第265話 未来の教育

ダイラ:創造的な子供を育てるためには、やっぱり特殊な環境の整備が必要だと思うんですよね。机とイスを取っ払うとか。モンテッソーリ教育のように異学年で学ぶとか。今の教育システムをがらりと変えてみてはどう?


いずれ校長:刺激的!うちの校訓を「創造する世界人」にしたのは、やり過ぎたかなぁ。


ダイラ:もっと簡単で覚えやすい校訓がいいですね。


いずれ校長:「Yo!みんなで創造しちゃう?」とかはどう?


ダイラ:疑問形の校訓は覚えやすくて新しいですね。いいアイデアです!


いずれ校長:校長はカルマさんで。私はこの際、美術科を無くそうと思っているんです。


ダイラ:なぜですか?


いずれ校長:美術科だとどうしても視覚芸術のアクが強く出てしまいます。美術には歴史もあるし、重要な教育の要素ですが、今後50年の世界を見据えると、学校教育で必要ないかもしれないと思うんです。


ダイラ:確かに、AIや3Dプリンターが進化すると、人間の手による表現に対する必要性が薄れるかもしれませんね。50年後の世代は、筆や彫刻刀の存在を知らないはず。


いずれ校長:同様に、音楽や技術・家庭科も必要ないと考えているんです。


ダイラ:斬新な考えですね。でも、それを実現できるのでしょうか?


いずれ校長:技能教科は「スーパー哲学」に置き換えようと思っています。


ダイラ:スーパー銭湯みたい!


いずれ校長:人間は考える生き物です。そして何かを創造しなければならないという欲求を持っています。創造性を引き出す素材やテーマを提供しますが、それを教科ごとに分けないでしょう。視覚芸術か、食べ物か、住まいか、あるいはゴミか、その分類は問題ではありません。アートである必要もありません。分類できないものから、人間の創造性が生まれると思うんです。


ダイラ:あなたの学校で創造されるものは、きっと得体の知れない物がたくさん含まれていそうですね。


いずれ校長:面白そうでしょう?私が学んだ大学にも、そのような得体の知れないものがいくつもありました。


ダイラ:確かに、創造の源は混沌とした中にあると言えますね。


いずれ校長:哲学の時間では、ただ考えるだけでも良いし、文章や詩にすることも、形にすることもなくても良いんです。ただ瞑想(迷走)するだけでも構いません。スーパーがついているから、万能で特別な教育課程の位置付けとします。


ダイラ:でも、評価はどうするつもりですか?


いずれ校長:自己申告制にしようと思います。創造的な思考をしているか、生徒自身が評価するんです。


ダイラ:苦しむ生徒が増えそうですね。


いずれ校長:それが、教育の本質だと思うんです。自分で考えて苦しむこと、そして何か新しいものを生み出す行為そのものが、創造的なんです。混沌の中から驚くほど素晴らしい才能が生まれることもあるでしょう。その才能が他の生徒にも刺激を与え、連鎖反応が起きると信じています。


ダイラ:確かに、自分から考え、創り出す経験は非常に貴重ですね。そのためには、様々な可能性を提供する環境が大切ですね。そのアイデアを支援してくれる投資家や支援者を見つけることも重要ですね。





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