかってことだ。俺なんて、誰も目指さない『二番』とかでも全然満足だけどな。」


クワヤマダ:「二番が好きなんて、れんぽうさんに愛されますよ。でも、槍元選手には別のモチベーションがあるみたいです。」


ダイラ:「それで思い出したんだけど、槍元選手がやりを投げる瞬間に、何か叫んでるって聞いたんだ。何って言ってるの?」


クワヤマダ:「どうやらAIで分析したところ『ダイラ物語!』って叫んでるらしいです。先輩、これどういうことですか?」


ダイラ:「えっ、マジで?富士サファリパーク!って叫んでいたんじゃなかったの?俺の物語がそんなところで使われてるなんて。もしかして、俺の物語のタイトルが彼女にインスピレーションを与えたのかもな。」


クワヤマダ:「それにしても、『ダイラ物語』って叫ぶとやりがよく飛ぶって、完全にオカルトじゃないっすか?いや、アートか。」


ダイラ:「アートかもしれないけど、何か違う視点で物事を見ることで、彼女は自分の個性を最大限に発揮できたんじゃないかな。多分、『ダイラ物語』って言葉が、彼女にとっての自己表現の一環だったんだろう。」


クワヤマダ:「でも、どうして人って一番になりたがるんでしょう?名誉欲だけじゃなくて、自分を証明したいって気持ちがあるんですかね?」


ダイラ:「そうだな。結局、一番になりたいのは、自分の存在を確かめたいからかもしれない。他の誰とも違う自分を感じることで、自分自身を強く意識する。それが、彼女の個性を発揮させてるんだろう。」


クワヤマダ:「つまり、一番を目指すことが、個性を証明するための手段ってことですか?それで『ダイラ物語』を叫んでるって、なんか不思議な感覚ですね。」


ダイラ:「そうだ。でもそれだけじゃなくて、彼女はアートとしてやり投げを捉えていたのかもしれない。単なる競技じゃなくて、自分の想像力を最大限に引き出す場として。そう考えると、やり投げがまるでキャンバスみたいに見えてくるだろ?」


クワヤマダ:「そうか、ダイラ物語がタイトルで槍が飛んで、地球に槍が刺さるところまでがアート表現か。槍元選手にとって、やり投げはただのスポーツじゃなくて、自己表現の一つだったんですね。アートとスポーツがこんな形で融合するなんて、考えもしませんでした。」


ダイラ:「そうだろ?だからこそ、彼女は『ダイラ物語』を叫ぶことで、自分を超える力を引き出せたんだ。スポーツがアートになる瞬間って、実はそういうところにあるんじゃないかと思うんだよ。」


クワヤマダ:「これからは、何か新しいことに挑戦する時に『ダイラ物語!』って叫んでみようかな。それで自分の中の何かが変わるかもしれないですし。」


ダイラ:「やってみる価値はあるさ。アートもスポーツも、結局は人間の創造力の産物だ。『ダイラ物語』で、新しい世界を見つけるんだ。」


二人は槍元選手のエピソードを通じて、人が一番を目指す理由と個性の発揮について深く考えつつ、アートとしてのスポーツという新たな視点を見出していった。

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